櫂(宮尾登美子)読みながら調べた語彙(1)

文体は小気味よくて面白いです。私の語彙不足で宮尾さんの豊かな語彙についていけず、字引きをしながら読む状態です。個人的メモ。

語彙の中に高知弁/土佐弁が多く、土佐出身の元同僚の言葉遣いを思い出しつつ読んどるきに。

登場人物

富田岩伍 – 女衒で芸妓娼妓紹介業を営む。力士だった岩伍を喜和が見初めて夫婦に。親は床屋を営んでいたが酒と博打で自殺。
富田喜和 – 岩伍の妻。岩伍が女衒の仕事をしていることを良く思っていない。
富田菊 – 中国に売られて六神丸の材料になるところを、神戸で岩伍に10円で買われる。
富田竜太郎 – 長男。生まれつき病弱。
富田健太郎 – 次男。賭博場で殺傷事件を起こす。
富田綾子 – 岩伍と巴吉の間に生まれた娘、富田家に引き取られ喜和に育てられる。
岩伍と関わる女
大貞(だいさだ) – 岩伍と同業『大貞楼』の女将。
染勇(そめゆう) – 裏長屋の生まれ『大貞楼』に預けられる。後に高知一の芸妓になり、豊美から染勇になる。
豊竹巴吉(ともきち) – 女義太夫。岩伍の妾となり綾子を身ごもる。
松井照(てる) – 元人妻。岩伍の車夫だが多仁川組の組員に刺殺、岩伍と知り合い男女の仲となる。
喜和の実家
小笠原楠喜 – 喜和の兄。
小笠原里江(さとえ) – 喜和の姉。富田の家にもらわれたばかりの菊に幼い娘用の古着をあげたり、その後も喜和のことを気にかける。
富田家で働く人々
庄 – 岩伍の店の番頭。
米 – 岩伍の店の若い衆。
女中 – 富田家の女中。家事をこなしながら喜和の子育てを手伝ったり忙しくしている。
その他
森山大蔵 – 四国造船の会長、岩伍の興行(女義太夫 豊竹巴吉)の後ろ盾となる。
谷川文造 – ヤクザ、多仁川組組長。染勇と親しい間柄。岩伍と興行で対立、後に賭博場での一件で失脚。
木元武造 – ヤクザ、多仁川組組員。健太郎に刺殺される。
松崎 – 市場の魚屋で働く。
竹市 – 市場の魚屋で働く。

p6 楊梅売 ヤマモモ 高知県の県の花、徳島県の県の木、知多市、西都市、那珂川市、下松市の市の木に指定されている。日本では四国の徳島県が産地の中心といわれるが、収穫後は鮮度がすぐに落ちるので、市場にはあまり出回らない。ヤマモモ(山桃、学名: Morella rubra)は、ヤマモモ科ヤマモモ属の常緑樹。また、その果実のこと。夏に実る赤い果実は生食でき、甘酸っぱい独特の風味があり、ジャムや果実酒にも加工される。

KENPEI – KENPEI’s photo, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2285202による

p8「亀蔵桃の飛切り」

亀蔵はヤマモモの品種。

p12 生来気随者の龍太郎 

き‐ずい【気随】 の解説
[名・形動]自分の思いのままに振る舞うこと。また、そのさま。好き勝手。気まま。「―が過ぎる」
「自分の娘だったらこんな―なまねはさせない」〈実篤・その妹〉

p13 八金八鷹 はちきん 「男勝りの女性」を指す土佐弁。要するにキンタマ四人分持ってるくらい男らしい。ならびに高知県女性の県民性を表した言葉。話し方や行動などがはっきりしており快活、気のいい性格で負けん気が強いが、一本調子でおだてに弱いといわれる。後ろを振り返ることなく前進し続けるといった頑固さや行動力あふれる点で、土佐の男性と共通する。

男性の睾丸は一般的に2つであるため4人の男性が揃うと睾丸が8つになるが、4人の男性を手玉に取る女性ということである。下ネタ的な表現なので、高知県の女性はこの用語をあまり好まない傾向にある。西日本を中心に日本全国で「ハチ」をお転婆の意で使うことから、数字の八と解釈するのも一説にすぎない状態である。エピソード「はちきん地鶏」という地鶏を高知県畜産試験場が開発して命名したが「下品だから止めて欲しい」という声(特に高知県在住の女性)も一部であがった。

p15 櫛も笄も こうがい  髪を掻き揚げてを形作る装飾的な結髪用具。ただし次第に結髪後に髪を飾るものに変化した

後藤顕乗作の倶利伽羅龍図三所物で笄(下)と小柄(右上)と目貫(左上)。 江戸時代前期、特別重要刀装具。SLIMHANNYA – 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=111055394による

p15 たとう 畳紙のこと。

  1. 折り畳んで懐中に入れ、鼻紙や詩歌の詠草などに用いる紙。懐紙 (かいし) 。ふところがみ。
  2.  厚い和紙に渋または漆を塗って折り目をつけた紙。結髪や着物を包むのに使用。

p16 料理屋のおちょぼに出している娘が おちょぼ

おちよぼ
読み方:おちょぼ 京阪地方にて、芸妓見習の少女のことをいふ。〔花柳語〕
小婢(せうひ)〔京阪地方〕

p16 腹拵えには恰度の量 ちょうど

p16 てづまし 今の手品師のこと。古い呼び方

和妻(わづま)とは、日本に古くから主に口伝で受け継がれてきた伝統的な奇術の分野である。着物を着て演じられる。手妻(てづま)、品玉(しなだま)と呼ばれることもある。西洋の奇術のスタイルを洋妻(ようづま)と呼ぶのに対し、和妻(わづま)と言われることもある。

