シガラジャ・キンタマーニ・ブサキの旅

バリ(インドネシア)旅行記です。🇮🇩

11月18日 

ングラ・ライ国際空港からのチャーター車で、火山の成す山脈を超えて北部シガラジャへ。車酔いどめトラベルミンを飲み忘れたまま乗車も、運転手が上手だったおかげで九十九折の山道で特に酔いもせず。

ングラ・ライ国際空港でラゲッジが出るまでの時間が長く、入国に約1時間弱、待っている間にeSIMを設定。出口には無数のフリータクシー運転手が手招き、無遠慮なワイドショーの東海林のり子とか梨元勝みたいに「乗らないか」と話しかけてきた。

夜のデンパサールの道路。無数のバイクがまるでレーサーみたいに私の乗った車を追い越していく、皆運転上手だ。空いている反対車線を各自の判断で逆走する。二人乗り三人乗り当たり前。ノーヘル当たり前。中学生みたいな子供もバイク。警察の取り締まりはない。不思議と事故を見なかった。無秩序ではなく、暗黙のルール共有で成り立っている。車よりバイクの方が速い。

11月19日 

ガルンガンという迎え盆の儀式に参加させていただいた。日本から持参した白いワイシャツと、現地の人が貸してくれた腰巻き(サロン)、輪状の帽子(ウデン)を被り、礼拝手順を習い、忠実に行った、リスペクトを忘れず失礼の無いように。神聖なココナツウォーターで聖められ、色付きのお米を授けられ、額と喉に米を付ける。花を両手で挟んで神様に捧げる。指導してくれたDewaさんは、デンパサールの大学で地域開発に関する経済学を学んでいる大学生、ホームステイのオーナーの三男さん、私の拙いインドネシア語を汲み取りながら教えてくれた。

生活の全ての場所に神様が居る。道に対してお供えがしてある。門扉にも。ガスコンロにもお供えがしてあって最初食べくさしのお菓子と勘違いした。

バリ人の礼装をした私の様子がアジア料理屋の怪しいオーナーみたいだと連れが小馬鹿にした。後で写真を見たら確かにそのとおりだった。

11月20日 

朝、シガラジャからキンタマーニ高原に移動、車窓からドリアンだけを商う店を数件見かけた。八百屋に一個あれば目を惹く存在のドリアンが山積み、果物の王様が山積みなのだ。ドリアン色に染まったドリアンだらけのドリアン大会。日本だとウン百万円じゃ効かないぜ、等、せこい換算をした。バリ北部はドリアンの産地で収穫期が始まったばかり。durianのduriにはトゲspikeの意味がある。duri ikanだと魚の骨を意味する。

キンタマーニ高原にはハエが多い。キンタマとハエ。もしキンタマーニに行ったと言いたいだけなら、ハエの少ない地域だけにしといたが良い。スターバックスのある混雑地域あたりの小綺麗な地域にだけ寄って、タッチ・アンド・ゴーで帰っても良く、バトゥール山とバトゥール湖を遠目に見てセルフィーを撮るだけで十分、なぜならその先に行くとハエがとんでもないから!

キンタマーニの奥地に宿泊した。異常にハエが多かった。手で払っても払ってもハエが来る。民家を通り過ぎる際、その家の庭の椅子に腰掛けている赤子の涙に蝿がたかっていた。まるでユニセフだかの寄付を募る写真のように。赤子の涙と鼻水にハエがたかっていて、その状態でニコニコこちらに手を振ってきた。なぜハエがこうも多いのか?果物の成る季節に増えるとか、一年中多いとか、肥料の鶏糞に集まる、など地元の人にも定見がない。周辺を散歩した折に目撃したが、鶏糞肥料の白色袋がそこかしこにうずたかく積まれ、その白い袋が黒くなるほどハエが黒黒とたかり蠢いていた。

鶏糞満載のどう見ても過積載なトラック。キンタマーニ高原のカルデラに向かって降りている。

宿泊施設のフロント、チェックインの時、当たり前の儀式のようにテニスラケット形殺虫器を授与された。これで部屋に侵入したハエを電撃でチリチリ無慈悲に焼けと。束の間ツメが焼けるような不愉快な臭いが漂う。10匹ぐらい片付けてやっと平和が訪れる。焼けたハエは腹の部分がポップコーンみたいに膨らんでもしばらく動いていた。ハエのことをララと言い、サンリオのキャラクターみたいな名前。

