菅沼合掌造り集落

合掌造り集落に抱いていたイメージが覆った。つまり、雪の深々と積もる古い日本家屋を保存してある”美しいおとぎ話の世界”だけではなかった。機能的に重要な「火薬材料を作る場所」であり、流刑地でもあった。旅は行ってみないとわからないものだ。予習しないで初見で何かを感じ、現地で驚き、家に帰って勉強したくなるような場所が好きだ。

簡潔に。五箇山は①加賀藩の流刑地であったこと、②塩硝の秘密製造所であったこと(火薬成分の工場)、③こきりこ節の生まれた土地であること。④倶利伽羅峠の戦いで源義仲に破れた平清盛の孫、平維盛の残党が逃げ込んだのが五箇山であるということ。五箇山地方は複雑な歴史を持っている。

<黒色火薬=塩硝+木炭+硫黄のブレンド>

幕府の目が届かない秘境で、火薬の原料を300年以上作っていた、加賀藩の秘密施設。

黒色火薬は火縄銃時代の火薬、今は花火ぐらいにしか使わない。黒色火薬は”木炭”と”硫黄”、それから酸化剤として”硝酸カリウム”(=硝石(天然もの)または塩硝(人工))を塩梅良く配合してできる。黒色火薬とは、3つのパウダーを混ぜたもので、カレー粉や七味みたいにスパイスを混ぜた状態ににている。黒色火薬が黒いのは木炭の黒。日本は森林が豊富で火山も有ることから、①木炭も②硫黄も豊富に有るが気候が乾燥した場所にしかできない”③硝石”が採取できないので輸入か製造(塩硝)に頼る。製造を担っていたのがこの地域。製造技術は本願寺から伝えられた。

この地で出来た塩硝。

黒色火薬、ガンパウダー。塩硝+硫黄+木炭をブレンド。

”2KNO3+S+3C→K2S+N2+3CO2”

この化学反応でドカンと爆発。

<五箇山の塩硝製造法>

簡単に言うと、人畜の”ウンコ”と適切な草(草選びが大事)を混ぜて5年培養すると原料の土ができる。一種の発酵。土(塩硝土という)を、炭酸カリウム(草木灰、灰汁ともいう)と混ぜて溶かすと硝酸カリウム溶液ができ、それを結晶させると塩硝(硝酸カリウム結晶)ができる。溶解結晶を繰り返し、火薬材料に資する高純度とする。

<五箇山地方は流刑地であった>

加賀藩が不要とした人たちを送り込んだ。学問に優れた文化人や、社会指導者も。出身地が様々の遊女も流された。重税減免を請願した金沢の農民の代表も強訴あつかいで罪人として五箇山へ。お家騒動である加賀騒動で濡れ衣を着せられ失脚した大槻伝蔵もここへ流された。正義を貫いた国事犯の趣もあり、その点は北海道の集治監のようだ。

周囲を1000m級の山々と庄川の峡谷に囲まれた陸の孤島、稲作も出来ず天保の飢饉では住民の4割が死んだ脆弱な地域。流人の脱走を防止するために架橋がゆるされず、ぶどうの蔓が一本わたして有るだけで次の図のような籠渡しの方法があった。菅沼集落周囲の庄川渓谷は下図より遥かに深い。

高山市図書館/高山城下町・飛騨国絵図 https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11E0/WJJS06U/2120315100/2120315100100030/ht010950 より引用

軽犯罪者は拘束の程度は緩かったが、重犯罪者は流刑小屋に監禁され自由を奪われた。別の地域には監禁小屋が”観光地”として保存されている。

<こきりこ節とはコキリコという楽器を打ち鳴らし、踊り手が板ザサラをもって踊る民謡>

この地域の民謡は日本で最古。板ザサラ(びんざさら)を使うことから中世の田楽と関係があるだろう。曲には能登地方の地名がつけられているものもあり、配流された人々のもたらした文化と関連があることは想像に難くない。ただ民謡のそれぞれの詳細な起源はわかっていない。陸の孤島にあるがゆえに明らかな輪郭をもって、流された人々によって伝えられた往古の石川の無形文化が保持された地域であると想像する。穿った言い方をすれば、入ったら出られない文化の行き止まりである時代があったゆえに民謡が集積されたのだ。その点では佐渡島に育まれた豊かな文化の背景と似る。

こきりこ節・麦屋節・長麦屋節・早麦屋節・小谷麦屋節・古代神・小代神・四つ竹節・といちんさ節・お小夜節・なげ節・五箇山追分節・神楽舞・古大臣・しょっしょ節・草島節・輪島節などがあるそうだ。こきりこ節動画、なんだかホロリと来る。次のサビの歌詞は意味がまだわかっていないらしい。

♪まどのさんさはででれこれん、はれのさんさもででれこれん♪

五箇山民謡こきりこ節 ささら踊り

まとめ、菅沼合掌造り集落にふわふわした気分で行った分、ダークな歴史を知って衝撃が大きかった。倶利伽羅峠の源平合戦で平家が落ち延びた五箇山、後の時代には火薬原料が秘密裏に作られた。流刑地として地域的隔絶を保つためにも庄川には架橋が許可されず、文字通り”陸の孤島”を余儀なくされた地であった。現在は高速道路のアクセスが非常に良く、もはや秘境とは言えない。ただ確かに言えるのは、ドライブついでに気軽に行ける場所では無いということ。

いつも読んでいただきありがとうございます。

コメント

  1. 五箇山がそんな場所だったとは知りませんでした!(゚д゚)!
    流刑地は佐渡島だけかと思ってました…(^-^;

  2. yopioid より:

    江戸時代には領内の山奥や、島を流刑地にしていたようです。
    暴力犯罪より、政治犯・国事犯ほど遠くに追放する傾向が有るようです。
    古代の流刑は特権階級に対する刑罰で、政治的な意味合いが強かったようです。
    昔は皇族が活発に跡目争いをしたりして、負けた側が島へ配流されたりなんかザラにありました。
    本文には書きませんでしたが「五箇」は全国に地名があり、平家の落人の集落につけられた符牒と言う説があります。
    この五箇山もその伝説があります。

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