石岡第一発電所

日立の社史を調べているうち、北茨城の石岡第一発電所に興味を持ち、念願叶い、行ってきました。日立の創業者自身が建設に携わった歴史のある発電所です!(いわば日立製です!)

 石岡第一発電所施設は、日立鉱山の電力需要の増加に対応するために久原鉱業所日立鉱山工作課長小平浪平及び同課技士宮長平作を中心として建設が進められた水路式発電所施設で、明治44年10月に竣工した。
 近代日本有数の銅山として知られる日立鉱山を代表する施設の一つとして、産業技術史上、高い価値があり、また、施設全般にわたって、鉄筋コンクリート技術を用いたわが国で最初の発電所施設である。とりわけ本館は、わが国に現存する最古級の鉄筋コンクリート造建築物として貴重である。(国指定文化財等データベースより引用)

ココを作った小平波平さん、そこらへんの日曜日に見るナミヘイさんではありません。日立製作所の創業者です。ざっくりいうと、日立鉱山のナミヘイさん率いるモーター修理部門が独立して日立製作所となります。つまり、日立製作所は日立鉱山の電気修理部門だったのです。富士フィルムがダイセルの写真部門だったみたいに。

日立鉱山の電力需要に応じるために、1911年(明治44年)に発電を開始し現役です。地元のおじさんに聞くと、今は無人なのだそうで門扉も閉じられていました。内部の見学は当日できませんでした。

小平波平さんの偉業としてそれまで輸入に頼っていたモーターに対し、1910年に国産初5馬力誘導電動機(モーター モートルといった、ドイツっぽい)を完成させたことは特筆に値します。そのモーターがヒットし日立製作所の発展の基礎となります。我々オジサン世代は「モーターの日立」という信頼をいまだに持っています。実際、洗濯機と冷蔵庫はHITACHI製を愛用しています。モーターとコンプレッサーは日立がおすすめです。

さて、日立鉱山を作ったのが久原房之助(くはらふさのすけ)さんです。日立製作所、日産自動車、日立造船の基盤となった久原鉱業所(日立銅山)を作った偉い人です。久原鉱業の中核事業の鉱業は日立鉱山を経て現在の日鉱へと繋がります。金属部門は現在JX金属となりました。久原房之助さんの兄ちゃんはニッスイを作り、叔父さんは藤田財閥の藤田伝三郎。すごい一家だ。

石油精製・販売大手の新日本石油株式会社(現・JXTGエネルギー株式会社)と新日鉱ホールディングス株式会社(現・JX金属株式会社)が、経営統合し、JXTGホールディングスによる経営体制となっています。

水圧鉄管と発電所

水圧鉄管を見上げる。建設当初はドイツ製のシームレス鉄管が山の上で左折してさらに約2キロほど続き、川の上流で取水していた。当時の最新溶接技術を使って軽量化したとのことです。

水圧鉄管の上から見下ろす。発電所。

今はひとっ気もありませんが、往時は賑わっていたことでしょう。一車線の山道ですれ違ったのは一台のワゴンだけでした。

有効落差:161.10m
水車:横軸フランシス水車 (エッシャーウイス製)
発電機:横軸三相交流同期発電機×1台 (GE製)

Working of Francis Turbine

フランシス水車(フランシスタービン)について。

なぜスイス製の水流タービンなのか。都市の多くが川や湖に面しているスイスでは、舟運が盛んで、造船や蒸気機関の製造技術が発達、それらを手掛けるチューリッヒに拠点を置いたエッシャーウイスの技術は日本にも導入されました。石炭資源の乏しいスイスでは産業機械の動力を水力に頼ります。水車の製造技術が発電用水車の製造に発展し、石岡第一発電所にもエッシャーウイス社のフランシスタービンが導入されました。

南南西に向かう配線。行く先は日立市の方向。めざせ日立鉱山!

増水をお知らせする放送塔と業務用八木アンテナ。

コメント

  1. CHIRICO より:

    相変わらずコアでマニアックなチョイスですね(笑)
    楽しませていただきました!

  2. いつもコメントありがとうございます。「コア」で「マニアック」という病識がないのが私の病理です。無自覚に過ごしていると、時に指摘をされ、まるでゴキブリのようにタンスの陰に隠れたくなります。

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