壬生義士伝 浅田次郎 上巻

壬生義士伝を読んで、わからない言葉を調べました。個人的メモです。

南部藩を脱藩し新選組に加わった剣豪”吉村貫一郎”が主人公。よみすすめるうち南部藩と京都壬生に行きたくなりました。浅田次郎は面白いです。

盛岡南部藩のむかいつる(対い鶴)の家紋。

吉村貫一郎・・・幕末の盛岡藩士。新選組隊士(諸士取扱役兼監察方および撃剣師範)。本名は嘉村 権太郎 

p14「なにを今更、壬生浪めが」・・・みぶろとよむ。壬生浪士組が新選組の元の名前。壬生に屯所があった浪士組。

文久3年(1863年)清河八郎が京へ率いた浪士組を、壬生にある新徳寺に代表を集め、尊皇攘夷を目的とする反幕勢力に変化させようとの策略を演説した。これに同意した者は新徴組として江戸へ帰る事となる。これに同意しなかった近藤勇や芹沢鴨らはその場に残り、新選組を結成するに至る。新選組となる以前の壬生浪士たちは身なりの貧しさから、「みぼろ」(壬生浪=みぶろ・みぶろう)と一部の京の人たちに揶揄されていた。また、女性隊士がいたという説もある(新徴組は中沢琴がいた)。

p18「国表を脱藩したのは、お代物(でえもつ)のためであんした」

でえもつ代物?読みによって意味が違う。

【代物】しろもの
それによって、ある行為をし、その対象となるもの。売買する品。商品。更に広く、物。
かなり良い評価を得る人物・美人。 「なかなかの―だ」
【代物】だいぶつ かわりの品。代品。
【代物】だいもつ代金。転じて、銭(ぜに)のこと。

代物をシロモノと呼べば商品、ダイブツと読めば代替品、ダイモツと呼べばゼニのこと。

p32「いくらお茶っぴきだからって、お客さんにたかるわけにもいかねえ」

お茶っぴき お茶挽 芸娼妓が客がなくて遊んで居る事をいふ。もとは留守番をして居るものが茶を挽く習慣があつたから来たものである。〔花柳語〕故に花柳界では「茶」ということを縁起が悪い言葉としている。

p37「(池田屋事件のあと新選組に)京都守護職の会津公からもしこたまご褒美がでて、それまで壬生の郷士の家を借りて屯所にしていたものが、堂々と西本願寺に引っ越すことになった。」

西本願寺新選組屯所跡・・・西本願寺は、浄土真宗本願寺派の本山。戦国時代、本願寺は織田信長と長期抗争状態(石山合戦)にあったが、その間毛利家は本願寺に兵糧を運び込んで助けていた。そうした縁があり、幕末期にあっても本願寺は長州藩・長州系志士を支援していた。池田屋事件に続いて禁門の変が起こり、幕府にとって長州が討伐対象になると、増員で手狭となった新選組の屯所を親長州派の西本願寺に移転させた。これは、西本願寺と長州系志士たちのつながりを絶つことを狙いとしたものといわれる。(幕末トラベラーズより引用)

p45 「刀の鎺元から物打ちまでつかって」

刀身の構造イラスト
戦国ヒストリーより引用

はばきについて。刀剣ワールドより画像引用。

内装のは巾木。同じ音ハバキだけれど。鎺(はばき 上図8)と巾木(はばき)

斎藤一・・・斎藤 一(さいとう はじめ、旧字体:齋藤 一、天保15年1月1日(1844年2月18日) – 大正4年(1915年)9月28日)は、日本の武士(新撰組隊士)、警察官。階級は警部。勲等は勲七等青色桐葉章。幕末期に新撰組で副長助勤、三番隊組長、撃剣師範を務める。一時期御陵衛士に入隊。戊辰戦争では旧幕府軍に従い新政府軍と戦う。明治維新後警視庁の警察官となり、西南戦争では警視隊に所属して西郷隆盛軍と戦う。斎藤は江戸で近藤勇の天然理心流試衛館に出入りしていたと記されている。ぎっちょで刀を右にさしていた。