手妻(てづま)とは、古代朝鮮語で、妻娘が演じる小手先の芸である。「中世中国芸能史」によると傀儡集団芸能一座の演目名に記録がある。古代日本では、手妻を小手先芸や目眩しに長けた人を手妻師と言った時代があるが決して手品だけをさしたものではなく手先で操る人形も手妻人形と言い、手先で操るからくりや曲取り(ジャグリング)も手妻である。手妻と言う呼び方は明治初めことまで使われていた。昔しの歌舞伎の役者ことばにも手妻やヅマと呼ぶ呼び方は残っている。

p17 枳殻の垣を廻らせた、甕屋(はんどや)の小松になる。

枳殻 カラタチ 和名カラタチの名は唐橘(からたちばな)が詰まったものである。別名でもカラタチバナともよばれる。別名では、キコク(枳殻)ともよばれる。中国植物名(漢名)は、枸橘という。鋭い刺があることから、外敵の侵入を防ぐ目的で生垣によく使われる。しかし住宅事情の変化などからこの刺が嫌われ、また生垣そのものが手入れの面倒からブロック塀などに置き換えられたため、1960年代ころからカラタチの生垣は減少した。

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‘Uncle Carl’ (カールおじさん). – ‘Kusabana Photo Studio’ (草花写真館) / kusabanaph.web.fc2.com, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=96192636による

甕(はんど)屋

飯銅(はんどう)は水を貯蔵するための大型の粗陶器(水瓶(水甕))である。「半銅」あるいは「飯胴」とも書く。また、「はんど」とも呼ばれ「半斗」と表記されることもある。飯銅は台所で飲用水を汲み置くためなどに利用されてきたが、漬物を漬けたり味噌の醸造にも用いられる。石見焼や温泉津焼の茶褐色の飯銅は耐水性や耐酸性が高いことで「石見丸物」として特に有名である。なお、大型の水瓶である飯銅の形状をした茶壺や火鉢を「飯銅」と呼ぶことがある。

Pekachu – 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=57119526による

p24 娘義太夫 むすめぎだゆう

女義太夫(おんなぎだゆう)、または娘義太夫(むすめぎだゆう)は、女性による義太夫語り。現在では「女流義太夫(じょりゅうぎだゆう)」と呼ぶ。略して「女義(じょぎ)」と呼ぶ。義太夫とは浄瑠璃の一派で太棹の三味線を使って語る。

娘義太夫の竹本京子と京枝
太夫1名と三味線1名で演奏されるのが基本である。番組によっては、太夫と三味線も複数になることがあり、ほかに箏が加わることもある。娘義太夫での三味線は、太棹と呼ばれる三味線のなかでもっとも大型で、かつ音域が低いものが用いられる。演奏は、劇場、寄席などにおいて、人形などの団体と合同の公演もあるが、多くの場合、人形/歌舞伎などが伴わない素浄瑠璃にておこなう。衣装は、夏は白、冬は白の着物に、大夫/三味線ともに揃いの肩衣と袴をつけておこなう。

p25 とんとんりゅうりゅうの花台 花台(はなのうてな)

① 萼(がく)の異称。
② 極楽往生した人が座るという蓮の花の台。蓮のうてな。
※新後撰(1303)釈教・六七二「露の身にむすべる罪はおもくとももらさじ物を花のうてなに〈式子内親王〉」

p25 手古舞姿の芸者衆

手古舞 てこまい そろいの男装をした芸妓さんが山車や神輿の先駆として歌い、練り歩く様子の動画。てんてこ舞いの語源。(べっぴんさんに見守られたらお神輿担ぐのも頑張れそうだナ。。)

主として江戸の祭礼のとき、山車(だし)の前に露払いとして木遣(きやり)を歌って練り歩いた者のこと。江戸時代には鳶(とび)の者など男も行ったが、のちには氏子の娘が扮(ふん)し、やがて芸者がつとめるようになった。この呼び名は、木遣のときにてこで木石を運行させる役の挺前(てこまえ)のあて字といわれ、また祭りの屋台囃子(ばやし)の音から出たもので、すててこ踊の転訛(てんか)ともいう。一説には「神に仕える乙女」の意ともいう。男髷(まげ)に右肌ぬぎのはでな襦袢(じゅばん)、腹掛、裁着(たっつけ)、紺足袋(たび)に草鞋(わらじ)、背に花笠(はながさ)を負い、鉄棒(かなぼう)を引き、牡丹(ぼたん)を描いた黒骨の扇を持つ。歌舞伎(かぶき)『縮屋(ちぢみや)新助』の芸者美代吉にこの風俗を知ることができ、歌舞伎舞踊『勢獅子(きおいじし)』など祭礼を描く踊りにも登場する。出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)

