クイズダービー

8時だよの前はクイズダービー。漫画家のハラタイラが、大学教授の篠沢秀夫より正解していく。今考えればいかにもTBS的な天地をひっくり返した”革命”劇場。「宇宙人、ハラタイラさんに全部」と参加者が色々と賛辞を添え、持ち金全部を賭ける。期待通りに外す「篠沢教授に全部」というのがギャグにもなった。ともかくハラタイラはヒーローで篠沢教授は。。。だった。

篠沢秀夫教授はアホウかと思うほど本当によく間違えた。そのことをよく我慢するもんじゃ、といらん事を考えた。悔しくておちこまないだろうか、学生に「俺たちの教授は大丈夫か」とバカにさりゃあすまいか、あるいは無神経なんじゃろうかと。篠沢教授の風貌と、誤答してもニコニコヘラヘラした雰囲気とが相俟って、30分後のドリフの高木ブーと二重写しになった。

篠沢教授はフランス文学がご専門らしいがフランスの問題で間違えたりした。ブリジット・バルドーがケツを拭くのになんの本をつかったかという問題に「辞書」と不正解。正解は「聖書」で篠沢教授を除いてあと四人は皆な同じ答えで正解した、ヤラセ臭いけど。篠沢教授の落ち着かない所作や聞き取れない早口。「ああ見えてフランス語はできるんですよ、見えているものだけで人を判断してはいけません、教授なんだから偉い」ということに忍従させられる番組でもあった。学者は世事に疎ければ疎いほど、もっと言えば世事に疎いがためにそれだけ一層ああスゴイ学者なんだ、と思わなければイケない世の決まり事でもあるのか、と。

だが社会生活を経て篠沢教授に対する理解は全く変わる。すなわち「自分のできないところは出来ないと包み隠さず表明するほうがよいこと」を実践していたと思えるからだ。特に知識を必要とする仕事では「知らないことを知らないと割り切ること」は専門分野への注力を促す。出来ないことを出来ないと言うのは恥でもなく、クライアントにとっても適切である。バッターボックスで苦手な球を見送り狙い玉を絞るということは結果につながる。自分の得意分野とそれ以外とをきっちり区分けして専門を深耕し、専門外を専門家に任せるのがプロ。自分のわからないところはよく分かる人をリストアップして親しくしておき、適切に紹介し、決してわからないまま仕事しないように心がけることが肝要。自分の領分を弁え、それ以外は素人レベルで良いとわりきってなまじいに返事をしないこと、これらプロの専門家としての自然な振る舞い、それがあの篠沢教授に現れていたのだ、ただし不正解率として。篠沢教授がごく自然に無理をしていないように今は見える一方で、こんどは逆にハラタイラが無理をしていたのではないか、と思うに至った。実はハラタイラは番組が終わるごとに胃が痛いと言っていたらしい。演出された”天才ハラタイラ”は顔に肉の少ない神経質そうな顔をしていて「宇宙人」とあだ名され、専門分野というものをおよそもたない一方で恐ろしいほどの「博学」を披露した。クイズの回答のとき以外はシャイそうでほとんどハラタイラは喋らなかったから、より一層宇宙人らしく見えた。だが、実生活や他の仕事ではアドリブが効かなくて自分を責める性格であったらしい。クイズダービーのおわった数年後のテレビは「ハラタイラはうつ病でアルコール依存で更年期障害」と伝えた。私はショックを受けた。あの憧れのハラタイラが、だ。所詮は劇場だったのだ。

篠沢教授の対極にいる宇宙人ハラタイラはオールマイティー、よろず屋、なんでもできる、広く浅くのジェネラリスト、オールラウンダーであった。正答しても驕り高ぶったガッツポーズをすることもなく、どうにか明日へ凌げたというふうな安堵の表情。多方面に様々な興味が湧く人だと思っていたが、ハラタイラのそれは努力に裏打ちされた薄氷を履むような毎週を過ごした結果であり、”宇宙人ハラタイラ”らしく振る舞うことを求められ猛勉強していたのではないか。ピエロを演じながら、裏腹に脆弱な要素を抱えていたのではないか。

学がある篠沢教授みたいな人は一つのことを偏執的に突き詰めて楽しむ人だ。自分の好きなことだけをやるために出来ないことは割り切って最初からやらない。出来ないことをやらないことに羞恥心はない。ハラタイラはおそらく一生懸命勉強して全般的な正答率を上げるために苦手分野も克服し、クイズダービー視聴者が望む自分を演じていた。それは言ってしまえば不自然で痛々しいことだ。

「器用貧乏」という言葉が浮かぶ、私事で恐縮だがかつて私はどんなお客が来ても一通りの対応が出来るようハラタイラのように努力してきた。僻地で仕事を始めたのでそうすることが当然の姿だと信じた。頼まれると断ることせず、一からでもその都度勉強をして泥縄でも何でもやるようにした。仕事を断らない、断らないことが良いことであると信じ、仕事を抱えた。その積み重ねもあって視野が多少広くはなった。仕事を断って相手が困るのだけは避けたいという気概のようなものに支えられていた。昨日まで応じた仕事を断るのは一貫性がないと言われそうで、恐れながらそうし続けた。

僻地から都会に勤務が戻ってもその癖は抜けず、便利屋だと思われるようになり、そのうち「最初から専門しかやらないことを宣言している人々」に利用される構造が気になり始めた。前は気にならなかったことが気になり始めた。そもそも客のためになんでも屋をやっていたのだが、同業者にまでなんでも屋として使われ始めて疲れをため、私は徐々にやる気を無くした。専門資格もとったが「専門もあるなんでも屋」になっただけでジェネラルな仕事にスペシャルな仕事が余計に載っただけで余計忙しくなった。

大した専門家でもないのに資格があるだけで専門家ヅラをし、専門領域に閉じこもる人々を数多見て来た。そこから「資格は人をダメにする」と今も考えている。専門を口実に専門外をよそに回す。エセ専門家が目に余る。

逆に、専門領域があるにもかかわらず、専門の枠に留まらずに年をとってもオールマイティーに断らずに仕事をしている人を心から尊敬する。彼らはやせ我慢をして、武士のように自分を捨てて忠義やポリシーを貫いている、ように見える。私は篠沢教授にもなれなかったし、ハラタイラにもなれなかった。結局、仕事を減らすことで負担を減らして数年経過した。睡眠が取れるようになり慢性化していた片頭痛は激減した。多分ハラタイラのように無理をしてたのだろう、などというオチです。

おっと、ネガティブになってしまいました。愚痴です、たまには許しておくんなまし、じゃあの!

コメント

  1. 見てましたね~、クイズダービー。
    はらたいらは天才なのかと思ってました…(^-^;
    yopioidさんは、何でもできるスーパーマンなんでしょうね(^_-)-☆

    全然関係ない話ですが、篠沢教授は、「ベルサイユのばら」のオスカルの軍服が、この時代の形と違うと池田理代子に抗議したんですよ(笑)
    池田氏は、本当の時代の軍服を着ると、オスカルがカッコよくなくなるってことで却下。
    宝塚も池田理代子の漫画のまま舞台化したそうです(^^)/

  2. yopioid より:

    何でもかんでもやろうとして、私は全て中途半端ですよ。。
    顎が外れた人を戻したりするテクニックなどは役に立ってますかネ。

    篠沢教授の指摘は相当な愛を感じます、フランスへの、そしてベルばらに対するのも同じぐらい。
    言わずには居れなかったのでしょうね~。
    大変面白い逸話を教えていただきありがとうございます。(・∀・)

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