Goro Fujita aka Hajime Saito.jpg

本書で上巻の最後部と下巻の冒頭にまたがって斎藤一の独白風に懐古。

酒井兵庫・・・酒井 兵庫(さかい ひょうご、生年不詳 – 慶応元年(1865年)7月頃)は、新選組隊士。会計方。摂津国住吉の出身。新選組に入隊後は会計方を務め、池田屋事件に参加し15両の褒賞金を受けた。「新選組行軍録」では、原田左之助と山崎烝の間に名を連ねている。しかし、慶応元年(1865年)7月頃に脱走。脱走の理由は諸説あり、酒井は会計方の仕事にある死体埋葬をしているうちに、恐ろしくなり脱走した説が有力とされている。のちに沖田総司らの手で斬殺されたともいわれる。板橋の墓碑に名が刻まれている。

近藤勇墓所 · 〒114-0023 東京都北区滝野川7丁目8−10
★★★★☆ · 史跡

p105 「伊東甲子太郎が土方や近藤と折り合わずに大勢の隊士を引き連れて脱退したあとだったと思うが」

伊東甲子太郎・・・伊東と新選組とは攘夷という点で結ばれていたが、新選組は佐幕派で、勤王(倒幕)を説こうとする方針をめぐり、密かに矛盾が生じていた。西国遊説を終えて、慶応3年3月20日(1867年4月24日)、薩摩藩の動向探索と御陵警備任務の拝命の名目に新選組を離脱し、篠原や鈴木など同志14名と共に御陵衛士を結成する。東山高台寺の月真院に本拠を置いたため、高台寺党と呼ばれた。この頃伊東摂津と称する。

近江屋事件から3日後の慶応3年11月18日(1867年12月13日)、伊東は近藤に呼ばれ妾宅にて接待を受ける。酔わされた伊東は、帰途にあった油小路の本光寺門前にて新選組隊士の大石鍬次郎ら数名により暗殺された(油小路事件)。享年34。伊東は「奸賊ばら」と叫んで絶命したと伝わる。酒に酔わせたうえでの暗殺を企んだのは、北辰一刀流の道場主であった伊東の剣技を警戒したためと思料される。伊東の遺体は路上に放置され、御陵衛士を誘い出す囮として使われた。後に収容に来た御陵衛士たちは待ち伏せていた新選組と戦闘となり、藤堂らが戦死している。

p105「近藤は蠟色鞘の刀をいかにも壮士風に畳の上につき、」

蠟色(ロイロ) 「蠟色塗り」の略。黒みを帯びた漆を塗って、乾いてからつや出しをしたもの。仏壇の黒じゃな。。

黒呂色塗鞘
https://www.roirokoubou.com/%E5%91%82%E8%89%B2%E5%A1%97%E3%82%8A%E5%B7%A5%E7%A8%8B%E5%88%A5%E7%94%BB%E5%83%8F/ 呂色工房より引用。

読みが”ろういろ”の場合は蠟のような、ごくわずかに黄みの灰色に用いられます。実際の蠟の色は透明感を伴ったもので、半透明の灰白、わずかに黄味の白と考えられます。蠟は色名としてよりも、病人や死人の顔の表現によく用いられます。なお、蠟色(ろいろ)漆による塗りを蠟色(ろいろ)といいますが、こちらは黒色です。

p122「武士のつとめとは民草の暮らしを安んずることなのです。」

民草・・・民を草にたとえていった語。あおひとぐさ。民の草葉。※四季物語(14C中頃か)六月「此の神、民くさの疫をつかさどらしめ、又いやし給ふはんの御誓ひしるければ」(新精選国語辞典)

p123「大和守安定(中略)こんなぴっかぴかの大業物をわしごときの血で汚すのは」

大業物・・・おおわざものとは、江戸時代後期に編纂された「懐宝剣尺」(かいほうけんじゃく)と「古今鍛冶備考」(ここんかじびこう)において、「最上大業物に次ぐ切れ味を有している」という評価を得た業物のことです。