とびの者が木や石を動かす際に使うのが「てこ(手棍)」で、山車の警護をする者たちを「手棍前」と呼んだのがその起源。

p26  阿古屋の琴責【あこやのことぜめ】

文耕堂・長谷川千四(せんし)作,1732年初演の浄瑠璃《壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)》の3段目。《出世景清(しゅっせかげきよ)》の改作。平家の勇将景清のゆくえを捜す畠山重忠が,景清の恋人である遊女阿古屋の心の真偽を知ろうと,琴・三味線・胡弓をひかせる場面で,歌舞伎でも上演される。 出典 株式会社平凡社 百科事典マイペディア

p32 紺屋の藍壺のように深い色をした江の口川があり、首無し馬の一文橋も、喜和の立っている位置から上手に見える。

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p38 薄いおすべ紙

寺田寅彦「浅草紙」に出てくる。

淺 草 紙 寺 田 寅 彦

十二月始めの或る日、珍らしくよく晴れて、そして風のちつともない午前に、私は病床から這ひ出して縁側で日向ぼつこをして居た。都會では滅多に見られぬ強烈な日光がぢかに顔に照りつけるのが少し痛い程であつた。そこに干してある蒲團からはぽかぽかと暖い陽炎が立つて居るやうであつた。湿つた庭の土からは、かすかに白い霧が立つて、それが僅かな氣紛れな風の戰ぎにあふられて小さな渦を巻いたりして居た。子供等は皆學校へ行つて居るし、他の家族も何處で何をして居るのか少しの音もしなかつた。實に静な穩な朝であつた。
私は無我無心でぼんやりして居た。唯身體中の毛穴から暖い日光を吸ひ込んで、それが此のしなびた肉體の中に滲み込んで行くやうな心持をかすかに自覺して居るだけであつた。
ふと氣がついて見ると私のすぐ眼の前の縁側の端に一枚の淺草紙が落ちて居る。それはまだ新しい、ちつとも汚れて居ないのであつた。私は殆んど無意識にそれを取り上げて見て居る内に、其の紙の上に現はれて居る色々の斑點が眼に付き出した。
紙の色は鈍い鼠色で、丁度子供等の手工に使ふ粘土のやうな色をして居る。片側は滑かであるが、裏側は隨分ざらざらして荒筵のやうな縞目が目立つて見える。併し日光に透して見ると此れとは又獨立な、もつと細かく規則正しい簾のやうな縞目が見える。此の縞は多分紙を漉く時に纎維を沈着させる簾の痕跡であらうが、裏側の荒い縞は何だか分らなかつた。
指頭大の穴が三つばかり明いて、其の周圍から喰み出した纎維が其の穴を塞がうとして手を延ばして居た。
そんな事はどうでもよいが、私の眼についたのは、此の灰色の四十平方寸ばかりの面積の上に不規則に散在して居るさまざまの斑點であつた。
先づ一番に氣の付くのは赤や青や紫や美しい色彩を帶びた斑點である。大きいのでせいぜい二三分四方、小さいのは蟲眼鏡でゞも見なければならないやうな色紙の片が漉き込まれて居るのである。それが唯一樣な色紙ではなくて、よく見ると其の上には色々の規則正しい模樣や縞や點線が現はれて居る。よくよく見て居ると其の中の或物は状袋のたばを束ねてある帶紙らしかつた。又或物は巻煙草の朝日の包紙の一片らしかつた。マッチのペーパーや廣告の散らし紙や、女の子のおもちやにするおすべ紙や、あらゆるさう云つた色刷のどれかを想ひ出させるやうな片々が見出されて來た。微細な斷片が想像の力で補充されて頭の中には色々な大きな色彩の模樣が現はれて來た。
普通の白地に黑インキで印刷した文字もあつた。大概やつと一字、せいぜいで二字位しか讀めない。それを拾つて讀んで見ると例へば「一同」「圓」などはいゝが「盪」などゝいふ妙な文字も現はれて居る。それが何かの意味の深い謎でゞもあるやうな氣がするのであつた。「蛉(ぼ)かな」といふ新聞の俳句欄の一片らしいのが見付かつた時は少しをかしくなつて來てつい獨りで笑つた。
どうして此んな小片が、よくこなれた纎維の中で崩れずに形を保つて來たものか。此の紙の製造方法を知らない私には分らない疑問であつた。或は此等の部分だけ油のやうなものが濃く浸み込んで居た爲にとろけないで殘つて來たのではないかと思つたりした。
紙片の外にまださまざまの物の破片がくつついて居た。木綿絲の結び玉や、毛髪や動物の毛らしいものや、ボール紙のかけらや、鉛筆の削り屑、マッチ箱の破片、此んなものは容易に認められるが、中にはどうしても來歴の分らない不思議な物件の斷片があつた。それから或る植物の枯れた外皮と思はれるのがあつて、其植物が何だといふことがどうしても思ひ出せなかつたりした。
此等の小片は動植物界のものばかりでなく鑛物界からのものもあつた。斜めに日光にすかして見ると、雲母の小片が銀色の鱗のやうにきらきら光つて居た。
