アラビア太郎 その1

山下太郎さんの伝記。60歳でアラビア油田を開発だけでもすごいが、満州に住宅を5万戸建設して、戦後全て資産を失うところもすごい。戦後は電電公社の建物などを建て、60歳を過ぎてアラビアの国王と油田利権交渉。楠公の25代末裔、札幌農学校出身。すごい人だ。クラークの薫陶というのはすごいんだな。新渡戸稲造も札幌農学校。

わからない言葉を調べた、ただのメモです。

アラビア太郎(講談社) [電子書籍]
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カンカン帽   

田中帽子店より引用

函館の 青柳町こそ かなしけれ 友の恋歌
矢ぐるまの花
石川啄木

↑函館の青柳町時代はとりわけ懐かしい。友の恋歌をきいて楽しんだあの頃の生活よ。家の周囲に咲きにおう矢車の花の思い出よ。注・・かなし=愛し。いとしい、身にしみて思う。

函館から札幌に行く途中に汽車が小樽に寄っている。昔は、函館から小樽経由の山線と室蘭経由の海線があった。

歴史① / 札幌~函館 特急「スーパー北斗」「北斗」 - 北海鉄旅いいじゃないか

夜中に腹が減り、食堂に忍び込んで「いがみの権太」をやる

いがみの権太・・・義経千本桜の三段目の「鮨屋」の主人公、札付きのならず者であったが父弥左衛門が匿う平維盛の命を救うために一計を案じる。

いがみ・・・歪み、悪人悪党の意味!「かねて工(たくみ)の—の男、腕まくりして」〈浄・千本桜〉

札幌農学校・・・山下太郎の出身校。札幌農学校は、日本で初めて学士号の授与権が付与された高等教育機関であり、北海道大学では札幌農学校を日本初の学士の学位を授与する近代的大学として位置づけている。札幌農学校は札幌、ひいては北海道の開拓の歴史と密接に繋がっており札幌の発展に伴って規模も拡大し、東北帝国大学農科大学、北海道帝国大学、そして現在の北海道大学へと発展した。札幌農学校時代の建造物は、現在でも北海道大学構内及び同大学植物園に数多く残されている。旧演武場と旧寄宿舎は札幌市と北海道にそれぞれ移管され、前者は札幌市時計台として、後者は北海道開拓の村の展示施設としてそれぞれ保存・展示されている。

663highland, CC 表示 2.5, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=29660850による

札幌農学校は口の悪い連中から百姓学校、山師学校、伯楽学校(ばくろう)と呼ばれた。百姓は農学科、山師は林学科、伯楽は獣医科である。

エルムの大木・・・我が国のハルニレと同種 

ハルニレ・・・アイヌはハルニレをチキサニ(われら擦る木)と呼び、ハルニレ材を摩擦させる発火法で火を起こしていた。アイヌの伝承によれば、天地創造の折、地上に最初に生えた木はハルニレであり、そのハルニレにカンナカムイ(雷神)が恋をして(落雷)起った炎から、アイヌの英雄神・オキクルミが生まれたという。

髪は流行の廂髪に結っている。・・・庇髪、明治30年代ごろ、女優川上貞奴(かわかみさだやっこ)が始めてから、大正の初めにかけて流行。また、女学生が多く用いたことから、女学生の異称ともなった。

江原素六・・・東京生まれ、勉学好きで19歳で砲学校で教える。沼津に移り住んだ素六は、沼津兵学校をつくり、優秀な人材を育てました。政府の命令で兵学校が廃止された後も、集成舎(現在の沼津市立第一小学校)、沼津中学校、駿東高等女学校(現在の沼津西高校)などをつくり、沼津の教育に尽くしました。また後には、東京にも麻布中学校をつくり、その校長を長くつとめました。

江原素六の肖像画
江原素六

田中平八・・・明治の相場師、生糸・洋銀で財をなした。伊那の人。水戸天狗党の乱に参加、小伝馬町に投獄されたことがある。1865年に横浜で糸屋平八商店を開業。1872年横浜金穀相場開所を設立、洋銀相場会所を設立、相場師の諸戸清六今村清之助と組んでイギリス人貿易商や清国人商人を相手に仕手戦を仕掛けるが、負けそうになったことから、偽札を作り見せ金とすることによって勝利。しかしこれが露見し横浜の商売から手を引くことになった。1878年東京で東京株式取引所を設立し、同時に大株主となる。1883年東京米商会所(後の東京米穀取引所、現在の東京穀物商品取引所)の初代頭取に就任。

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田中平八

「むかしから目病み女に風邪引き男というじゃないか」・・・p74 目をわずらっている女は、その潤んだ目つきが男心をそそり、風邪をひいている男は、鼻にかかった風邪声が女心をくすぐる。色恋も流行り病の一種という皮肉な見方も感じさせます。

「それは助六みたいに紫色の鉢巻をしている人の話よ」・・・病鉢巻 病気のときにする鉢巻。特に、歌舞伎の扮装の一種で、病体を示すためにする鉢巻。(コトバンク)

