専用線廃線跡 麻里布

玖波、大竹、和木と石油化学工業地帯が連続的に存在します。和木駅周辺を散策しました。

和木駅から散歩すると行く手を阻む謎の堤

和木駅から海の方向を目指し歩き出すと、まもなく立派な堤に進路が遮られます。国道2号で切り通され、断面に橋台を認め、工場専用線の堤で橋梁も線路も撤去された廃線跡であろうと直感しました。オタクアンテナに強く入感。廃線跡散歩開始。

ここは三井化学や興亜石油麻里布製油所への専用線でした。

専用線は本線と交わらない

堤体が形成する曲線は本線に漸近しますが(上地図の①)、合流を期待しつつ近づいたものの、山陽本線と交わることなく平行線のまま小瀬川を渡り貨物駅大竹駅に向かいます。対岸に橋台を認めました。

地図の① 左の山陽本線と平行に、視点から向こう岸にもう一本架橋していた。

古い案内板には工場専用線が描いてありました。

右側の盲端線が工場専用線です。

なぜ専用線は山陽本線を借用していなかったかを推測

貨車と客車とで線路を共用するほうがコストはかからないように素人の私は思いますが・・。そうしない理由を推測します。①分岐器のあるところは速度制限をかけなければいけないから、急行などが走る本線に減速の負担を強いる分岐器をやたら設置したくないため。②専用線は「特定貨主が自己の専用に供するため、その負担において敷設した側線」と規定されており、そもそも最寄りの駅まで敷設する原則があったのではないか。専用の橋をかけてまで大竹駅までつなぐ理由はわかりませんが、戦時中にできたので、特別な理由があったのかもしれません。

廃線跡を歩いてみる

小瀬川のところから天端の轍を辿ってみます。線路も枕木もすでにありません。冬とはいえ草は緑で、草が刈られたあとから緑が生えています。温暖なのだなと目で感じます。バラストはまだ新しく、枕木の破片も転がっており、廃線は比較的最近であるかもしれないと思い、調べると平成12年頃廃止とのことでした。

国道2号で堤体が切れるところまで天端を歩いてみます。

冒頭の地図の③のところ 前後の堤を架橋する基礎となる橋台。

国道と交差する場所です。高く築堤されている理由として、国道2号を通る車高の高い車輌への配慮と思われます。

高く聳え立つ橋台、この上に橋梁が乗ります。石油製品のタンク車が通過する際の音が聞こえてくるようです。

蒸気機関車が堤の上を走っているように見えますが、工場の煙。

国道2号の南側へ。堤体の脇は生活道路ですが人影はありません。トンネルのないところには、住民がこしらえたと思われる堤を越えるための粗末な階段がありました。誰かが廃線後にしつらえた石段なのでしょう。役目を終えた堤は、生活の邪魔者でしかありません、かなしい。登ると見晴らしが良い。三井化学の煙がみえます。

堤は南から南西に進路を変え、三井化学の敷地のキワで直線的に横付けするかたちとなります。ここに駅があったのでしょう。バラストはやはり青々としていて古くはないです。冒頭の地図④のあたり

更に進むと三井化学の門に出る。おおきな化学品運搬車が中へ入っていく、元旦だがここは休みがないようだ。トラックに活躍の場を徐々に奪われた鉄道のあとをトラックが踏んづけて横断して行くのをみて、時代は変わるのだと思いました。

岩国陸軍燃料廠専用線がそもそものはじまり

入り口に石碑と松がありました。

ここは軍事施設でもありました。岩国陸軍燃料廠は終戦前の5月、B29の空爆で壊滅。犠牲者は350名。この鉄道は陸軍燃料廠への専用線として開業した鉄道でした。戦時中に作られたこの廃線跡は大変しっかりした堤でした。

廃線前の映像。

専用線の入換機 山陽本線 大竹駅

いつもオタクっぽい記事ばかりで恐縮です。最後までお付き合いくださりありがとうございます。

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