段々見て行く内に此の澤山な物のかけらの歴史が可也に面白いものゝやうに思はれて來た。何の關係もない色々の工場で製造された種々の物品がさまざまの道を通つて或る家の紙屑籠で一度集合した後に、又他の家から來た屑と混合して製紙場の槽から流れ出す迄の徑路に、どれ程の複雜な世相が纏綿して居たか、かう一枚の淺草紙になつてしまつた今では再びそれをたどつて見るやうはなかつた。私は唯漠然と日常の世界に張り渡された因果の網目の限りもない複雜さを思ひ浮べるに過ぎなかつた。
あらゆる方面から來る材料が一つの釜で混ぜられ、こなされて、それから又新しい一つのものが生れるといふ過程は、人間の精神界の製作品にも其れに類似した過程のある事を聯想させない譯にはゆかなかつた。
そのやうな聯想から私はふとエマーソンが「シェークスピア論」の冒頭に書いてある言葉を思ひ出した。「價値のある獨創(オリヂナリティ)は他人に似ないといふ事ではない。」「最大の天才は最も負債の多い人である。」こんな意味の言詞が思ひ出された。
それから又或る盲目の學者がモンテーニュの研究をする爲に採つた綿密な調査の方法を思ひ出した。モンテーニュの論文を悉く點字に寫し取つた中から、あらゆる思想や、警句や、特徴や、插話を書き抜き、分類し、整理した後に、更に此の著者が讀んだだらうと思はれるあらゆる書物を讀んだり讀んで貰つたりして、其の中に見出される典據や類型を拾ひ出すといふのである。此の盲人の根氣と熱心に感心すると同時に、其の仕事が何處となく私が今紙面の斑點を捜しては其の出所を詮索した事に似通つて居るやうな氣もした。どんな偉大な作家の傑作でも──寧ろさういふ人の作ほど豐富な文獻上の材料が混入して居るのは當然な事であつた。其れを詮索するのは興味もあり有益な事でもあるが、それは作と作家の價値を否定する材料にはならなかつた。要は資料がどれだけよくこなされて居るか、不淨なものがどれだけ洗はれて居るかにあつた。
作中の典據を指摘する事が批評家の知識の範圍を示す爲に、第三者に取つて色々の意味で興味のある場合も可なりにある。該博な批評家の評註は実際文化史思想史の一片として學問的の價値があるが、さうでない場合には批評される作家も、讀者も、從つて批評者も結局迷惑する場合が多いやうに思はれる。さういう批評家の爲に一人の作家が色々互に矛盾したイズムの代表者となつて現はれたりするのであらう。
美術上の作品についても同樣な場合が屢々起る。例へば文展や帝展でもそんな事があつたやうな氣がする。それにつけて私は、ラスキンが「剽竊」の問題について論じてあつた事を思ひ出して、も一度それを讀んで見た。其の最後の項にはこんな事が書いてあつた。
「一般に剽竊(プラヂアリズム)に就いて云々する場合に忘れてならないのは、感覺と情緒を有する限り凡ての人は絶えず他人から補助を受けて居るといふ事である。人々はその出會ふ凡ての人から敎へられ、その途上に落ちて居るあらゆる物によつて富まされる。最大なる人は最も屢々授けられた人である。そして凡ての人心の所得を其の眞の源迄追跡する事が出來たら、此の世界が一番多くの御蔭を蒙つて居るのは、最も獨創力のある人々であつた事を發見するだらう。又さういふ人々が其の生活の日毎に、人類から彼等が負ふ負債を増しながら、同時に同胞に贈るべきものを増大して行つた事が分るだらう。何かの思想或は何かの發明の起源を捜さうとする勞力は、太陽の下に新しき物なしといふあつけない結論に終るに極つて居る。さうかと云つて本當に偉大なものが全くの借り物であるといふ事もありやうはない。それで何でも人からくれるものが善いものであれば何もおせつかいな詮議などはしないで單純に其れを貰つて、直接くれた其人に御禮を云ふのが、通例最も賢い人であり、何時でも最も幸福な人である。」
此の文辭の間にはラスキンの癇癪から出た皮肉も交つては居るが、兎も角も或る意味では矢張り思想上の淺草紙の辯護のやうにも思はれる。
エマーソンとラスキンの言葉を加へて二で割つて、もう一遍此れを現在の或る過激な思想で割るとどうなるだらう。此れは割り切れないかも知れない。もし割り切れたら、其答はどうなるだらう。あらゆる思想上の偉人は結局最も意氣地のない人間であつたといふ事にでもなるだらうか。
魔術師でない限り、何もない眞空から假令一片の淺草紙でも創造する事は出來さうに思はれない。しかし紙の材料をもつと精選し、もつとよくこなし、もう一層よく洗濯して、純白な平滑な、光澤があつて堅實な紙に仕上げる事は出來る筈である。マッチのペーパーや活字の斷片が其のままに眼につく内はまだ改良の餘地はある。

