昔々あるところに、一匹の飼い犬がいた。その犬は飼い主にとても可愛がられていた。しかし飼い主の可愛がり方が屈折していて、少々叩く。犬は少し痛いのだがそれは飼い主の犬への愛情だと信じていたので、叩かれるたびにキャインと一つ喚くが我慢しむしろ喜んだ。

ある時、飼い主は気分に任せ思い切り犬を叩いた。あまりの痛さに犬は、「はて、叩かれることを愛情だといままで感じていたけれど、今日のは度が過ぎる・・。叩くということ自体、自分が愛されている、そう思いたいからそう思い込んでいただけではないのか。」と考えなおし始めた。「飼い主は、実はわたしを追い出そうとしているのではないか、別れたいのだろうか」、そう考えが至るほど強く、叩かれた。

犬は考えこみ、結局家出をし、戻ってはこなかった。鎖などもともと解けていたことを実は犬も知っていたし、飼い主もわかっていた。家を抜け出すのは簡単なことだった。飼い主の愛情を信じたかったが、このまま叩かれ続けるといずれ死んでしまうと犬は思い、ある夜、家を去った。

飼い主は愛犬が庭からいなくなってしまったことに慌てた。徐々に叩く強さが強くなっていたことを振り返った。それは飼い主の犬への甘えであった。相手の希望しないことをやってみせ相手がどれだけ我慢するかを、犬の飼い主への愛情の大きさの反映とみて確かめているふしがあった。叩く強さが徐々に強くなっていたことに気づいてはいたが、それをやめられなかった。昨日よりもっと愛情を注いでいる気になっていた。犬が見当たらなくなってはじめて、どれほど強く自分が犬を叩いているかに気づいて自分を責めた。犬が消えてから、飼い主は飯が喉を通らぬほど嘆き悲しみやつれた。

それでもある日、犬は家の近くにこっそり帰ってきた。犬は、そういう表現しか出来ない飼い主を少しも恨んではいないし、むしろ、離れていても優しい飼い主のことばかり考えていた。一時的に強く叩かれたことだけで、今まで飼い主が自分に注いでくれた愛情をすべて否定するのはおかしいとも考えた。あれは一時的な間違い、そう思いたかった。だが一方で犬は、飼い主が別れたがっているからあれほど強く叩いたのでは、との疑念をまだ拭えずにいた。犬は家をそっと覗いてみた。庭の犬小屋の前で憔悴しきった飼い主が座って泣いていた。それを見て犬は頭がすっきりした。またいずれこっ酷く叩かれるのかもしれないが、この飼い主のもとに戻ろう、犬はそう思った。

(終わり)

更年期の人に結構噛み付かれるんです、という泣き言を表現する動機で書き始めたことは、敢えて伏せておくか迷ったが、何を私がとち狂って童話を書くのやらと御心配される方がいても逆にいけないので明記しておく。

コメント

  1. CarMac より:

    I like the animals but not pets. Animals must be free.
    Always with Honda. I had two hondas ️.

  2. yopioid より:

    Thank you for your comment, CarMac.
    I completely agree with you.
    I am against human beings arbitrarily keeping pets.
    Except when abandoned cats come to beg for food.
    I like Kawasaki. Kawasaki is very macho.
    SUZUKI is maniac and perverted. Lol

  3. CHIRICO より:

    人は失ってから、その本当の価値に気がつく。
    そして再び手に入れても、また同じ過ちを犯す。
    愚か故に愛おしい生き物ですね。

  4. yopioid より:

    本当にそう思います。
    身の回りのことや人は、無意識のバランスで成り立っている気がしています。
    人同士で譲るところは譲り、尊重し合う。バスの中では知らない人にそれができるのに、
    身内だと強情をはってしまいます。

  5. CarMac より:

    Thanks yo You.

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