雁皮紙・・・P80 ジンチョウゲ科の雁皮という植物の皮を原料にした和紙。その光沢のある質感や風格から「紙の王」とも呼ばれる。

雁皮紙
https://haibara-shop.jp/?pid=1296914 より引用

土性骨を叩き直してもらってこい・・・どしょうぼね「ど」は接頭語で「土」は当て字 1 性質・根性を強調、またはののしっていう語。ど根性。「土性骨をたたきなおす」2 人をののしって、その背骨をいう語。「土性骨をへし折るぞ」

吉岡 艮太夫・・・海防事務取調方、幕府海軍創設とともに軍艦取調役、護衛艦「咸臨丸(かんりんまる)」に、軍艦奉行である木村摂津守の秘書兼公用方、操錬所勤番事務長として乗船。帰国後は、神奈川奉行支配定番役頭取取締、新番、長崎奉行支配組頭、大阪町奉行支配組頭、別手組頭取取締。矢祭町HPより引用。

http://www.town.yamatsuri.fukushima.jp/data/img/1504685438_26.jpg

吉岡 艮太夫 の子孫 小島長蔵の娘と山下太郎が婚姻。

内田信也・・・山下亀三郎、勝田銀次郎と並ぶ三大船成金の一人。三井物産を経て船舶ブローカーを設立直後に第一次世界大戦、荷動きが減り傭船料が下がった時に逆張り、造船所も経営(後の日立造船)。

中村照子・・・鉄物商の妻。大戦前、鉄が暴落した時に鉄を買う。

山本唯三郎・・・札幌農学校農芸科出身。

FOBとCIF 関通流通用語辞典より引用。

CIFは危険負担はFOBと同じく船舶上に積み込んだ時点で輸出者側に移りますが、費用負担は輸出者側が負担するということ

FOBとは?
FOBとは国際貿易取引条件の中の1つの条件のことを指します。海外とのやり取りを行う上で、よく使用される用語となっております!今回は、そんな『FOB』についてご紹介しています! ▼ブログでもFOBの内容を説明しております! ▼物流業務でお困りの方は...
FOBとCIFの違い

御膳汁粉・・・落語 士族の商法 http://sakamitisanpo.g.dgdg.jp/gozennsiruko.html

台閣の諸侯・・・台閣=内閣 

山本達雄・・・大分県出身。明治後期から戦前昭和期の日本の銀行家・政治家。43歳で第5代日本銀行総裁に就任後、政界に転じて貴族院議員、日本勧業銀行総裁、大蔵大臣・農商務大臣・内務大臣・立憲民政党の最高顧問を歴任した。政界の長老的存在。

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井上準之助・・・大分県出身。日銀、横浜正金銀行、のちに高橋是清の計らいで日銀総裁に任命。日銀総裁時代に起きた昭和金融恐慌の際には高橋と共に混乱の収拾にあたった。第2次山本内閣で大蔵大臣。金融システムの安定と経済界の整理を推進する井上に対し、銀行の正当化を進める田中政友会が衝突。金本位制への復帰を目指す立憲民政党の濱口雄幸からの依頼で大蔵大臣として入閣。濱口雄幸の退陣後の第2次若槻内閣でも再び大蔵大臣、金解禁政策を堅持。井上蔵相は緊縮財政。海軍の予算削減なども。のちの統帥権干犯問題と自身の暗殺へとつながる。若槻内閣が内部分裂で倒れると井上財政は終焉し、高橋是清蔵相の元で積極財政を推進する政友会の犬養内閣が成立した。蔵相時代の経済の悪化などを理由に血盟団の暗殺の標的となり、昭和7年(1932年)2月9日、選挙への応援演説に向かう途中の道で小沼正により暗殺された(血盟団事件)。wikipediaより引用。

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コメント

  1. agehamodoki より:

    明治から昭和初期にかけて、
    近代日本の草創期は実に色んな人が出たのですね!
    それにしても力強く凄い人ですね。
    今はそうした人が出難い世界でもあると思います。
    じゃぁ、あんたはそんな時代に生きたかったのかと言われても・・・
    やっぱり小市民で終わっていたかな(笑)

  2. yopioid より:

    こんにちは。コメントありがとうございます。
    筆者杉本さんはアラビア太郎(山下太郎)の力強さや決断力、行動力について、事あるごとに札幌農学校で受けた薫陶によるところと書かれていました。「住民の利益を尊重する」という考え方で未開の台湾で糖業を育成した新渡戸稲造さんもまた札幌農学校の出身です。北海道開拓にアメリカ人が指導的役割を果たしており、アメリカ人の開拓精神、フロンティア・スピリットを叩き込まれたのかなあなどと読んでおりました。山下太郎はまた、見込みがないとわかると積み上げてきた調査結果を捨ててさっと引く決断をできる才覚が人並みではなかったとありました。ドライに割り切る一方で、人にどんどん踏み込んで関係を築いたり、部下にも贈り物を忘れない人であったそうです。
    時代によって守ることに向いた人と開拓に向いた人とが、それぞれの才能を発揮するのでしょうかね。
    アゲハモドキさんはひょっとしたら守りの今の時代より開拓時代に花開くアゲハモドキ太郎さんだったかも。余計なことを言いました。。

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