サロマ湖

いいながめですね~で終わらないのが私の悪いところで、興味が湧いてきて、サロマ湖と海との交通、湖口について調べました。ワッカ原生花園の展示などに基づきます。

サロマ湖の湖口 ①サロマ湖第一湖口 ② サロマ湖第二湖口 ③サロマ湖展望台 旧: 旧湖口

図③の展望台で写真を撮りました。②と旧湖口には翌日自転車で行きました。

サロマ湖の旧湖口は、図の「」のあたりにありました。その頃は時化の度に湖口が砂で塞がり人力で湖口を開けていました。湖口の切り開き工事を「汐きり」といいます。

サロマ湖は元々海に開けた湾で、あとから細長い砂州が”グーン”と伸び、海と仕切られました。そのような地形をラグーン(潟湖 せきこ)といいます(ダジャレに気づいた方は無視して)。

さて、サンゴ礁で海と隔てられた水域はcoral reef lagoon (礁湖 しょうこ)と呼びます。こっちのイメージが強い傾向がありますが、砂州で閉じられた湾もラグーンです。

礁湖の例、ディエゴガルシア島 wikipedia

霞ヶ浦、浜名湖、八郎潟、石川県の河北潟などは砂州が伸びたラグーンです。ちなみに新潟県の越後平野も8000年前にはラグーンで、信濃川の堆積物で埋め尽くされました。

ラグーンはラテン語のラクナlacunaが語源で、ラクナとは小さな窩(アナ)くぼみ、あるいは欠落部、裂け目、転じて脱字のことを意味もします。英語ならpitとかdepressionやdefect。アナでも貫通しているアナは、孔。ラクナ梗塞は単一の穿通枝領域の1.5cm以下の陳旧性嚢胞性脳梗塞のことで、脳の割面でラクナ梗塞の痕跡は小空胞(欠落)として認めます。

サロマ湖の話に戻ります。雪解け水が増えるとサロマ湖の水位が上がるため、氾濫しないよう汐きり(砂州の開削)を人手でしていたということです。サロマ湖にはオホーツク海との交通が東の旧湖口しかなかったので、西側(湧別側)住民がもとめて、①の部分を開削し始めます。

それでは、サロマ湖展望台③の位置から①第一湖口、②第二湖口を眺めていきます。

サロマ湖第一湖口(地図上の)、西側住民が手作業で掘ってもうまくいかない、ある夜に大時化が起って、朝には幅約180mの湖口ができあがり、その後も自然に削れて現在幅400mに至っているとのことです。下の写真オリエンテーションは矢印の方向です。西岸と砂州を眺めています。

①の部分の拡大です。第一サロマ湖湖口が見えます。

第一湖口ができたあと、サロマ湖内でホタテ稚貝の発生が確認され、外海からの鮭・鱒・鰊・サンマ・などが入ってきて漁民は賑わいます。昭和9年サロマ湖ホタテ養殖研究開始、昭和27年ホタテの養殖生産成功。昭和40年代ホタテ養殖が本格化します。

①第一湖口が開いてから旧湖口の流れが悪くなり、東側住民がこまった!第二湖口を開削(図の②)、昭和54年、7年越しの工事完了、ワッカ栄浦方面(サロマ湖の東側)の湖水環境が改善、ホタテ養殖の成績も改善したとのことです。写真の向きは下図の矢印です。

中央部に第二湖口部(②)があります、そこを拡大します。

コンクリートで護岸された水路構造を認めます。

次は同部位第二湖口(②)を翌日訪れた際の写真です。第二湖口は架橋されています。三井住友建設、第二湖口橋。

下図、橋の上より。向こう側がオホーツク海。浚渫クレーンが見えます。

下図、オリエンテーションは向こうがサロマ湖、背後がオホーツク海。サロマ湖側の水面に泡立つような変化を認め、湖口の水流を反映しているものと思われます。速そう。

第二湖口東岸の輪状構造、機能は不明です。

湖口が東の時は西の住民が不便をし、湖口が西に開くと東の湖口が閉じ東の住民が不便をし、東に第二湖口をつくったということです。サロマ湖周辺の自治体が3つあって、西側に紋別郡湧別町、南側に常呂郡佐呂間町、東側に北見市常呂町があります。漁師さん同士の諍いごとなど、ひょっとしたらあったのかもしれません。

看板によると、湖口が無かった頃、サロマ湖の砂州は網走から紋別に向かうメインルートだったようです。

サロマ湖西側。湧別、紋別方面の山々。

潟湖(せきこ)砂州(さす)砂嘴(さし)陸繋島(りくけいとう)(試験に出るどうでしょう2 より)

潟湖 砂州 砂嘴 陸繋島について”本格的に”学びたい方向け動画。

Take home message サロマ湖は湾が砂州によって閉じられたセキコ潟湖、英語でラグーンです!

コメント

  1. […] 紋別港 サロマ湖 […]

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