根室港の石畳

柳田藤吉の伝記の中で、面白かった(面白がってい良いのかはしらん)ところがある。早稲田になぜ北門義塾を作ったかという経緯のところ。戊辰戦争のとき、朝敵の庄内藩に兵器・弾薬を売り、一方で新政府側の秋田藩に軍需品を売った。そもそも商人というのは節操がないぐらいで丁度いいんだけど。ここからだが財をなした柳田藤吉は福澤諭吉に相談し学校を建てた、それが北門義塾。お金が貯まって社会貢献したくなったのか、武器商人としての良心の呵責からなのか。北門義塾閉校後、大隈重信が早稲田大学を建てた。

実業家柳田藤吉が、私財を投じ根室前浜を埋め立て、港湾整備をした。埋立地に接する崖の上(埋め立てまでの海岸線と思われる)に柳田本店があった。柳田本店から埋立地に向かうように設置された道路は石で舗装され、一部保存され教育委員会による標柱が建ててある。昆布やサンマを満載した貨車がこの上を踏みしめていったのだろう。

柳田藤吉 岩手県盛岡市の人。昆布貿易で財をなした。戊辰戦争時明治政府軍への納入品を調達。1869年5月(明治2年4月)北門義塾を東京・早稲田に設立。またこの時期より根室地方の漁業経営に進出、のちに根室昆布営業組合・同鮭営業組合頭取に就任。1876年には国内初の大規模な洋式牧場 柳田東梅牧場(根室別当賀)を開設。同年柳屋の本店を根室に移している。このほか、根室銀行(安田銀行を経て、現・みずほ銀行)の設立など、道東地区で様々な事業を展開した。1901年に北海道会議員となり、1904年の第9回衆議院議員総選挙で衆議院議員に当選し、1期務めた。

北洋漁業が戦後衰退するまで、根室は横浜や函館のように栄えたそうだ。海沿いにあった倉庫群は既に取り壊された。これは当時から残っている倉庫だろうか。崖から緩やかに下りる坂の中腹にあるレンガ倉庫。

雨上がり、煉瓦の濡れているところが風化している。意匠が凝っている。明治だろうか。レンガはフランス積み。

埋立地側から崖の上を見上げる。左手に元北海道銀行根室支店、本町壹望館と名前を変えてコミュニティースペースになっている。

佐伯祐三・・。

断熱材だろうか。白いもこもこ、石綿か。

コメント

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