オクサレ様

駅周辺を徘徊しているお爺さんがいて私はこっそりオクサレ様と名付けている。独り言をブツブツ言い、冬でも軽装で半ズボン。見かけたら、今日も元気に生きとってじゃ、と心のなかで手を合わせている。見つけたら幸運と思うようになった。この暑さのせいか、最近見かけないので心配している。

広島の繁華街には広島太郎が居た。いいとこの出のひとで浮浪者になったという噂や、非常に知能が高いという噂もあった。神仙思想の老人のようなものを想像していた。大学生になって広島市内に通うようになって初めて遭遇、頭の鉢の大きな人でたしかに頭が良さげじゃったが思ったより若かった。勇気のあるものは小銭を出してサインを貰ったりしていた。「太郎がおる!」と見かけるたびラッキーと思ったものだ。そんな風に、異所でオクサレ様を見つけるたびにラッキーと思うようになった。

皆が煙たがるものを同じように毛嫌いしない、オレだけは別の見方ができる、真理に近づくことが出来る・・・蛮勇だろうが、いじってでも、からかってでも関心を持つ方がまだましと考える。完全な無視・無関心こそが最悪なのだ。障害者や老人がいたら率先して席を譲り、倒れている人がいたら近づき手を貸したりすること、それらとオクサレさんに対して興味を持つこととは、私の中では連続性を持っている。関東の人はその辺他人との関わりを避ける傾向が強い気がする、都会的といえばそうなのか。

この前千葉駅で成田エクスプレス成田空港行きを待っていたとき、ふと見ると成田行きの鈍行に間違って乗ったまま発車を待っているアメリカ人が居た。tattooモリモリの見るからにコワモテの柄の悪そうなアメリカ人旅行客で薄汚いなりをしている。周りが教えちゃればええのに、ワシは居ても立っても居られんようになってその車両に近づいていって声をかけた、クソ下手な英語で教えてやった「ヘイドュード、それ乗ってったら日が暮れるぜ、バンホール、成田エクスプレス乗ったほうがクソ速いで、アスワイプ」って。多少勇気が要ったが。たぶん皆怖がって声を掛けなんだんじゃろうな。入れ墨野郎がアリガトウ言うてた。千葉駅発の成田行き、鈍行と特急のみわけがガイジンさんにわかるようにJRさんなんとかしてやれよ。

肩関節の手術後、風呂に入れず私の体が香ばしくなってワシもオクサレ様に。風呂で躯を洗ってもらいながらそのオクサレ様のことを話した。風呂の排水溝がワシの垢で詰まるかもしれんくらいスッキリした。日本昔ばなしに「垢太郎」ってあったよね。鬼退治して財宝を持って帰った垢太郎にお爺さんおばあさんは感謝し、そして垢太郎にお風呂を勧めた。垢太郎は少し考えたあと「うん、ありがとう」と。風呂に入ったあか太郎は溶けて消えてしまう。そこだけ泡になった人魚姫っぽい悲劇的結末なのだ。蒸し暑い今日、オクサレ様は元気だろうか。

<参考>

あかたろう 

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