ラスキンをはふり出して、淺草紙を又膝の上へ置いたまゝ、うとうとして居た私の耳へ午砲の音が響いて來た。私は飯を食ふ爲に此のやうな空想を中止しなければならないのであつた。

p38 吊しの福徳 不明 福徳人形か。。吊るしは既成品かな。

p39 繰房一綛 くりぶさひとかせ

より

綛 かせ hank

綛枠で一定数巻取って輪形に結束した糸をいう。紡績工場でできあがった糸は,これを他工場に輸送したり市場に送り出したりするために,取扱いの便宜上綛の形に仕上げる。綛枠は糸の種類によって周囲の長さが異なり,1綛は綿糸の場合で約 768m,亜麻糸 3291m,梳毛 512mなどとされている。綛につくることを綛仕上げ,または綛づくりという。普通は 10綛を連続した輪形として枠から取りはずし,縄をなった形にひねって1捻 (ひねり) とする。また,綛枠に巻きつける態様により,平行方向に巻いたものを棒綛,各層が斜めに交差するように角度をつけて巻いたものを綾綛と呼んでいる。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

綛

異体字「綛」かすり ところどころかすったような模様をおいた織物。また、その模様。「綛模様」 [類]絣(ホウ)・纃(かすり)。かせ つむぎ糸を巻きとる道具。

p47 苟且 かりそめ

p61 叱据えられる(ずきすえられる)???

http://shikokutounanbnohougen.blogspot.com/p/blog-page.html 高知弁方言で分節で調べると次のような記載。

づく(怒る)+すえられる(強調語) 

つく=担い棒の両端の突起部分 づく=怒る、小突く[新]

~すえられる=強調語(例・やりすえられる=やっつけられてしまう)

p62 針匣 はりばこ

p65 胸の内を互いに明かす含羞に耐えられず、思いばかりを積み上げたまま終わってしまったものであろう。

p70 憎体(にくてい)にも見えてくる。にくてい 

〘名〙
① (形動) 憎らしい有様。憎々しいさま。にくて。
※羅葡日辞書(1595)「Infensus〈略〉テキ、または、nicuteina(ニクテイナ) モノ」
※波形本狂言・富士松(室町末‐近世初)「扨々物をにくていにぬかすやつじゃ」
② 「にくていぐち(憎体口)」の略。
※日葡辞書(1603‐04)「Nicuteiuo(ニクテイヲ) ユウ ヒト」

p72 金持ちと灰吹は溜まるほど汚い。タバコの灰が灰吹きに溜まれば溜まるほど汚なくなるように、金持は財産がふえればふえるほど、心が卑しくなったり、けちになったりするということ。(広辞苑)

灰吹とは 煙草盆の一式のうち灰皿にあたるもの。https://shop.senkien.jp/fs/senkien/gd7232より引用。

https://shop.senkien.jp/shop/item/senkien/picture/goods/7232_1.jpg
おたばこぼん - Wikipedia

お煙草盆(おたばこぼん)

煙草盆(wikidata)は、煙管(きせる)、火入、灰吹(はいふ)といった喫煙具の一式を収めた盆である。
花街の隠語で「でしゃばり」の事。客が来る度に座敷へ出されること、客が来たら座敷に出たまま引っ込まない女中のことを指す隠語。明治初年ごろから登場した幼女(2,3歳ぐらい)の髪形。結うのに手軽で、見た目も可憐なことから町人層を中心に広く結われた。

御煙草盆とは - コトバンク
コトバンクより引用 髪型のおたばこぼん

灰吹ちがいで、灰吹法について。金銀精錬のの灰吹法、の方。鉛アマルガムを経る方法。水銀の代わりに。

扨々=さてさて そうかと驚きあきれた時や感心した時に発する語。なんとまあ。いやどうも。さてもさても。

使用例、小林完吾「あ、扠~」

扠 ①さ(刺)す。はさみとる。 ②やす。水中の魚をつきさしてとる道具。 ③さて。話を転じるときの接続詞。 類 扨(さて)

p74 逸しも(へんしも)高知の方言 急いで。
へんしも返事を出さんとまにあわん(すぐに返事を出さないと間に合わない)