p148「(江戸時代には堀があって)幸橋門という御門があったのでその内側を内幸町と呼んだのです。」

図 内幸町の位置

江戸時代の内幸町の位置。堀が健在。下の地図、赤い矢印が幸橋門。

〔江戸切絵図〕. 外桜田永田町絵図 より引用

幸橋門のとなりに新シ橋と虎ノ門

幸橋門と虎ノ門との間の「新シ橋」!!われらが新橋の語源かな???

下、かつての虎の門と、溜池川。溜池川は赤坂門まで続く。

幸橋門と新橋との関係。

p156「南部の気性は(中略)頑固一徹で「南部の鼻曲鮭」と評される」

卵のために川口にもどってくる生殖期なると、オスの上あごが伸びて、下あごの上に覆い被さるように伸び、はげしく「鼻曲がり」状態になります。この状態が学術名Oncorhynchus(かぎ状の鼻)の由来です。生殖期のオスの色調は、「ブナケ」と呼ばれるように黒・赤・緑色などのまじったブナ樹肌のような雲状の模様に衣代わりしてゆきます。鮮やかに変化するオスと比べるとメスは程度の軽いブナケに変ります。

成魚の成熟段階
サーモンミュージアムより引用

上 上顎のさきがカギのように下を向く。体表の模様が変わることをブナ化(ブナケ)という。

p168「(官軍が盛岡に入り、吉村貫一郎を探している様子)派手な獅子頭を冠り、様式軍装に陣羽織を着た将校が、」

獅子頭?、武田信玄の諏訪法性兜(すわほっしょうかぶと)に由来するもののようです。

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武田信玄の白い毛は、諏訪信仰に由来するそうです。鬼の顔が正面にあり、そこから生えるのが山岳高地に住むヤクの毛。おお、山岳信仰ってことですね。ヤクなんて日本にいない、ということは伝来信仰か。

https://www.iz2.or.jp/fukushoku/f_disp.php?page_no=0000164 より引用

ヤフー知恵袋より引用

赤いかつらは「赤熊毛頭」(しゃぐまけがしら)、白いかつらは「白熊毛頭」(はぐまけがしら)、黒いかつらは「黒熊毛頭」(こぐまけがしら)といい、新政府軍の指揮官が藩の識別用に被ったといいます。赤が土佐藩、黒が薩摩藩、白が長州藩ですが、それは俗説らしいようであり、実際は個人個人バラバラだったようです。これはヒマラヤにいるウシ科のヤクの尾毛のことで、戦国時代、兜の威毛や槍の装飾用として使用されていました(武田信玄の諏訪法性の兜が有名)。輸入品で非常に高価であり、当時はあこがれの的だったようです。江戸城開城の際、城の蔵に収納されていたのを新政府軍が戦利品として回収、早速それを使った毛付き陣笠を作成(笑ww ←わたし)、指揮官が被りました。これが登場したのは上野戦争の頃からであり、鳥羽・伏見の戦いでは着用されていないことになります。何であんな派手な被り物をしていたかですが、新政府軍指揮官の権威、戦闘時の威嚇効果もあったからといわれますが。靖国神社には新政府軍指揮官が使用した赤熊、白熊が現存していますが、白熊は毛が肩にかかる程度、赤熊は腰あたりまで毛が伸びています(毛の長さのタイプは様々だったようです)。

獅子舞・・・古代インドより伝来。獅子舞も毛が生えてる。スワホッショウカブトと似てるなあ。。

(私の妄想・・・古代インド、ヤク、山岳信仰、出雲系祭祀、タケミナカタに諏訪信仰、獅子舞。。。全部つながるんかな。諏訪神社と関係深い武田信玄イイネ!!)

