入れ墨

1931年、日本統治時代、台湾の嘉義農林高校野球部監督に日本人の近藤兵太郎が就任。脚の早い原住民、打撃の強い漢人、守備の日本人、それぞれの特徴を活かした混成チームで甲子園にまで進み決勝で中京商(中京大中京)にやぶれたが準優勝。甲子園で準優勝と言うだけでもすごいのだが、それを台湾の田舎の高校がやってのけた。実話に基づいた「KANO 1931 海の向こうの甲子園」という映画でそれを知る。このたびプレミア12で台湾チームが日本に勝った。悔しいが相手が台湾だし、台湾好きの私はまあ仕方ねえかよく頑張ったねえと言う気分。台湾チームおめでとうございます。

話はそれるが、台湾の投手が入れ墨だらけで面食らった。だが入れ墨は台湾原住民の習慣で文化であり尊重せねばならないと考える。台湾原住民の「紋面」から来ている。顔にまで入れ墨をする。日本代表チームの小園選手が顔に黒い模様をつけていたがああいう感じで顔にも永久的なのを台湾原住民はいれる。一般的に南洋諸島など海洋民族は個体識別のために入れ墨をいれる、マオリ、タイ、フィリピンなどなど。出漁中に事故に合う可能性があるからという合理的理由に基づく。しかし台湾の場合、原住民は在地の女性も入れ墨をし、宗教的な意味あいを持つ。他の南洋も宗教的な意味合いが入れ墨に大なり小なりあるだろう。海に出る必要のない王様も入れたりするから。つまり、入れ墨自体が代替の効かない文化である。

日本統治時代に台湾原住民の入れ墨を禁止した時期がある。明治時代になって新政府が日本国内の入れ墨を取り締まるようになった関係で、日本統治時代の台湾原住民に入れ墨を禁止せざるを得なかったという流れだが、台湾原住民の入れ墨は文化であり、他所の文化の否定に繋がる微妙な話ではある。日本統治開始直後に台湾原住民が反抗した一因に文化否定の要素があったかどうかは調べてみたい。そんな日本でも江戸時代まで、鳶、飛脚、博徒、火消しなどでは入れ墨はイキであり、無い方が恥の時代もあった。古くは邪馬台国の倭人が皆入れ墨していたと魏志倭人伝に書いてあるらしい。記紀に日高見国の人々は入れ墨を入れていると武内宿禰が報告している。琉球や奄美でも「ハジチ」という入れ墨文化が最近まであった。

入れ墨に関しては日本では公が否定の立場なので、反作用的なカウンターカルチャーや反社の良くないイメージがあるし日本の入れ墨は宗教的な文化でも無い(古代の残滓とコジツケて言うなら別だが)。一方で南洋では宗教的な意味をもつ文化であって無下に否定しにくい。入れ墨がある場合にMRIガイドライン上禁忌であるから、入れ墨はしないほうが良いという打算的誘導は文化否定にはあたらないかもしれない。MRIの導入が進めば入れ墨は消えていくか?いや伝統文化はそんなことでは消えないと考える。


憂鬱な月曜日。世界で一番嫌われるのが月曜日。仕事行ってきます。。

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