THE MOST IMPORTANT THING Howard Marks-3

ハワードマークスの投資哲学書、邦題「投資でいちばん大切な20の教え」読書、つづき。p107から。

リスク調整後パフォーマンス(シャープ・レシオなど)は軽視されリターンばかりに芽が向かうことを戒める。筆者はリターンが多いことより低リスクを取るものがすぐれた投資家という。

・重要なのは、損失が生じなかった場合でもリスクが存在していた可能性を認識することだ。

リスクを理解した上で不人気であっても受け入れる(人気があるところは高リスク低リターン)ことがすぐれた投資家であると。不人気だからこそローリスクハイリターン、筆者は逆張りのバリュー投資家。

・私は過去何年にも渡って、リスクの高い資産も十分に安い価格で買えば、良い投資パフォーマンスを実現できると説いてきた。

極端にボラティリティが高くなったり、巨額損失が発生したりすることはまれにしか起きない。しかし、現実には弾倉数の多い、かつ弾が一つのロシアンルーレットをプレイしているようなもので、そのことを忘れがちである、という。

・ナシーム・ニコラス・タレブは「まぐれ」で述べている。「現実はロシアンルーレットよりはるかに厄介だ。第一に、命取りとなる銃弾に当たる確率はかなり低い。リボルバーに六個どころか何百個何千個も弾倉がついているようなものだ。何十回か引き金を引くうちに、人は一個だけ装填された弾丸の事を忘れ、神経が麻痺して安全だという錯覚に陥る。・・・第二に、ルールが極めて明確で、6を使ったら掛け算や割り算ができるものならリスクを見極められるゲームのロシアンルーレットと違い、現実というロシアンルーレットでは銃身が目に見えない。・・・だから人は、知らず識らずのうちにロシアンルーレットに参加し、「リスクが低そうな」他の名前でそれを呼んでしまう可能性があるのだ」

・殆どの場合、人は最悪の事態に備えることはできない。(中略)起こりそうにない災厄への備えにどれだけ力を注ぐべきか、考えを巡らせてきた。

地震と津波が一定のサイクルで、忘れた頃にやってくる。特異な事象を想定し理解していても、そのリスクを承知の上で様々な活動を行って生きていかざるをえない。

次に、リスクコントロールとリスク回避は異なると述べている。

・リスクコントロールとは、損失を回避するのに最適な手段である。一方、リスク回避は結果として利益回避にもなる可能性がある。

・オークツリー(筆者が運営する投資会社)の投資哲学では、「リスクコントロールの重要性」が第一の基本理念となっているが、これはリスク回避とは全く別のことである。

・十分な見返りが得られるときにリスク(特に他のものが極度に嫌うリスク)を取ることで、我々は顧客に付加価値を提供しようと努めている。

リスクを管理する(≒分析する)ことがすぐれた投資家のしるしであると。多少リスクがあっても高リターンが得られると判断すれば進んで投資することがリスクコントロール。

リスクのハナシから、「物事にはサイクルがあり、人はそれを忘れたときに損失を出すことがある」という、サイクルに注意を向けよ、と。外的な要因のみならず、そこに心理要因が付加されて振れ幅がおおきくなる。

・サイクルの極端な振れは、もっぱら人の感情や欠点、そして客観性と一貫性が欠けていることに起因する。

恐慌状態でも企業の本質的価値を信じ、慌てて売らないで持ち続けたりすることはとても難しい。恐ろしくなって売ってしまったりするのが人情。

筆者は信用サイクルと言う言葉を用いて説明する。景気が良くなって与信基準が緩和し、レバレッジが積み上がる。債務不履行が発生しバブルが崩壊するという理解をしていたが、このサイクルの中で金融機関が一定の悪役を演じ、崩壊の下地をつくる。景気が良いと金融機関はどこにでも貸すようになる。そこでおきること、

・金融機関はマーケットシェア競争のために、要求リターンの引き下げ(金利の引き下げなど)、与信基準の緩和、特定の取引を対象とした資金供給の拡大、契約条件の緩和などを行う。これが行き過ぎると、金融機関は本来なら融資に値しない借り手やプロジェクトに資金を提供するようになる。(中略)「最悪の融資は景気が最も良い時期に行われる」のだ。その結果資本破壊が起きる。

投資回収率がさがると、金融機関は貸し渋り、与信基準の厳格化が起き、企業の資本不足、債務の借り換え不能が起き、デフォルトが発生する。このサイクルが信用サイクル。

債務不履行が連発するようになれば一つのサイクルの終わりのタイミングだと認識していたが、その一歩前の金融機関の立ち居振る舞い、シェアあらそいのため低金利で回収不能な案件にも投資しするようになること、これがバブル崩壊の序章、ここに目を向ければ、予測の手がかりになる。貸し手の存在こそメインプレーヤーで、借りた人が悪いみたいな解釈は一面的だと考える。

・寛大すぎる資金供給者は、往々にして金融バブルを後押しし、あおる。

・投資家は好調時の企業を過大評価し、状況が悪化すると過小評価する。

・それでも、10年に1度ぐらいの間隔で人々はサイクルがなくなったと思いこむのだ。

・サイクルはなくなった、という思い込みは「今回は違う」という危険な前提に基づく考え方の典型例だ。

そのサイクルの中で、どこで投資するか。相場が低迷しているときに買え、相場が好調なときは慎重に。

・相場が低迷し、周りの誰もがタダ同然の価格で売り叩いているときがそうだ。相場が過去最高の水準にあるときに、過去に一度も実現していない都合の良い理屈に飛びつこうとするのは危険である。だが、人はこうした過ちを犯してきたのであり、それはまた繰り返されるのだ。

次に投資家の心理が両極に振れやすく、中心にいることが少ないと述べる。それを中心にいることが一瞬である「振り子」で例えている。

・こうした振動は投資の世界に見られる極めて確かな特徴の一つである。そして投資家の心理は振り子の「幸せな中心点」よりも、両端に長く位置するように見える。

筆者は強欲と恐怖が支配するとき、その両極で投資家のリスクに対する姿勢は一定ではないと考えている。金融理論では(常に)リスク回避的であることが大前提となっている(高めのリスクを「優先せず」高めの期待リターンという見返りがなければリスクを取らないという)が筆者は次のように言う。

・高リスク投資から確実に高いリターンが得られるというのは矛盾した話だ。(中略)投資家のリスク許容度が高いとき(景気がよくて)、証券価格はリターンに見合うよりも大きなリスクを内包している可能性がある。リスク回避的なとき、リスクに見合うより大きなリターンが得られる時がある。

振り子の例えを使って、筆者は、振れた振り子は必ず戻るという含みで、「行き過ぎた相場の動きは反転する」と述べる。未来永劫振り子が一方向に進み続けることはない、という。スイッチング回路というより振り子、それは必ず変曲点が発生し、自律的に反対側にベクトルが変わる。

~p142

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