中央大橋

東京駅八重洲口をでて、南東方向、前に広がる八重洲通りを真っすぐ進んださきに、ある。佃島につながる。霊岸島水位観測所から見上げる場所にある。

構造形式 二径間連続鋼斜張橋
橋長 210.7m
幅員 25.0m
竣工 1993年(平成5年)8月26日
橋桁製作 石川島播磨重工業横浜工場

「バブル絶頂期」に、「設計デザインはフランス」で、「レインボーブリッジと同じ日に竣工」。「パリのシラク市長からプレゼントされた彫像が鎮座する」そのあたりを揶揄する向きも多いが、先入観抜きに美しい斜張橋。

広島人としては、しまなみ海道多々羅大橋の斜張橋も連想する。多々羅大橋は背景が瀬戸内海のポコポコした島々できれいなですけぇの。

ついでじゃが、セーヌ川河口のノルマンディー橋と多々羅大橋とは同じ斜張橋で姉妹縁組。隅田川とセーヌ川とは姉妹河川。

Paramotor Japan Shimanami Kaido Tatara bridge Ehime & Hiroshima Prefecture. しまなみ海道「多々羅大橋」空撮

中央大橋の主塔の天辺がカブトみたいにしてあるのは、付近のカブト伝説にちなむ。

■日本橋兜町は、なんで兜町というか wikipedia

「兜町」は平将門の兜を埋めて塚にした所を兜山と云ったところから由来しているという。その地に祀られたのが兜神社である。兜神社の縁起は平將門の兜が一番古い(伝承の中での起源)縁起であるが、他に兜神社の由来は源義家が奥州往きの途中に暴風に出会い鎧を沈めて竜神に祈って無事を祈った場所に、都への帰途兜を埋めて塚を築き埋めて神を祭ったという故事を縁起とするものもある。かつては沼地だった兜町付近だが、江戸時代に入ると江戸城築城のために埋め立てが行われ、周辺は大名屋敷が立ち並んだ。兜橋、兜の渡しなどの地名ができた。

明治に入ると、明治維新の恩賞として、兜町周辺の土地を三井家等が受け取り、「兜町」と名づけられた。渋沢栄一を中心に、1871年に第一国立銀行本店が、1878年には東京証券取引所の前身である東京株式取引所が設立され、商業(金融)の街へと急速に発展していった。

霊岸島側から佃島方向、橋梁底面を観察。微妙に右カーブしている、曲線橋。石川島播磨さん、作るの大変じゃったでしょう。

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