バトゥール湖畔の屋外レストランで出されたコーヒーカップに前の客の口紅がついていた。インドネシアの一端を垣間見たようだった。バトゥール湖で養殖されたテラピアの丸揚げにサンバル・マタという玉ねぎとライムのサラダっぽいソースが乗っかっている。この料理はとても美味しかった。テラピアはタイのような白身で美味い魚だ。

11月21日 

日本から依頼した日の出を見るJEEPツアー、午前4時半に宿に迎えにきたのはスズキのジムニー。こちらではバイクをホンダと呼び、ジープと言えばスズキジムニーだ。夜明け前の暗がりをヘッドライトを頼りに荒れた未舗装の急坂をジムニーがよじ登る。四輪駆動がバウンバウンしながら登っていくのは痛快、ジムニーの性能に驚いた。シートベルトなど端からない。標高1000mまで登坂し車を停めた。

雨季、どうにか日の出前に朝焼けが見えた。しかし日の出時間05:50には雲が増えてしまった。全く見えないよりは良かったかな。

空が白んできて明らかになった、ジムニーだらけだ。オーストラリア人、アフリカ人、韓国人、モーリシャスから来たというインド人ぽい顔の人もいたり。残念ながらみんな日の出を拝めなかったけれど。

そのあと、バトゥール山麓の溶岩台地に移動し、角張った黒っぽい石が堆積する溶岩台地の上を自分の足で歩く。黒く、ケイ素少なめ。玄武岩質のよう。コケが活着していた。

午後、ブサキのリゾートホテルに移動、荷物を置いてブサキ寺院を参拝。茨城で就労経験のある、タイ語、英語、インドネシア語、日本語ができるバリ人ガイドを見つけ説明を受けた。

帰り、見知らぬ運転手が馴れ馴れしく高額をふっかけてきたので丁重にお断り。インドネシア人は明るくて親切で基本的に好感を持っているが、日本人には二重価格でふっかけてくる場合があってそこは正直苦手だ。350年間オランダ人の金払いが良かったのか知らぬが、ガイジンはお金が取れる、取っても当然という認識になったのだろうか、堂々ふっかけてくることへの理解に苦しむ。「高い。無理、まけろ」が言えない私は即座に交渉を”拒絶”してしまい、あとが続かない。商習慣の違い、インドネシア人のここにまだ馴染めない。

ホテル付近の市場でララパンという生野菜と揚げ物の組み合わせの定食を食べ、新鮮なマンゴスチンを1キロ200円で買って帰りホテルで食べた。果物は何でも驚くほど美味しくてしかも安い。

11月22日 

翌朝のホテル食がとても美味しかった。リゾートホテルはハエもいないし過ごしやすい。フランス人客が多かった。

施設からアグン山が見える。1963年に大規模な噴火を起こし、1148人の死者を出した。火砕流による被害。

下図、バリ島北からの視野。右がキンタマーニ高原(バトゥール山とそのカルデラ)、左がブサキ寺院のあるアグン山。

ブサキからチャーター車で、プンリプラン村を経由してシガラジャに戻る。

ビカクシダ(コウモリラン、学名:Platycerium)着生植物、土に根を張るのではなく、木の幹や岩などに付着して成長。上のレタスみたいな丸い葉で集雨する。

プンリプラン村はザ・観光地。直線的な参道の奥に寺がある。参道には宮島のような感じで民家を改装した土産物屋が軒を連ねる。私はそこで事前に調べていたアラックと言う地酒を見つけて買った。アラックはココナツを原料として各家庭で作られる蒸留酒。質の悪い密造アラックもある。要は当たりハズレがあるらしく、観光地のアラックなら間違いはないだろうと踏んで買った。流行り病があった数年前のこと、バリ県知事自身がアラックを作る人で、それまで表向き販売禁止されていたアラックを知事の権限で販売できるようにした。アルコールの供給が枯渇していた時があったがあの時期だろうか。ソーダでわって飲むと大変美味しい。各家庭で密造しこっそり売るぶんは表向きに見かけなかった。その本当の自家製アラックを飲んでみたかった。できれば酒盛りに参加して。

