常呂遺跡 

常呂をトコロと読む

ところ、と読みます。サロマ湖の畔にあります。

カーリング女子で知名度が上がったカーリング。あの語尾下げのいくよー、そだねー、OK!の会話の調子が好きなのだが、上野のウェンディーズというハンバーガー屋で「ポテト出るよー」「OK!」と語尾下げのやり取りに気づいて、お、似てる!と思った。ポジティブで理性的な感じでチーム作業に向いている感じがする。

人の生死がかかるようなアタフタしがちな現場でもこんな感じで淡々とやれば、より良いかもしれん。「挿管するよー(語尾下げ)」無感情でテキパキ出来るのは訓練の賜物。なのに、医療関係者は心が変に頑丈なんだろうかと思ったりした時期があった。

常呂に向かう時、カーリングの練習場があって、例の可愛い女子選手たちのポスターがあった。練習場の一つだろうと通り過ぎたが、ここは代表のメインの練習場なのであった。例によって、家に帰ってから気づいた。

アドヴィックス常呂カーリングホール | 北見市

常呂遺跡 4000年前は温暖でハマグリも採れた、今はないけど

本題は常呂遺跡の館だった。。。

ところ遺跡の館:ご利用案内 | 北見市

常呂遺跡のあたりは、4000年前、牡蠣や、今はいないハマグリがいて今より温暖な時期があったと推測されています。その頃から人々が住み始めます。

常呂遺跡から糸魚川のヒスイがでてきた、広範囲な交流があった

縄文晩期の墓から、副葬品土器、ヒスイの勾玉が出土、ヒスイは糸魚川流域の産物で、本州との交流が示唆されます。また、大洞式土器という東北風の土器も発掘されます(大船渡の大洞遺跡から命名)。

常呂遺跡の土器は赤色顔料で赤い色に塗られていた。

ひたいに赤い顔料、土器にも赤色で塗色されています。赤色顔料にはベンガラ(Fe2O3)と水銀朱(HgS)とがあります。

謎の海洋民族 オホーツク文化人

7-13世紀ごろ擦文時代、と同じ時期、5-12世紀の謎の海洋民族がいました。それをオホーツク文化人といいます。北方からオホーツク海沿岸に渡ってきた異民族で、彼らがもたらした文化は常呂には7-9世紀に出現、錫の耳輪、クマの彫刻、鉄製の刀などが特徴で、シベリアの女真族のものもあります。それが擦文文化との闘争の結果と推測されますが忽然と姿を消します。「彼らはいったいどこから来てどこにきえたのでしょう」と、入り口の導入ビデオは問題提起をしてしめくくった。「謎の海洋民族 オホーツク文化人」このムー的な言霊に惹きつけられる。オホーツク文化人が作ったラッコの彫り物、足がかわいい。

そして北海道でのみ用いられる続縄文時代(約2400年前から約1400年前まで。本州では古墳弥生時代に当たる)について関心をもって見学した。つづく。

OKHOTSK

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