安芸国と周防国の境にある安芸国西端の防御拠点。関ヶ原西軍の毛利隆元は周防に減封され、安芸に入った福島正則が西の備えとして街道沿いに5年をかけて1608年に完成した城。幕府の圧力により、1611年取り壊し。
毛利藩の東は岩国の吉川に、東は毛利秀元にその後備えさせております。構想が変わったのでしょう。いずれも徳川家に縁の深いものをクニギワに配置。毛利本家と一枚岩ではなかったようです。






海に浮かぶ宮島の西端の革篭崎(こうごさき)。重なって可部島。遠くに見えるのは江田島市西能美島。

Google地図の俯瞰図です。
いつもマイナーな話題ばかりで恐縮です。読んでいただきありがとうございました。
コメント
宮島には何度も行きましたが、意外と革篭崎など、全景を目にすることはありませんでした。
貴重な写真ありがとうございます!
拙い写真で恐縮です。祖父が宮島なのでもっと詳しくないといけないのですが、案外地元のことは知らず、勉強中です。