pest

ペストのニュースを散見したので、ペストの歴史など。

ペスト医師(wikipedia)ペストの治療法がない時代、
こんな格好で治療していた。
コスプレ用にお面を作る人もおられるようだ。↓
ペストマスクの作り方[ペスト医師] [スチームパンク] – Plague doctor mask tutorial
作り方。。仮装用
病気が見える vol. 6 ペスト=Yersinia Pestis

ペストは野生ネズミが持つ病気。病垂れにネズミと書く。旱魃によってネズミの天敵がいなくなるとネズミが繁殖、ネズミも食料がないので移動して人に近づき、ノミを媒介してペスト菌が人に伝染する。症状としてリンパ節が腫れる、腺ペスト。旱魃に遅れてペストはやってくる。


モンゴル軍は、ペストが風土病化している雲南・ビルマへ遠征した際にペストをモンゴルへ持ち帰った。結果、ユーラシア大陸の中央部に位置する大草原(乾燥地帯)が、ペストの温床に。その後、14世紀に中国へ伝播し、陸と海の通商により黒海地方経由で欧州へ波及した。つまり、ヨーロッパのペスト(黒死病)はモンゴル帝国の世界的拡大とその後の通商に付帯し、伝播した。

疾病の大流行は体制を揺るがす。元朝時代、モンゴルと中国本土とでペストが流行。元王朝は1351年に始まる紅巾の乱(白蓮教徒の乱)で滅亡。ゾロアスター教は光と闇の二元論思想を持ち、モンゴルの風土病ペストという「闇」に対置するものとして「明」と命名した。(その後の明王朝が鎖国政策をとった背景にペストの防疫的観点はあっただろうか?)


黒海のクリミア半島セバストポリの東の通商都市カッファ(タタール語)という街があった。現在はFeodosia (Russian: Феодосия)と呼ばれる。Theodosia (from Greek: Θεοδοσία)とも。紀元前6世紀ころ、ギリシャの植民市テオドシア(Θεοδoσία)として建設されたことからこう呼ぶ。このカッファから西へ向かってヨーロッパのペストの流行が始まった。十字軍がパレスチナから持ち帰ったこともあるようだ。

オリエントから来た船から広がることに気づいたヴェネチアは沖で40日間停泊させるルールを作った。検疫は英語で quarantine というが、イタリア語のヴェネツィア方言 quarantena および quaranta giorni(40 日間の意)を語源としている。

1347年から1350年にかけてヨーロッパで猛威を振るったペストは、全人口の3分の1から半数にあたる約2500万人の命を奪った。ペスト=黒死病はBlack deathの訳で、全身に黒い出血斑ができて死んでいく 。カトリックは火葬をしないため感染拡大。逃げ惑う人々、そのうち比較的裕福な人達が逃れ、途中に慰めに書いたのがボッカチオのデカメロン(deca=10 メロンが日 10日の意味 果物ではない)。感染地に残った人の多くは死んだ。

ペスト流行時は、ローマからアヴィニヨンに教皇の座が移されフランス人出身の教皇が続いた頃。ペスト禍から高位聖職者もアヴィニヨンから逃げた。教皇クレメンス六世を見捨てて。残った教皇クレメンス六世は、ローマ教会領内に逃げこんだユダヤ人を保護している。また、クレメンス六世は後述のユダヤ人狩りを禁止した。しかし教皇も最終的には逃避。治療にあたったマスクをかぶったペスト医師もほとんどが死亡または逃げた。①その後の教皇大分裂②百年戦争、そして③ペスト、この3つが同時に生じたこの期間、ペストは祈りでは治らず、教会へ幻滅した個人は神との個人的で親密な関係を深め、宗教改革につながっていく。

ペストの原因は当時不明で、空気感染、死神、ネズミ説などがあった。この間の1348年から1350年にかけて、井戸に毒を投げ込むユダヤ人についての噂が広まりユダヤ人への惨劇が起きた。放火や略奪を伴った暴動はフランスやスペインの沿岸地域からスイス、ドイツなど内陸へ波及、ユダヤ人が追放される。北イタリアやポーランドはユダヤ人を受け入れ、ユダヤ人が多い地域となった(ただしポーランドのユダヤ人はホロコーストで9割が死ぬ)。

「死の舞踏」の名の、ドクロが踊る壁画が墓所や教会堂に描かれた。死者があらゆる身分の生者の手を取って踊る構図。「ダンス=マカブル」と言われる。フランスからブルターニュ地方、ドイツ・イタリア、イベリア半島へ拡散した。その多くは宗教改革の時代に破壊された。

danse macabre (plural danses macabres) (art) A conventional subject in art, literature and drama, or a particular work in that style, in which death (in the form of a putrid corpse, skeleton, the Grim Reaper, etc) is shown leading people to the grave.

マカブルはフランス語から、語源は不明だが下記聖書外伝に似た語がある。マカブルは形容詞、死を象徴する、死の化身の、死の考えに取り憑かれた、ショッキングな、恐ろしいの意。

Maccabees A book of the Catholic and Eastern Orthodox canon of the Old Testament, considered apocryphal by Protestants.

生者に対して常に死を忘れるな、memento moriという言葉が説かれた。メメント・モリはラテン語で、元々ローマでは、「いつ死ぬかわからないから今を楽しめ」という、飲め歌え人生を楽しもう!な意味合いだったが、キリスト教では逆にそういったことは虚しいという道徳的なニュアンスに、memento moriは変質した。大学の授業で死生学を学んだ時にmemento moriという言葉を知ったが今思えば後者のキリスト教的な意味合いで教科書の著者のアルフォンス・デーケンさんはイエズス会の人。


日本にも元寇が来たが、水際で”ペスト”も阻止した。現在に至るまで渡航者の散発くらいでアウトブレイクはない。

ペストの治療。抗生剤への反応は良好、現代では予後は良好で後遺症は殆ど残らない。肺ペストの場合、進行が極めて速く抗菌薬の早期投与が必須。アミノグリコシド系抗生物質のストレプトマイシンはペストに最も効果がある。その他テトラサイクリン系を併用。

フルーツポマンダー、丁字(クローブ)をオレンジに、黒ひげ危機一発みたいに刺してシナモンをかけて乾燥させたもの、ペスト除けのお守り、ポプリの一種。ヨーロッパではクリスマスに飾られる。丸いpomme(リンゴ)+香料amberがポマンダーの語源。因みにポプリの語源はpot pourri(直訳 腐った鍋)でごった煮の意味。


まとめ

旱魃・食糧不足のあと、ネズミが人に近づいてノミが媒介する

モンゴルの大草原=ペストの温床。モンゴル軍がペストをヨーロッパに拡散させた。ペストは元朝崩壊の一因となった。

ヨーロッパを黒死病という”死神”が襲った時、「死の舞踏」(=ダンス・マカブル)といわれる壁画が墓所や教会堂に描かれた。

<参考>

人類と感染症の歴史 (2013)加藤茂孝

http://www.eiken.co.jp/modern_media/backnumber/pdf/MM1002_03.pdf

Civilization And Disease (1943) Henry E. Sigerist

疾病と世界史(1985)マクニール

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