我が片足すでに墓穴に入りぬ、という表現を見つけたがドイツ詩人が書いている。我が国の「棺桶に片足」とにているが、ドイツの方はポジティブな一人称であり、日本の方は悪口に近い。
「我が片足すでに墓穴に入りぬ」という心境
グレン・グールドのゴルトベルク変奏曲を皮切りに高校生の時からバッハをよく聴くようになった。ゴルトベルク変奏曲の最初と最後がアリア。アリアとは別にアリオーソ(BWV156)ariosoという曲もあって、アリオーソの意味は、アリアのように(うたうように)、ariaとariosoとは近縁。
BWV156はカンタータで「我が片足すでに墓穴に入りぬ」という題で心境は、神様(イエス・キリスト)のもとへ安らぎに帰るんじゃ、というおじいちゃんのポジティブなセリフではあるらしい。けれど、日本人の感覚じゃないね。コンセプトも曲調も葬式風、途中で短調になって劇的なところもあるからお涙頂戴風でちょっとやらしいかもしれないが。
余談だが、イタリア語のサフィックス-osoは、英語の-ous -ful -y にあたる。-osoの語源をたどると「匂い」になる。デリシャスをイタリア語でデリチオーゾという。デリチはdelight「喜び」から来ている、つまり、デリシャスは喜びの匂い→美味しそう。arioso(aria+oso)はaria風の。
棺桶に片足つっこむとの類似性
ちょっとまて・・棺桶に片足つっこむって日本由来の語句じゃないのか??
Ich steh mit einem Fuß im Grabe, 我が片足は墓にありて(ピカンダー)
この歌詞、聖書ではない。バッハが作曲した多くのカンタータの作詞をピカンダーというドイツの詩人がした。聖書のストーリーを歌にしてみんなで歌うカンタータ用の歌詞。ピカンダーという人が週刊誌に載せていた霊歌詩集(Sammlung Erbaulicher Gedanken)にバッハが目を留めたのが馴れ初めらしい。マタイ受難曲の歌詞にも使われた。作詞ピカンダー・作曲バッハの共同作業でカンタータはつくられた。
我が国の棺桶に片足をツッコムが先だとしたら、ピカンダーが日本文化に精通、、、そんなわけないですね(笑)。似たようなことを考える人が偶然日独にいた。または、カンタータの日本語訳から、音楽家や宣教師を通じて「片足突っ込む」が伝わったか?
<参考>
Youtube Julian Lloyd Webber plays Bach’s ‘Arioso’
Youtube Bach – Harpsichord concerto in F minor BWV 1056 – Henstra | Netherlands Bach Society (BWV1056の第2楽章LargoはBWV156と同じ旋律が使われる)
コメント
いつも興味深い話を解説して下さりありがとうございます。「棺桶に片足」は西洋にもあって、日本とは意味合いが逆なワケですね。彫の深い顔立ち、肌の色の違いなど見た目以外の「違い」がそうさせているのでしょうね。まだ棺桶に片足は突っ込んではいませんが、側に納品されたような気がします(笑)
コメントをいつもありがとうございます。
アゲハモドキさんっ!死なないでっ!まだまだこれからっ!
というか、納棺ではなく納品なのですね。
さすがアパレルの元バイヤーさんです。