十石堀

wikipedia 茨城県 主な河川

茨城県北部、大北川と関根川の間に、水の乏しかった地域がありました。阿武隈山地南部の麓の地域です。

水が届かない地域に水を送るため、江戸時代の人々は苦労して川の上流から水を分岐させて、引きました。総延長13km!当時の村長沼田主計(かずえ)さんが立案実行。金堀(鉱山労働者)も動員され開削しました。

上流の大北川支流より取水、台地の上に水路として石を敷き詰めてこさえ、台地のアップダウンを避けて山肌を縫うように水路が巡らせてあります。地盤が緩みそうだが、このあたりは染み込まない硬い地盤なのだろうか。阿武隈山地の南部に当たり、多賀山地と呼ばれる地域です。ボケボケ写真ですが雰囲気がわかるように載せます。

硬そうな岩石。掘るのは大変そうだが壊れにくそう。山城の岩石のよう。

多賀山地の標高の平均は約300mで、山稜を連ねるときは波状の平坦な面となり、高原状の地形となっている。この平坦面は、浸食作用の結果生じた準平原である。地質は、この多賀山地は、花崗岩類、片磨岩類、結晶片岩類及び秩父古生層などから成り、最近、日本最古と推定される岩石が発見された。その東西両側は、第三紀層や第四紀層が分布している。

堆積土壌だと浸食してしまうから、やっぱりここの硬い地盤が一役かっていると想像。山肌の一見崩れそうなところにある水路が江戸時代のまま変わっていないことに感動しました。地元の有志で作られ、その子孫の方々のメンテナンスの賜物でもあります。素晴らしいです十石堀。人が生きるために建造した大きな建物や構造物に出くわすと、心が揺すぶられます。

十石堀用水路

松井地区、日棚地区、粟野地区に水がひかれ、美田が広がりました。江戸時代の人々すごいや。

松井地区
日棚地区
粟野地区

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