p79 そうた =ポンチョ 袢天

p80 蹌踉ける よろける  別の綴り【 蹣跚 】

p81 蟇痣とは ひきあざ 不明。次のような文脈で。老婆が小便をするシーン。

喜和が息を詰めている目の前で、そのとき、一軒の門口から病み呆けているらしい老婆がよろよろしながら出て来たが、そこに立っている喜和に目をくれる気力もないのか、真直ぐ便壺の前に進んで行って、足を踏ん張り用便の構えになった。便壺の傍の竈には真黒な鋳物鍋が掛かっており、その下には枯れた小枝が白く枝なりに灰を残して通路にまで燃え退っている。老婆は、年寄りらしい力ない小水の音をたてると、大儀そうに竈の下の火を繕ってからまた家の中へ蹌踉ながら入っていった。喜和は、裏の姐さんには思わず目を伏せたけれど、今度はその場に釘付けになったまま、きっかり目を瞠いていた。蟇痣のいっぱい浮いた、痩せた老婆の足のあいだから滴のように断続して落ちる小水、滴はその下に溢れた便壷から四方に飛び散り、煮物の鍋にも細かいしぶきになって降りかかった。用の終わり、たらたらと老婆の腿から脛を伝わった小水は、便壷から溢れ出た溜りの汚水に流れ込み、狭い通路を大雨の後のように濡らしている。老婆が紙の代わりに尻を振って着物を下したとき、垂れた股の肉が縮緬の袖を振るように小刻みに震えたことや、老婆がそのままの手で小枝を竈の奥へ突っ込み、さらには小水の散りかかった鍋の木蓋を摘んで、その丸い縁で鍋の中の煮物を均したことや、通路を引摺って入る老婆の、べっとりと濡れた着物の裾が和布のように裂け千切れていたことなど、それらのひとつひとつが退引ならぬしたたかさでもって、喜和は自分の目の中に打ち込まれる思いがした。

p86 「菜園場の米屋で」さえんば、と読む。高知の地名、菜園場町 「菜園場」という地名は、この場所に江戸時代に土佐藩主用の菜園所(野菜畑)があったことに由来しているという。

高知の商店街ぶらり散歩 「菜園場商店街」編 | 高知県のあれこれまとめサイト「高知家の◯◯」
高知県の中央に位置する高知市。 市内には大小さまざまな商店街があり、その雰囲気もそれぞれ個性にあふれている。 今回は、高知市中心部よりやや東側にある菜園場(さえんば)商店街をぶらりと歩いてみたので、その周辺の歴史や商店街に軒を連ねる店舗について紹介しよう。 まずは解説、菜園場商店街とその周辺の歴史 まずは菜園場商店街と...
〒780-0823 高知県高知市菜園場町の地図

p90 麦稈真田(ばっかんさなだ)

麦稈真田(バッカンサナダ)
https://o-bunren.jp/post-1986/

p99 ちょちょら 口先だけの世辞を言うこと。いい加減に口から出任せを言うこと。それをいう人。新潟や北関東に方言が存在する。

まぎらわしいチョチョラッケとソソラッケ|佐野市
軽々しくものをいったり、軽率な行動をとったりすること(または人)を、佐野やその周辺では、チョチョラッケ・チョチョラッカなどといいます。「あの男はチョチョラッケだから、まじめに耳を傾ける人なんて、まず、いなカンベー」軽率な言動が過ぎると、口先ばかりで誠意がまったくみられないことがあったり、お世辞ばかりが多く信用できなくな...

軽々しくものをいったり、軽率な行動をとったりすること(または人)を、佐野やその周辺では、チョチョラッケ・チョチョラッカなどといいます。

「あの男はチョチョラッケだから、まじめに耳を傾ける人なんて、まず、いなカンベー」

軽率な言動が過ぎると、口先ばかりで誠意がまったくみられないことがあったり、お世辞ばかりが多く信用できなくなってしまうことがあります。このようなこと(人)もチョチョラッケ・チョチョラッカなどといいます。チョチョラッケ(カ)には本来、口から出まかせをいう、口先で上手にいう意のチョチョラに、ようすや気配(けはい)を表すケ・カ(接尾語)が付いたものです。

チョチョラという言葉は、もともと古い日本語にはありませんでしたが、江戸中期頃に深川の岡場所(おかばしょ)で言い始めました。それが流行語となって江戸全域に広まり、やがて栃木県にも伝わってきました。その頃、県内にはすでに、共通語の「そそっかしい」が変化したソソラッケ・ソソラッカ(「ケ」も「カ」も接尾語)がありました。この言葉は落ち着きがなく、不注意で軽々しいさまをいいます。「ソソラッケだから、転んで怪我(けが)ばっかりするんだよ」。チョチョラッケ(カ)が誠意のないことをいうのに対して、ソソラッケ(カ)は落ち着きのないさまをいいました。しかし今では区別があいまいになり、混同されることがしばしばあります。

ちょちょら 方言恋愛が好き!恋愛萌えする方言含め、全国の方言4000語以上を紹介
ちょちょら 方言恋愛が好き!恋愛で萌える、活用出来る方言を含め、全国の方言4000語以上を紹介しています!

