ゴミに紐付けられた記憶

粗大ゴミを持ち込みで捨てた、50キロとカウントされ1480円。車ごと秤に乗りゴミをおろした後の差分を従量的に支払う。

ゴミとの最後のお別れの場所はまるで地獄の総合受付のようだ。つまり閻魔大王が、トプトプとアブクが煮えたぎる釜の前でふんぞり返っている、あそこ。死ぬときにおそらく来るであろう子供の時に見せられた教育画のような。火山の噴火口を覗きみているような気分、火葬場にも似ている。その先に投げ込まれた瞬間に、昨夜まで我が家を照らしたシーリングライトは機能する望みを全て失い、この世から消滅する絶望の中で一段低くなったゴミの山に衝撃され一部となる。蛍光管は見えないところで無惨に弾け散る音を響かせた。まだ灯が点くのに私が捨てたのだ。蛍光管が弾ける音が夜になっても耳に残響している。もうすでに煉獄の中だろう。もう少し穏やかな雰囲気で係員に投げ入れやがれというのは無理なオネガイだろうが、愛着のあるものをコレと渡すとポイっ!と無情に投げこみやがったあと、じっとこっちを見る、何だこいつは!嗚呼という暇もない。係員がもうゴミはおわりか?と聞いてきて、ふと我にかえり、車内にまだ積んだゴミがあることに気づく。こんな私の性格だからものが捨てられなかったのだ。悔しいから捨てる予定の箱を一つ持って帰った、あの野郎。。。

時代遅れのパソコン、20年以上前の80Gバイトしかないハードディスク、20年以上使った蛍光管シーリングライト。なぜってLEDに変えたから。本棚やIKEAで買った安っぽい容器もすてた。フマキラーの缶はいつから持っているのか忘れるほど錆び付いていたので中は入っているが捨てた。音楽のコンパクトディスクは大量に捨てた。ネットで高音質が聴ける時代に触ることもなくなった。

使った記憶が出てきて邪魔をし、もう使わないのにまたあの時のように使うかもしれないと考えてしまう。記憶をたどるのは楽しいことで、プリント写真を見るのと同じように”あの頃の記憶”が海馬の奥底から蘇って小躍りして楽しませる。ゴミはそうやって我が家に居付く。

辞書的な優れた記憶力を持つ親が色々な理由を言ってきてモノを捨てたがらない。不機嫌になるのを承知で実家の薬品箱を整理した。30年前の軟膏や黄色くなったガーゼなどどう見ても使えないものを捨てた。今思い出して酷いことをしたと反省、まるで閻魔大王じゃないか。

黄色いガーゼひとつに記憶が滲みついて、黄色いガーゼを捨てれば、ガーゼを使った時の記憶も一緒にゴミとなる。そこに別れがたさを感じて親は不機嫌になったのだろう。殊に年寄りは過去の記憶に生き、今を生きてはいない。過去の記憶に立脚しその変化を極端に嫌う。言うまでもなく記憶とは人格そのものである。過去の記憶を呼び覚ますものが消えることはその人の人格の基盤を揺るがすようなことだ。

今回、勢いよく自分のものを捨てたのだけれど、心にぽっかり穴が空いてしまったかのようで不安である。

気温は33度も湿度41%と外は意外に快適です。お身体に気をつけてお過ごしください。

コメント

  1. agehamodoki より:

    ゴミとゴミのようなものは客観的に見ると同じですが
    個人の持ち物であると全く別物ですよね。
    モノに価値が無くなっても染みついた思い出を捨てるのは勇気がいります。
    自分が生きて来た過去を否定するようで・・・
    そうしてゴミが山となる。思い切ってゴミを捨てられたことに拍手!

  2. yopioid より:

    思い出は、思い出させるという他動詞の名詞で、思い出すではないように思います。ゴミのようなもの自体が追想させる機能をまだ持っているというときに、思い出があるいうのでしょう。今風に言えばリマインダー機能が残っている。他人のゴミのようなものに、そのような配慮をできる人になりたいです。