桜始開、桃始笑、


桜の花は開くのに、桃の花は笑う?
桃の花「ぐえっふぇっふぇっ!」😁
笑うに、咲くの意味があるのだと推測し、調べてみると同源だった。

笑と咲は、生き別れた姉妹の関係。元が同じ。口へんに作りが音を表す「セウ」。古代の人がわらうとき「わっはっは(笑)」ではなく、「セウセウセウセウ(笑)」または「エウエウエウエウ(笑)」と声出していたのだろうか。なんかアウアウみたいだな。

中国の古典漢文では花が咲くことを「開」または「発」の字で正しくは表す一方で、六朝後期から唐代に擬人表現を用いた漢詩が大流行し、花が開くことに「咲 わらう」と俗字をあてるようになったけど、あくまで流行であって正当ではないようです。
「咲(わらう)」を花開くの代わりに擬人的に使うのは「漢詩文における気取った表現で」現代中国語では「咲う」を用いないし、中国古代の文献にも出てこない。「咲」も「笑」も俗字で、正しくは「口編に笑」が元(上図)。
日本語では持統天皇のころに唐で学んだ仏僧が俗字「咲」を花開くこととして日本に伝え、定着した可能性が高いそうです。「咲」が「わらう」という「開花する」ことの擬人表現であったことは、とっくに忘れられて一般的に咲くといえば「咲」の漢字が使われます。桃始笑にもどると、ももはじめて「わらう」は、ももはじめて「さく」、とも読まれる。結構いい加減に思えるが。
まとめると
笑=咲 意味は🌸開花のことだが、開花の擬人表現で俗字
日本には「咲」が伝わり定着した。
(おまけ 武井咲さんは読みが「たけいえみ」である)
そもそも七十二候は古代中国で考案され、日本の気候風土に合うように改定「本朝七十二候」が作成され、現在は明治7年の「略本暦」の七十二候が使われているそうです。桃始笑と同じ時期の中国の宣明歴の七十二候は「倉庚鳴」 で異なり、倉庚はコウライウグイスのことで(←日本のうぐいすと全く違う)、それが鳴き始めるの意味。日本にめったにこない黄色い鳥だそうです。
以下を参考にしました。お読みいただきありがとうございます。
<参考>
漢字一字ペディア 笑
仏教の横道裏話 26 石井公成
ウィキペディア 七十二候
コメント
いつも興味深いブログをありがとうございます!
まったく知らないお話で、とっても学びになりました✨️
えみ、さき(さく)、ひらく… 感覚的に眺めると、なるほど元はひとつであったというのも、なんとなく頷ける思いがあります。
「笑う」とは不思議な行為だなあと考えたことがあり、どなたかが攻撃性のある行為だと言っていたものをみたこともあります。昭和のテレビで、芸人をいじめて笑う番組のような感じかなと想像しました。緊張から弛緩する、エネルギーが外へ放出されるイメージが浮かびます。
今後もブログ更新を楽しみにしております。
ヨビナミさんはじめまして。興味を持っていただきありがとうございます。
なぜ笑うのか、不思議ですね。言語も笑いも、受け取る側が攻撃ととれば攻撃になるし、
優しさと受け取れば優しさになるところがあり、そう思ってみると笑いを堪えるという行為は倫理的に思えてきます。
生物としての守りの姿勢は笑わないことかもしれないです。
笑いが攻撃の要素をもつこと、それは動物が歯をむき出しにする攻撃の意思表示の連想でしょうか。
笑うのは人に限らず、動物がそうする場合、動物によっては攻撃の意志がないことの意思表示になるようです。
歯を見せることが攻撃と優しさとどちらにもなり得えて、ヘタに笑うと逆に取られうることなのですね。
何があっても笑わない人、これもまた非常に感じが悪いので悪く取られ得る。
私はどうしたら良いのでしょう、生きにくい世の中です。いっそ泣いてしまおうか。(T_T)
へぇ~ボタン10回、いや100回です!!
武井咲さんのえみは、当て字かと思ってましたが、違ったんですね!!
笑顔、確かに難しいですよね。
自分では笑ってるつもりでも、意外に相手には伝わらない。
私は、初対面の人には、あえて表情を大きく作って、大きな笑顔で接するようにしてます。
それが功をなしてか?朗らかで話しやすいと言われるようになりました。
(若い頃は普通にしてても、怒ってる?と言われてました(笑))
旅する栄養士さん、こんにちは。
そうなんです。咲くと笑みは近いようです。
若い頃は普通にしてても、怒ってる?と言われてました→私も同じです。
私はマジモンのコミュ障なので、よく人相手の仕事してるなあと思います。
そこで、笑い泣き、という新たな手法を今思いつきました。
意表をつかれて相手はおののくはずですww
それかオカシイ人と思われるか!!