ちょちょらまかせ とも言います。

いい加減、粗末にする という意味です。
物事をいい加減に手抜きしている様子のことです。
「おめぇにそーじやらせっとちょちょらでだめろ」
(あなたに掃除をさせるといい加減でダメだよ)
「ちょちょらまかせらすけそーなるんだ」
(粗末にするからそうなるんだ)
という風に使われます。

チョチョラクン

ちょちょらくん
キャラクター名:ちょちょらくん
フリガナ:チョチョラクン
所属都道府県:新潟県
説明:新潟市中央区社会福祉協議会のイメージキャラクター

p102 夜爪 夜に爪を切ること。親の死に目に会えないとして忌む俗信がある。

p102 枕元にをたててはならぬ 恐らく葬儀用の道具としてホウキが使われたから。下記。

宮城縣史 民俗2 安産のために、出産のとき産婦の枕元に箒を立てたり、あるいは箒を産の神として産婦に拝ませて、産気づいた時にその箒で腹を撫でるという。

「多摩市史」民俗編 

枕団子の項 家では布団を普段と反対方向に敷き変え、死者を北向きに寝かせて、枕元には魔よけとして刃物をおき、地区によっては箒(ほうき)を死者の上に置くところもある。ヒキャクがサタに行っている間に、残っている者は椀一杯くらいの玄米を粉に挽き、団子を六個つくる。また、団子を茹(ゆ)でたのと同じ水で玄米一合を炊き、茶わんに高盛りして中央に箸二本をたて、ともに枕元に供える。枕団子を作るには、普段使っている竃(かまど)とは別のところでつくる。梯子(はしご)を横にしてその左右を木で支え、中央に縄をつるして鍋をかける。鍋は古い鍋を使用して、使った後は捨てる。こうしてつくった団子のことをマクラダンゴ(枕団子)といい、飯とともに葬式のとき墓まで持って行き、埋葬とともに埋める。死者が、黄泉の道に迷うからといって、供える線香は一人一本に限られている。

阿波学会研究紀要より以下引用

海部町の葬送について。

共同祈願 お百度参り、百万遍のご祈祷

呼び戻し 息を引き取ったあと大きな声で何回も耳元で呼ぶ。名を呼ぶ。 

死の前後
 ☆ 櫛 川
 ビョウニン 病人(死人)事はオモテで寝させる。
 ヒキャク トナリ(近所)へ知らせる。トナリが、2人1組でヒキャクになり、部落全体に知らせてまわる。
 ササ 他人がすぐに来て、おへぎ盆に笹をいれて各神様へ置く。49日間。(玄関の神棚、オモテの床の間、茶の間の三宝大荒神さん、愛宕さん、火の神さん、オクのおいべっさん、大黒さん)
 ☆ 奥 浦
 死 家から濃い親戚へ知らせる。当屋(朋輩組~友達組)へ知らせる。
 白紙 親戚が神棚全部を白紙を貼って覆う。
 ☆ 鞆
 息を引き取るとすぐに身内の者が北枕にし、タオルをかける。枕元へ線香と水を供える。
 着物を逆さにかける。
 枕元へ庖丁とほうきを逆さにたてる。
 神さん棚をうちわでかこう。

8.キタマクラと死者の供物
 ☆ 櫛 川
 病人に皆が会ってから、床前で北向きにする。
 枕ははずし、顔に白布をかける。布団に寝させて、上に着物を逆さにかける(仏さんの着替えと聞いている)
 ほうきとほうちょうを空へむけて床へ置く。(魔よけと聞く)
 ご飯を炊いて、4個の握りをつくり膳の四隅に置く。膳の真ん中にダンゴを積んでおく(ダンゴの数は不定)。この膳を枕元へ置く。茶わんに水を入れてシキビのハナで水をまつってあげる。
 一本線香をつけ、きらさないようにする。
 ☆ 奥 浦
 死亡するとすぐに、そのままの座敷で、家の者が北向きに寝かせる。顔に白布をかける。
 着物を逆さに掛ける。
 魔よけとして枕元へほうきを逆さに立て、刃物(庖丁など)も逆さにして置く。
 死亡するとすぐに、近所の人が外で、ユキヒラ等で米を少しだけ炊いて、丸い4個の握り飯をこしらえる。盆か膳の四隅に置いて供える。マクラゴハンという。
 しきび(しきみ)の葉をそえて、水を供える。
 線香を供える
 まっこうはもろぶたに砂をいれて、まっこうを長くつないで供えた。
 ハナを供える。
 ☆ 鞆
 息を引き取ってから直ぐに北枕にし、白布をかけ、着物を逆さにかける。枕元に庖丁とほうきを逆さに立てる。
 マクラメシとして、一椀盛りの飯を供え箸を一本立てる。
 ダンゴを供える
 水にしきびのハナ(葉)を入れて、身内の者がこれで水をまつる。
 線香(まっこうの場合もある)、ロウソクを供える。
 棺桶に入れる時にダンゴは入れる。(飯は握り飯を入れる)
 同年の者の忌み
 ☆ 鞆
 同じ年の人が死んだら、杓の柄で水を飲む。戦前まで。
 別火
 ☆ 櫛 川
 マクラメシ、マクラダンゴをたいた鍋、釜は7日間は使用できない。使ったら別の所へ置く。
 ヨトギ お通夜
 ☆ 櫛 川
 死亡した晩に、近親の者が集まってする。
 お住持さんが拝みにくる。
 ☆ 奥 浦
 通夜見舞いといって、親戚がヨトギに食べるものを持参する。
 ヨトギを一晩中した人は、着た着物を(羽織り、帯でもよい)7日目にまつる。
 ☆ 鞆
 線香とロウソクの火を絶やさない。
 家からつまむものを供する。

