蛭子能収と太川陽介のバス旅の番組が好きだ。蛭子さんの型破りが面白く、例えば旅行先のレストランに入って勧められるご当地名物を食べないで、カレーかカツカレーかトンカツをいつも注文するのよね。
大分交通の路線バスを終点国東営業所(国東市国東町鶴川)で降りて、乗り換えのバスの発車を待つ。番組でよくある乗り換え時間潰しシーンだ。この乗り換え時間を有効に使ってレストランでエビスさんみたいに飯をかき込もうと思ったがそううまくは行かない。国東の町は歴史が古く弥生時代の遺跡もあるようで40分の待ち時間だけ散策することとする。
仏の里、国東町。「仏の巴里」フランスのパリ、鶴川商店街。ワクワク。
豊後灘の潮風が吹きつけて、鉄は錆びがち。生暖かい湿気た風が私の顔にも吹き付ける。暖かく湿った黒潮の蒸気を乗せて。
海喜荘、大正からある割烹旅館。鶴川商店街通りにある。旅行計画段階で電話をしたが予約でいっぱいでした。
朝8時というのに人の気配がなく、店も開いていない。せめて朝なのだからパン屋の一つくらいという淡い期待は見事に外れた。
スナック虹。五色しかないぞ。オレンジ色の「虹」を加えても六色。
立派な鳥居、天神様発見。菅原道真公かな?Googleマップは神社を24時間営業と書くの、別の表現はないものか。
隣に桜八幡宮があり、こちらが本体で、八幡宮に天神宮が包含される関係のようだ。
宇佐八幡宮の御分霊を祀ってあるそうです。保元二年、1157年。宇佐八幡は今回いけないのでココでヨシ!
一揖、いちゆう、ウサウサ、ちょっと頭下げることなのだな、ウサウサ
いち揖保乃糸、ではない。いちYOU(ゆう)である。
揖保乃糸は揖保川からで、揖保の語源はなんじゃろな。
国土交通省「「揖保(いぼ)」の由来は「播磨国風土記」によると、播磨の国神「伊和(いわ)大神」と渡来神「天日槍(あめのひぼこ)」が国を争ったとき、伊和大神が大慌てに食事をしながら川をさかのぼる途中、口から飯粒がこぼれました。その地を「粒丘(いいほのおか)」と呼ぶようになり、転じて「揖保」となったとあります。伊和大神は揖保川上流一宮町の伊和神社に鎮まっておられます。」
揖する(ゆうする)とは、笏しゃくを持ち、上体をやや前に傾けてする礼。中国の昔の礼の一。両手を胸の前で組み、これを上下したり前にすすめたりする礼。(デジタル大辞泉より)
ウサウサ…厳島神社の回廊みたい。
日露戦争の記念碑、忠魂碑。国東の海を生業とする男たちは海軍に志願したのだろうナ。
なんだろう?
ミニチュア竜神様、水神様と、ハンモックみたいな賽銭箱。ジオラマ的な。お賽銭入れたらなにか仕掛けがありそうだけど特に反応なし。
さて、良い時間になったのでバスターミナルに戻ります。
大分空港からここ国東までが大分交通、そして国東から竹田津・伊美方面までが国東観光バス。2社のバスの接合点の国東営業所にはバスがたくさん並んでいます。
国東営業所はかなり広い敷地で修理工場も兼ねています。この広い敷地にはもともと、鉄道駅がありました。杵築から安岐、大分空港のあたり、武蔵古市を経て国東まで、国東鉄道が走っていました。ここは国東ターミナル駅があった場所、だから細長くて広い。国東鉄道は大分交通国東線に名称を変え、廃線後、大分交通がバスで代替した、国東駅までで大分交通のシマが終わることと絡んでいると邪推します。
バス停も修理してるみたい。
伊美行きに乗ります。
岐部隼人運転士さん、よろしくお願いします。在地土豪の岐部氏の末裔に違いない。岐部氏とケベス、音が似てませんかね。国道213号線の未成線を北上し、富来(とみく)、堅来(かたく)、来浦(くのうら)、向田(むかた)、熊毛(くまげ)、岐部(きべ)、櫛来(くしく)を経て伊美(いみ)に向かいます。国東鉄道は豊後高田まで計画されたもので、その未成線を利用したのが現在の国道213号線ということです。
次は大熊毛、クマだから大をつけるのかな。オオクマ、語感はいい。
地名に大と付くと民族主義の拡張主義っぽい。大ロシア主義 、大ハンガリー主義、大セルビア主義とか。そのデンで大熊毛主義・・昔熊毛王国があったと言う伝説を思い出し、民族主義的なものをにわかに期待したのだが、もちろん違う。
大熊毛川が流れる谷を大熊毛、小熊毛川が流れる谷を小熊毛といいます。地名は川に因むものでだいそれた野心的なものではないです。
ちょっとしばらく国東の思い出に浸る記事になると思います。お読みいただきありがとうございます。
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