ホイアンの日本橋

日本橋

朱印船貿易の時代、ホイアンに日本人町があった。日本人によって建てられた木造建築家屋が町並みとして保存、活用されている。家屋は入り口から奥に細長い構造で今も人が住んでいる。日本橋(来遠橋とも)は日本人町と中国人町を結ぶ架橋で1593年にかけられたもの、今も使われている。橋の真ん中に祠があって、橋寺ともいう。江戸時代、日本人が引き揚げて以降、日本人町には中国人がすみついた。

御朱印船や外国船にのって様々な理由で東南アジアの日本人町に日本人が移動した。貿易をなりわいとする人、ほか、奴隷として売られた場合もあったり、 戦国が泰平にうつって下級武士の食い扶持であるいくさが無くなり、西洋人の傭兵となって渡るもの(侍は強くて重宝された)もあった。

禁教後、キリスト教信仰を続けるため、追手の及ばない日本人町に移動した人たちもいた。佐賀長崎の離島にキリシタンが弾圧から逃れた同時期に、海外まで移動して祈りを続けた人がいた。ホイアンにも日本人によって作られたカトリック教会があったはず。自転車で徘徊しながら、教会はいくつか見つけたが、それらの沿革まではわからない。

ホイアン市街から最寄りのビーチに向かう途中、当時の日本人の墓が3箇所残っている。その一つ谷弥次郎兵衛さん、ホイアンの女性と恋仲となるも、幕府の方針で日本に戻ることになったが、再び会いに行く途中にたおれた、という人情に訴える言い伝えがある。

ホイアンの人々は概ね親切で感じが良い。谷さんの気持ちがちょっとわかる。

旅の後、関連する図書として、「南洋日本町の研究」(岩生成一)を古本屋で買って面白く読んだ。それから遠藤周作の「王国への道」山田長政と留学したキリシタンのはなし、ホイアンが舞台ではないけれど、同時代の海外へ向かう人の雰囲気を追想はできた。

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