THE MOST IMPORTANT THING Howard Marks-2

ハワードマークスの投資哲学書、邦題「投資でいちばん大切な20の教え」より、

リスクについて。上がりそうな株を買うことはかんたんだが、リスク管理のほうがだいじであると述べる。

人はリスクがあっても最小化したがる。つまり考えようとしない癖があり、しっかり見つめる必要がある。リスクとリターンを天秤に掛ける必要があり、リスクがリターンを上回るかどうか、リターンに対して許容できるリスクかどうか。投資成績もリターンだけ見るのではなく、リスクを調整したリターンを見る必要があると述べている。

リスク調整後リターンについて。得られたリターンに対し、どれだけリスクを取っていたかを反映させたもの。シャープレシオは異なるポートフォリオ間で、個別の超過リターンを比較対象全体のリターンの標準偏差(ボラティリティ)で除して標準化したもの。つまりリターンから無リスク資産のリターンをひいた超過リターン(リスクプレミアム)を、リターンの標準偏差で割ったもの。学校の偏差値と同じでこの数値が高いほど成績が良い。シャープレシオ=1が偏差値60の相当し、上位16%に入る。シャープレシオ=2が偏差値70に相当し、上位2%に入る。

以下、本文より気に入ったところを書き留める。

ハイリスクな投資はリターンの確率分布の幅が広いこと、と一般に説明されるが投資家はそう思っていないという。

・リスクとはボラティリティであるとされているが、この定義に意義を唱える。投資家が、目標価格や予想リターンを設定する際に「ボラティリティ」をリスクとして織り込んでいるとは考えがたいのだ。(中略)(投資家が考える)リスクとは何よりもまず、資金を失う可能性のことである。

・本質的価値を大幅に下回る価格で資産を買えば、高リターンと低リスクは両立しうる。

・ベンジャミン・グレアムとデビッド・トッドは「証券分析」第2版で「リスクを数式化することはできない」と述べている。

・未来に起こるリスクの殆どは主観的で、見えにくく、定量化できないのである。

相場では、心理的にリスク(損するのではないか)を大きく感じるとき、実際のリスクはそれほど大きくないことがある。未来を予測することよりも、心理的リスクとどう戦うかかを考えることのほうが大事であると考える。リスクとは客観的なものではなく自分が作り出す要素が大きい、その場合感情に従っていて非論理的だ。

今回の疫病で「世界は終わりだ」とテレビを頻繁に見る人はリスクを過大に思っていたようだ。たちの悪い風邪(ただの風邪とまではいわないが)だと思っていたので、株を買い進め、今のところうまく行っている。リーマン・ショック後の協調介入後、急速に株価が回復したことを思い出し、協調介入はかならずあるだろうという予想もしていた。

投資に対して得られた結果に対しての評価について。やや哲学的というか物理学的になる。

・何かが起きたとき、それが起きるべくして起きたことを意味するものではない。

・不確実性の中でたまたまそうなった結果に対して、予想通りに上がったというのはまちがっている。100ある可能性の中の一つであったかもしれない。高リターンが得られたとき、投資判断が低リスクだったと思うことには慎重になる必要がある。様々な展開があり得た、ということがなおざりにされがちである。

・ナシーム・ニコラス・タレブが「運がいいだけの愚か者」と呼ぶ人々がおり、短期間ではこれらのものを有能な投資家と見分けることはとてもむずかしい。

不確定性原理がちらちら背景にあるようないい言葉たち。煎じ詰めるとつぎのようになる。目からウロコがおちた。

・エルロイ・ディムソンの言葉「リスクとは、将来、実際に起きることよりも、起こりうることのほうが多いという意味である」

最悪の場合の予測より悪くなることがあるし、行き過ぎた「最悪の場合」を想定する場合もある。そこには心理が大いに介在している。リスクがないと思いこむ状況が一番リスクが高い。一頭しか出馬しないレースが開催されると聞いて慌てて投票したら、その馬がレース途中で柵をやぶって逃げてしまった笑い話を引用しているが、バブルというのはリスクがないと皆で思い込む状態のこと。

高リターンを謳った商品は高リスクが当然であるかのように売られているが、それは疑問であることを述べている。

・バリュー投資家は、高リスクと低リターンが表裏一体の関係にあると見ている。

価格が高くなるにつれて、高リスクとなる。つまり、潜在的な上昇余地は小さくなるのだから。株が上がりきったところで買うのは高リスクであり、低リターンである。

・リスクを許容することは成功する投資の対極にある。

・リスクが生じる主因の一つは「リスクが低い」「リスクが全くなくなってしまった」という思い込みである。

・雪崩研究の専門家、ジル・フレッズトンは「安全装備を充実させると、登山者がより高いリスクを冒し、かえって安全性が低下する」という一種のモラルハザードリスクのことを知っている。

集団ヒステリーとか、集団が一方向に向くときに、リスクの評価がおかしくなる。バブルのときには皆がリスクが低いとリスクを「過少に」考える、一方、恐慌ではリスクが高い、世界は破滅だとリスクを「過大に」考える。

・リスクは投資家の行動が市場に変化を起こすときに生じる。投資家の買いが集中すると、もっと先々に起きていであろう資産の価格上昇に拍車がかかり、期待リターンが低下する。そして、強気で大胆になり、あまり懸念を抱かなくなるにつれて、投資家は適正なリスクプレミアムを要求しなくなる。追加的なリスクを負うことで得られる見返りが、リスクを取りに動く人が増えるほど小さくなっていくというのは、この上ない皮肉である。

・「リスクが高すぎると皆が言うものは、どんな価格であろうと買わない」。私がこの世界に入ってから幾度となく聴いた言葉である。この言葉が、これまで掴み取ってきた最小の投資機会を私にもたらしてくれた。実際人々はリスクに関して、リターンの場合と同じぐらい過ちを犯す。「手を出すには危険すぎる」というコンセンサスが幅広く形成されているとき、その殆どは間違いである。大抵の場合、真実は全く逆なのだ。投資リスクは、最もリスクがないと思われているところで、最も高くなっていると私は革新している。逆もまた然りだ。

・誰もが飛びつくような意見は、リターンが低くなる可能性だけでなく、リスクが高くなる可能性をも生み出すのである。

「誰もが飛びつくような意見」という言葉は気が利いている。ものすごく馬鹿にしている感じが良い(笑)

~p106まで

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