もつ焼き「うちだ」

呑兵衛の聖地巡礼、京成立石にあるもつ焼き「うちだ」。宇ち多と変体仮名で併記される。14時開店、15時に到着して長い行列に並ぶ。脚がフラフラしたおっさんが直前に並んでいて、まとわりつくような喋り方で呂律が回らない、中風を患っていると見える。たびたび転びそうになる。それでも長蛇に並ぶとは性根が据わっている。一人客が多く行列は静か。列の先頭が嬉しそうに暖簾をくぐって店内に吸収されて、行列は緩徐に消化され店内が見えてきた、電球色に照らされるおっさんたちが犇めき、活気に満ちている。声の主はわからなかったが、騒ぐ客に「しずかに、オーダー通んないから」と諌める。箸も盃も止まってグダグダしている酔客に店員が「今日はそのへんにしときやしょう」と無機質に声をかけ退店を促す、その圧がすごい。この甘くない雰囲気が良い。女子供や毛唐外人のくるところではない。彼奴らの求めるマシュマロみたいなおもてなしやわざとらしい心地よさなどここには微塵もない。が、私はそれを心地よいと感じる。ここにはここのルールがあり従えるものだけが入店し旨い肉と酒にありつける。渋いおっさんが無表情に肉を食い酒を飲む。淡々と、強い酒に乱れもせずに。独特の符牒を弁えた客が慣れた様子で「タンナマ赤いとこ」「ボイルお酢で(茹でレバーポン酢)」「カシラタレよく焼きで」「シロタレ」「ガツとテッポウ一本ずつ甘いの」など店員みたいにオーダーを飛ばす。店員同士の符牒を客が覚えて先回りして使ったのだろう。店員は客の符牒をそのまま厨房に伝える。茹でモツや茹でナンコツなどのポン酢がけがビールとよく合う。あと、ここの煮込みが滅法美味く、味を思い出すだに唾液が出る。なんの臓物かわからないぐらいとろとろに煮込んである部分と刻んでコリコリした臓物が一緒くた、汁は濃いがしょっぱくはない。瓶ビール2本と梅割り一杯を終え、気が済んでお勘定を頼んだ。「今日はいくつ?」と梅割りを何杯おかわりしたかを問われ自己申告するルール。だが私は梅割りは一杯だけで問われなかった。時代劇に出てくる居酒屋のように静かに飲み、四の五の言わないで静かに去る。適度な緊張感と他の客への相互の配慮が漂うこの店内で、手前勝手に食うものを写真に撮って収めるような野暮な真似をやる輩はまずいない。飲んで食ってさっさと帰れ、だらだらすんじゃない、この雰囲気が共有されていて良い。ごちそうさんと店を出て、小用を足したあと緊張が解けたせいか、急に酔が回ってきた。フラフラしながら立石商店街を徘徊して酔具合を確かめる。

宇ち多の出口。立石はしぶくてかっこいい。こういう昭和の町は永遠に残してほしい。

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