p102 御燈 =御灯 お灯明のこと。みあかし

p106 狗母魚 エソ 鯛なくば狗母魚 次善のもの。我慢するみたいなこと。

p107 骨絡み

1 梅毒や結核が全身に及び、骨がうずくようになること。また、その症状。骨うずき。脊椎カリエスのことじゃな。

2 悪い状態から容易に抜け出せないこと。

p107 真岡の単衣 真岡木綿

p108 この子の生き肝ぬいて六神丸をつくる 

北多摩薬剤師会 おくすり博物館 ジェネリック(GE)篇(その7)
「六神丸」の用例・例文集 - 用例.jp
六神丸 の用例・例文集 - おまえはまだ、骨まで六神丸になっていないから、丸薬さえのめばもとへ戻る。陳もさっきおれといっしょにこの水薬をのんだがね、どうして六神丸にならなかったろう。てっきり私は六神丸の原料としてそこで生き胆を取られるんだ。そしてこっちの瓶は人間が六神丸になるほうか。

宮沢賢治などいくつかの小説でも支那の製造工場で「人体」を使って六神丸が作られるような話が書いてある。現代の六神丸のwikipediaの説明には人体材料を使うような記載はない。昔はどうだったのだろう・・。人に由来する生薬という項目があった、プラセンタエキスとか確かにそうだな。日本でもないわけではない。

宮沢賢治の小説にも出てくる「生き肝をぬく」。エグい、が今の中国でもあるとか。。

ヒトに由来する生薬 - Wikipedia

p115 「眉は5月人形の鐘馗様のように黒々と執拗いほど濃く剛く(こわく)」

鍾馗(しょう き)は、主に中国の民間伝承に伝わる道教系の神。日本では、疱瘡除けや学業成就に効があるとされ、端午の節句に絵や人形を奉納したりする。また、鍾馗の図像は魔よけの効験があるとされ、旗、屏風、掛け軸として飾ったり、屋根の上に鍾馗の像を載せたりする。鍾馗の図像は必ず長い髭を蓄え、中国の官人の衣装を着て剣を持ち、大きな眼で何かを睨みつけている姿である。

唐の6代皇帝玄宗が瘧(おこり、マラリア)にかかり病床に現れたのが鐘馗、目が覚めると病気が治ってた!玄宗は呉道玄に命じ鍾馗の絵姿を描かせると玄宗が夢で見たそのままの姿だった。玄宗が邪気除けとして絵を配るようになった。17世紀の明代末期から清代初期になると端午の節句に厄除けとして鍾馗図を家々に飾る風習が生まれた。鍾馗図は初期には呉道玄の構図の模倣が主だったが、明代に『鍾馗全伝』などの小説が流行すると騎虎図や吉祥図など多様なバリエーションが生まれ、悪疫除けの風習とともに東アジア一帯に伝播した。

日本での鍾馗、最も古い鍾馗図の例として平安時代末期作の辟邪絵のひとつに確認できる。室町時代以降は漢画の画題として多くの画師に好まれた。民衆のあいだでは、江戸時代末(19世紀)ごろから関東で鍾馗を五月人形にしたり、近畿で魔除けとして鍾馗像を屋根に置く風習が見られるようになった。京都市内の民家(京町家)など近畿 – 中部地方では、現在でも大屋根や小屋根の軒先に10 – 20cm大の瓦製の鍾馗の人形が置いてあるのを見かけることができる。これは、昔京都三条の薬屋が立派な鬼瓦を葺いたところ向かいの家の住人が突如原因不明の病に倒れ、これを薬屋の鬼瓦に跳ね返った悪いものが向かいの家に入ったのが原因と考え、鬼より強い鍾馗を作らせて魔除けに据えたところ住人の病が完治したのが謂れとされる。

鍾馗 - Wikipedia
木目込み人形の真多呂人形|鍾馗

p117 「う、こりゃ穢い(むさい)」 =むさくるしい 

ま行 - 土佐弁事始

p120 軈て やがて
江戸中期の書〔同文通考・国字〕に「軈(ヤガテ):猶、少時のごときなり」とある。
字源 日本の国字。身+應(応)の会意。自身で応じる、という意。

p120 子方屋(こかたや) =置屋。芸妓の芸能プロダクション

p120 薹が立つ

薹=花茎 野菜などの花茎が伸びてかたくなり、食用に適する時期を過ぎることから。食用野菜も花が咲くと硬くなるがあのことだな。(バジルも花を摘んだほうが葉が育つナ)

p123 櫂は三年櫓は三月
かいはさんねんろはみつき
櫓の扱い方を覚えるには3月もあればよいが、櫂を自由自在に扱えるようになるには、3年あっても足りない。一人前になるということは、並み大抵のことではないというたとえ。

≒顎振り三年(さんねん)
尺八を習得する場合、顎を振ることだけで三年もかかるほど困難なこと。 転じて、何事も身につくようになるまで習うには年月を要することにもいう。 首振り三年。

類義語、棹は三年櫓は三月/櫓三年に棹八年/首振り三年ころ八年

櫂 私の祖父が海軍で「カッター訓練」をしていたと聞いたことが有る。これか~。

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