プンリプラン村で抹茶のような液体の入ったペットボトルをあちこちの店でみかけた。冷蔵ショーケースに置いてあり、好奇心で買ってみた。一口目は想像した味と違い「ナンジャコレ!!」、特に塩の味に一瞬警戒したが、二口目には美味いに変わった。ロロチュムチュムという緑色の健康ドリンクであった。酸っぱくて甘くて塩っぱい、スパイスの味もする複雑な味。濃いめのポカリを酸っぱくして生の葉っぱを磨り潰し入れた感じ。チュムチュムという酸っぱい葉っぱと、黒砂糖、塩、ココナツの果肉も入っている。ガイドが血液の循環を良くする効果があると教えてくれて、喉もカラカラだったので二本美味しく飲んだ。伝統的なハーブ薬なのだそうだ。私は香味野菜が好きで、しそ、ゆず、みょうが、ネギとか、コリアンダーやレモングラス、みかんの葉っぱも美味いと感じる。私の味覚にはハマった。↓作り方の動画をみつけた。

プンリプラン村のお寺。ベトナムのミーソン遺跡(チャンパ)と同じくギョロ目。古代のヒンドゥ文化が東南アジアに広がったときにもたらされたギョロ目の意匠は共通。宮島の蘭陵王の仮面もギョロ目でチャンパから来たの南方の文化ではないかという説がある。

帰ろうとしたら、カリマンタン島からお出でになったお姉様方が参道で記念写真撮影を始め、道を塞いで通れない。お姉様方(すなわちBBA)がぎゃあぎゃあ人目も憚らず姦しい、古今東西同じだ。カリマンタンのオネエサマ、まるで大阪のおばちゃんのノリ。左の引率者のおじさんが降りろ、降りろというが委細構わず。彼女らのはしゃぐ様子を見ながら可笑くて笑ってたら関係ない日本人に「こっちゃこい写真に一緒に入れ!!」と、ええええwww。インドネシアの奴らテンションおかしいわ。特別ゲストで一緒に撮ったけども。インドネシア人は屈託が無くて明るくて良い。ワシは年がら年中陰気なので逆に羨ましいです。

同日夜、バリでは少数派のイスラム教徒の居住地区にある美味いサテ屋まで、狂犬病疑いの野良犬がうろつく夜道を歩いて行った。橋を渡るとイスラムの在所。彼らは非常にフレンドリーでヒンドゥー教徒も親切だが、イスラム教徒はまた違った距離感と親切さがある。甘じょっぱいピーナツソースが鶏肉に絡めてあって、多めに入れてあるタレを焼き鳥の肉で掬いながら食べる。見た目は味噌田楽みたい。好みの辛さをオーダーできる。

地域で一番オシャレな衣料品店へ。バリの民族衣装が置いてあり、普段着としても着用できる。マネキンのおでこが広すぎない?

11月23日 

朝 ホームステイのご家族が、宿の木に成るココナツを飲ませてくれた。ココナツ職人を呼び、上手に木に登る。ココナツ職人、命綱なし、スゴイ。ココナツを束ねてロープで縛り、そのロープを木にいったん結わえておく。職人がココナツの束の根本を切ると、ココナツの束がバサッと落下して、いったんロープに宙吊りになる。そのココナツの束を、ロープを丁寧に手繰ってゆるゆると地面に下ろす。切って地面に叩きつけるのではなく、慎重に着地させる。落ちたものは良くないという話を聞いた。木になっているのを食用とするから新鮮。

ココナツの頭をカットしストローを入れる穴を開けてストローを差し込み、ココナツウォーターを直に飲む、味をつけなくても甘みと薄い酸味とがあり、塩味も僅かに感じられ美味い。「セイハット元気になるよ!のめのめ」と勧められ腹タポタポに。

飲み終わるとココナツ職人が割を入れて半球にする。中の果肉をさじで掻いてこそぎ、口に運ぶ。瓜のような清涼感と脂質のうまみを感じる。もぎたてのココナツウォーターと、白い果肉、二段階で楽しむ、美味しかった。

収穫時に余ったココナツの果肉とココナツウォーターはタッパーに入れてくれた。そのココナツを利用したココナツとアボガドを混ぜた冷たいデザートを夜に出してくれた。アラックをココナツウォーター割りしても美味しかった。

テンペのフライ、ツナのスープ。ご飯。ココナツとアボガドのデザート。

11月24日 

インドネシアには就労機会が少なく、日本での就労を希望する人が多い。タクシードライバーも今の仕事をやめて日本で働きたい、と言っていた。私の住む千葉にもインドネシア人を見かける。御縁で急に現地の高校生にひらがなとカタカナを教えることに。聡明な学生たちで、熱心。そんな子に介護や建設などさせたくないナ、と思ったり複雑な気持ちになった。自分の国で働ける日本人がいかに幸せなことか。インドネシア自国内で若者が就労できるように成るのは難しいのだろうか。良くわからないことに口出しは止めておこう。

