犬を見て思う

犬は常にクンクンしている。

何かあった後、 状況確認のために五感を研ぎ澄ますのは理解できる。たとえば地震があった後でテレビをつけて情報収集するように。

犬は人をにおいで識別する。遊んでやると、初対面にもかかわらず足の匂いをかぎにくる。足がくさい私は犬に対し大変申し訳ないと思う。犬は目が悪いらしいので仕方がない。においで嫌われたらどうしようと、わきのにおいのする女のように心配したことはあるけれど、 キャイーンといって犬に顔を背けられたことは今までのところない。 私の古くなったサンダルの強いにおいを、あの嗅覚のいい犬がどうして耐えられるのか。

私のサンダルのにおいは絶対的にくさい。100人いたら恐らく100人はくさいという。 ある人には嫌いで、ある人は好きなにおい、それを相対的にくさいにおいとする。 私のサンダルはそう言う意味において絶対的にクサイのだが、 犬としての仕事、クンクンをいやな顔一つせずいつものように行う、実に犬らしい、犬のプロ根性。

認識を優先する場合、嫌悪感は度外視しなければならない。それは自分を度外視することである。 即ち、犬は認識のために自分自身を度外視している。

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