万木城の土岐氏

安房の殿様、里見氏の有力な家臣には、三浦党に出自のあるナンバーツーの正木氏、坂井氏、土岐氏がいました。土岐氏は、里見三羽烏(バルセロナでいえば、メッシ スアレス ネイマールのMSNみたいな感じ)の一つと呼ばれていましたが、里見氏を裏切ってしまいます。第一次国府台合戦では里見方、第二次国府台合戦で里見氏が敗れると北条氏に寝返ってしまいます。以後、土岐氏は里見氏にええ加減セエエヨ、ワレ!と攻められる仁義なき戦いがはじまります。下の地図の通り、里見派の大多喜城から万木城まで二駅で、結構ご近所です。こんな近所で張り合うというのが不思議です。

マウスで字は書きにくい。。。

万木城は、山城です。夷隅川(いすみがわ)がまるでお堀のようです。敵に取り囲まれるような位置で独立勢力として存在し、里見氏を何度も追い返してしまう土岐氏。案外攻めにくかったのでしょう。と思ってよく調べたら、里見氏と土岐氏は親戚関係でもあったので徹底的に攻めにくかったのではという解釈もありました。

城山に続く道、地層剥き出しです♡、おもむろに視線を遠くにやりますと、mille-feuille!

まるで石垣のように見えますが、尾根筋を削って登りにくくした崖です。削った崖で削崖、きりがけとも読むようです。千葉のお城によくみられる地質を利用した構造です。

群生していました。何の花だろう。三枚ずつ違う形。

息の切れる坂を上ると、

天守閣を模した展望台からの眺め。地元の人に聞いたところではこの辺りは連休前に田植えを終えます。田植えの終わった田んぼが空を映しています。

防風林のように見えますが、そこに夷隅川が流れています。城山を囲むお堀のようにも見えます。攻め手の里見氏が、押し寄せてくるのが見えてきます。ただ、姻戚関係もあって、本気では攻めてこない感じです。

藤沢周平『死闘(神子上典膳)』(講談社文庫)の主人公です。万木城土岐氏配下の小野忠明という家臣が徳川家の剣術指南役になるまでの出世物語です。

不要な外出を避けてはおりますが、天気がよいので人が来なさそうなところに出かけました。疫病のいち早い終息を心から願います。以下はwikipediaの記載です。今日も読んでいただきありがとうございます。

土岐為頼は里見義堯と婚姻関係を結んでいたが、第二次国府台合戦で里見氏が敗北すると、後北条氏と結んで離反し、以後一貫した北条方となった。このため、万喜城周辺はしばしば里見氏や上総武田氏の侵攻を受けた。特に土岐頼春(為頼の子)の代の天正16年(1588年)から同18年(1590年)にかけて里見氏による3度の攻勢が行われるが、いずれも土岐氏の勝利に終わっている(「万喜・長南合戦」)。だが、天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐においては北条氏に味方したことから、本多忠勝率いる徳川軍に攻め落とされ、米蔵跡と推定される場所からは焼米が出土されている。小田原征伐によって土岐氏は滅亡し、万喜城も廃城になったと考えられてきたが、近年になって本多忠勝が大多喜城に入る前に一時的に万喜城を居城としていたことを示す文書の存在が知られるようになり、実際の廃城は忠勝が大多喜城を居城としていることが確認される天正19年(1591年)頃とみられている。

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