高校に別れを告げ、その足でサンシット村のブジ寺院 (Pura Beji)へ。

寺院の隣のサンシット朝市場は終わっていた。パラソルを広げた物売りが気怠げに腰掛けている。

寺院にはモギリも客も誰もおらず、この北中の時間、人々は活動していない。バリは南半球なので南中とは言わず北中。バリの人は午前4時から活動する。暑いから涼しいうちに全部やってしまうという側面もある。

水利や農業・豊穣に関連する神様を祀っている。シガラジャの人は水に神様が宿ると考える。東ジャワのマジャパヒト王国からブラフミン(バラモン、カーストの頂点の司祭)が来た15世紀に寺が造られた。ヒンドゥー教の叙事詩に触発された悪魔や守護像の像が、石の階段や壁を彩っている。

水利組合(組織)をスバックと呼び、公平に灌漑を行うことや、共同農作業をするための互助組織でもあり、また祭祀も行う。この寺院がスバックの一部を成している。紛争解決もスバックが行う。マツリゴト、つまり神様の判断で物事が解決される祭政一致の世界。農協と神社が一緒になった感じか。スバックはユネスコの世界文化遺産に登録されている。

11月25日 

ロビナビーチでイルカウォッチング。イルカのことを「ルンバルンバ」と呼ぶ。ルンバ一個だと「レース(競争)」の意味で、畳語化すると🐬イルカになる。イルカが複数で並走する姿は、競争しているみたいに見えるから?または、船の横を並走して船と「競争」するからルンバルンバか?

前日頼んでおいたタクシードライバーが40分寝坊して来て、ビーチの現地集合に遅れた。この遅れてきたドライバー、前回はキチッと来てくれた。それまで手配したどのインドネシア人タクシードライバーも意外にもすべてpunctualだったのでインドネシア人のイメージがとても良くなっていたところだった。

現地の学校の先生と合流し、遠浅の浜辺からアウトリガーカヌーで沖に出る。オーストロネシア諸族が版図を拡げたときに使ったあの憧れのアウトリガーカヌー!、とひとりで興奮。両側にアウトリガーが付いていて横安定性が高い。これなら確かにハワイまでも行けそうな気がする。アウトリガーは常に後ろ半分が浸水している。アウトリガーが浸水していないタイプもあった。

真ん中右にイルカ🐬バンドウイルカらしい。

イルカの群れが背びれを海面に見せると、船頭が目敏く見つけ「やれそっちいけ」とエンジンを咆哮させ、後続の舟もイルカの周りに集まる。イルカは舟が集まって来ると潜って姿を消してしまう。その繰り返し。船が密集するので、イルカもジャンプをお披露目できない。イルカが遠慮がちに見えた。当たり前だが水族館のと違って天然物はジャンプしたり芸をしたりはしない。

バリ北部の数少ない観光目玉のイルカウォッチング、こんなにも観光客がいたのか、というほど舟が出ていた。外人には7000円ぐらい出させるが、地元の人に手配してもらい、一人1000円で乗せてもらった。

同日、帰国の途につく。空港へのチャーター車、明るくておしゃべりな運転手で、サッカーの話やバリ語の挨拶などをインドネシア語で教えてくれた。言葉を習いたい私には好都合。3時間ずっとインドネシア語を喋ってくれて、私がなまじウンウンとわかったように相槌を打つものだから、向こうはどんどん早口になり、途中で私がわからなくなり、もう一回言って、って成る。「え?わかってなかったの?」という運転手の顔、この瞬間が非常に気まずい。コレの繰り返しだった。

総括

⭕️インドネシア人は性根が明るくて快活。親切。

❌️でもたまに外人価格🙅

⭕️人と人との距離がめっちゃ近い。プライベートが無い一昔前の日本の田舎みたい。

⭕️バリ島北部は貧困地域だが、過剰に商業化観光化されておらず、濃密な古い文化が残っている。

⭕️バリ島北部は渋滞がないし、空気も南部よりは良い。

⭕️年がら年中儀式と祈りをしている。

⭕️赤道近く、暑いが、私には過ごしやすかった。

❌️野良犬が結構いる。狂犬病持ちもいる。

⭕️果物がうまくて安い。


すみません、長くなりました。お読みいただきありがとうございます。

楽しかったのでまた行くことにしました。

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