p179 東武天皇・・・北白川宮能久親王のこと。奥羽越列藩同盟が奉じたとされるが、明治政府によってその事実が葬り去られた。徳川家康公以来、上野東叡山に宮門跡をおいて、「西方で逆賊がおこって京にあらせられる帝を奪ったとき、上野東叡山におわす門跡を正朝と仰いで乱を鎮める。」ために存在したのだから「上野彰義隊が輪王寺宮様を奉じて抵抗したのは抵抗したのは当然であります。」。なぜ上野が幕末の戦争の舞台になったのか、やっとわかりましたヨ。

p198 石割桜 ・・・岩手県盛岡市にある一本桜。巨大な花崗岩の割れ目から育った直径約1.35m、樹齢360年を越える桜である。見ごろは4月の半ばから。

Ishiwari Zakura.jpg
wikipediaより引用。

p209 秋田街道・・・生保内・雫石街道―国見峠越 盛岡藩の盛岡城下(岩手県盛岡市)から国見峠を越えて久保田藩(秋田藩)領の生保内オボナイに至る奥羽山脈越えの街道。

この国見峠にある国見温泉に2014年に行ったことがあります。山のてっぺん、国見峠にあります。

旧秋田街道を自転車で走った記録 ↓(廃道マニアの平沼義之さんのブログ)

【山さ行がねが】道路レポート 国道46号旧旧道 仙岩峠(雫石側) 第一回
道路レポート 国道46号旧旧道 仙岩峠(雫石側) 第一回

p250「道化はな、曲芸師たちよりずっと芸が上手なんだよ。誰よりも上手だから道化ができるんだ。」(徳川慶喜が京を撤退したことに関し)p256「一緒にサーカスをやっていた曲芸師も猛獣使いも(幕臣たちのこと)、先が見えた途端にあたしら道化(新選組)を舞台に残して楽屋にこもっちまったってことですよ。」

p262 御陵衛士について「孝明天皇のお墓を守る御陵衛士っての、なんですそれ。つまり世の中どうころんでもいいようにって、蝙蝠みたいな奴らじゃないですかね。」

p264 三年坂 「ここで転げはったお方は、3年経ったら死なはります。」

p274 「大義のためにお国(盛岡藩)をお捨てになったのは裏切りではないと思いますけど。」(中略 大義とはなんですかに対し吉村貫一郎の返答)「大義とは人の踏むべき正しい道、少なくとも武士の踏むべき正しい道のことではない(中略)だから義を貫くのであれば、たとえ武士道を違えても人の道を踏み誤ってはならない。これからは僕も、大義とは人の道であると信じることにしましょう。」

p275 「つるかめつるかめってところです。」いやなことがあったらいうおまじない「つるかめ つるかめ」地震が来たら「まじゃらくまじゃらく」雷除けは「くわばらくわばら」

p292 小半時 =30分

p304 「仕掛けの色を見せずにまっすぐ敵の水月に入ります。」水月=みぞおち、胃がある処

p386 「淀千両松の激戦のことを、どうしても思い出さなきゃいけませんか」

When the Last Sword is Drawn - Battle -
#war #history #japan

向島又兵衛は地名だそうです。

p416 「近藤勇と試衛館とが、端から幕閣の掌のうちにあったというたなら、貴公は信じるかね、その先はやめておこう。」

p420 「島原の角屋は建坪が五百坪もあるという総二階、、」

上巻終わり。

コメント

  1. agehamodoki より:

    新選組は時代のはざまに翻弄された武士たちですね。
    後の脚色も多いと思うのですが、
    個性豊かな集まりだったと思います。
    ぜひ京都の壬生屯所跡などゆかりの地をお訪ね下さい。

  2. yopioid より:

    コメントありがとうございます。
    道化師(新選組)の雇い主が降参し、
    取り残される道化師たちの最後の彷徨い方が印象的です。
    サラリーマンという道化をやっている私にいずれは大義名分を失う日が、はよ来ないかなw。。。
    早く仕事を辞めたいマンです。
    アゲハモドキ組長にもお目にかかれると嬉しいです。

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