2022/09/27 晴れ
献花に着て行く服がさっぱりわからない。昔誂えた礼服は着心地が緩くなっていた。献花などしたこともなく襟付きのボタンダウンシャツに折り目の付いたパンツを履き、仕事に行く格好とさして変わらないなと不安になり、多少の見栄えをと祈る思いで他所行きのイタリア靴を引っ張り出してホコリを払って履いた。
往く途中、錦糸町駅の花屋に寄り献花を求めたが献花と頼んだはずが、花束はずいぶんカラフルで気に入らなかった。時間が迫っており躊躇しつつ慌ててそれを買った。能天気でお調子乗りな感じの店員が「こちらが献花で~す」と言ったのはいまだに腑に落ちない。白い花は売り切れていたのだろう。
包装も不十分な花束を持って電車に乗ることは中年男性には些か恥ずかしいもので、ズボンのチャックが壊れた人みたいに、花をこそこそ隠しながら窓を向いて電車に乗った。空席があったのにドアの近くで座席に背を向け、まるで外を見るかのように立った。地下鉄の車窓でどうせ何も見えやしないというのに。というのも国葬へ反対する騒擾運動があると喧しく伝えられていたから見習い忍者のようにコチコチに身構えていた。マスゴミテレビはガヤガヤとノイジーマイノリティのためにノイジーマイノリティーによる偏向報道しかやらない。左巻きは相変わらず攻撃的で頑迷固陋で何をしてくるかわからない。葬式にカネタイコを打ち鳴らして妨害しに来るらしい。彼らの目につかないような配慮をなぜこちら側がせねばならぬか。そんな人達を多様性と呼んでやるほどに私はお人好しではない。
半蔵門駅のホームに降り立つと、白い菊、白いユリを胸に抱いた方が沢山おられ、もう花束を隠す必要はないのだなと俄に思ったのだが私の花束に目を落とすと、黄色や緑、赤、枯れた木の実のついた枝だの、どうも秋の彩りという感じで、とても献花という風情ではない。まるで公民館のカルチャークラブのおばさん連中がそのへんで拾ってきた枯れ枝と花を適当に組み合わせ、まあ良いわねえと褒めあって作るフラワーアレンジメントのようですこぶる決まりが悪かった。田舎の図書館の階段に誰も見やしないのに、良いでしょ?と言う感じで飾ってあるあれだ。あの花屋め二度といかねえ。どうも収まりがわるいがいっその事”カブキモノ”の花束であると開き直ることにした。まあいいさ、なんでも、気持ちだ。おまわりさんに案内され6番出口を目指す。
地下鉄から地上に出る。はっきりしない空の下、想定を超えた献花の人出があり驚く。半蔵門駅から目的地九段坂へとは直に向かえず、まず反対向きに誘導された。麹町や平河町あたりの路地は献花に向かう人々の列が埋め尽くし、列がどこでどうつながっているのかわからなかった。警察官が上手にまとめられ混乱もなく静かに進んだ。こんなに沢山の人々が自発的に来ていることをどうせ偏向マスゴミは報道しないだろう。
曇りがちの上空を騒々しいヘリコプターが行き交う。高層ビルの壁面ガラスに写った空に、ヘリコプターが鏡像として見え、タンタンタンという音を増しながら実像をひょっこり見せ、バンバンバンと大きな音を打ち込みながらビルとビルとの間の小さい空をひとしきりノロノロと飛び、残響音だけを残してまた隠れた。その騒々しいのが止んだあと、思うように進まぬ行列を静かに静かに耐え忍んでいる人々の静寂が残った。わずかに歩いてはまた止まる、永遠に続くかと思われるその繰り返し。おじいさんもおばあさんも若い人も。無表情で寡黙な老若男女の意思表示。
鐘や太鼓をチンドン打ち鳴らして葬式を妨害しに来ている集団とやらを結局は見かけなかった。世界広しと謂えども葬式にカネタイコで妨害とは、管見の限りでは私の知るところにない。この奇習ですらも、一つの”多様性”であり寛容すべきであるらしい。
押出機から出てきた長い長い練り物がいい長さで切断されるベルトコンベアの工程にいるように、行列の流れは横断歩道の信号でぶつ切りされた。1時間ぐらい経ったころか、遠くで人が倒れて救急車がやってきて救助した。人々はその様子を見たあと、行列を少し離れて自動販売機で水を買い、体調を整えているように見えた。行列がいつまで続くかわからないから私も炭酸水を買った。
皇居が見えてきたあたりで向こうから変わった人が来た。よく陽に焼けて身なりのうす汚い痩せぎすの老人、誰かに与えられたお仕着せのプラカードをこれみよがしに掲げていた。行列から浴びせられる無数の強い視線に曝露されて怖気づいたか、おどおどした顔でこちらに一瞥くれながら行列を避けるように足早にかすめて行った。やりたくないのにやらされているのだろう。「強制反対」と粗末なベニヤ板に書いてあった。腹を据えて自発的に献花に来ている多数の人々に「強制反対」と、一体どういう料簡か知らんが言葉選びが間違っている。報道が無遠慮に撮影してきた。報道ではない人も無遠慮に行列を撮影した。彼らがその写真にどうせロクな意味付けをしないのはわかっている。弔意を表す列を撮影するバカがどこにいるか。彼らにとって我々は、行列という珍しいオブジェクトでしかない。人を人とも思っていない外科医の腕前が案外良いように、まるで外科医が切除されるべきガンをみるかのような視線、彼らの視線は無遠慮甚だしかった。
半蔵門の横断歩道を渡る時、信号機の根本の配電盤に婦警さんが手を入れて信号をコントロールしていた。手動に切替ができることを知った。続いて千鳥ヶ淵公園を北上していると、足元のオリーブの植樹が夏草に埋もれ、そのオリーブの根本には日本イスラエル友好と書いてあった。歩みがゆっくりじゃないと目に留まらないことだ。左にみえる英国大使館の古い建築は鮮やかな青と赤のユニオンジャックに彩られ格好が良い。若向きの服装が似合う身なりのきちんとしたお爺さんのようだ。ふと後ろでお婆さんの声が聞こえ振り返ると車いすに乗ったまま両脚を激しく揺らしておられ私は目が点になった。お婆さんは血栓予防で随意的に運動していたと気づくが激しい。その車いすのお婆さんが階段に差し掛かったときだった、お手伝いしましょうかと声をかけたところ、ほぼ同じタイミングでムックと立ち上がり、階段の手すりを伝いながら介助なしに降り始めた。お婆様のご家族が「大丈夫です、ありがとうございます」と仰った。
皇居の千鳥ヶ淵の緑が広く大きく目に入って代官町通りに差し掛かった。隊伍正しいのろのろした我々の行列のまとまりは、まるで固形乾燥卵スープの素を湯の中に入れた瞬間のようにバラバラに解けるように一旦解消し、めいめいの足の速さで献花台に向かう、細長い公園を。列を乱さぬように前後左右の目印にしていた人々もどこかに消えとにかく自由に歩いた。なにかを急ぐようにスイスイと追い抜いて行く普段着の若いお兄ちゃんもおれば、数時間立位歩行のあとに疲れ切ったご老人が低い石垣に座って杖をもたせ掛け、目を白黒させてフウと息をついていたり。ずっと立っておられたのだから、そりゃご高齢にはキツかったでしょう。いよいよ直前の持ち物検査場、「飲料は一口飲んで見せてください」と拡声器の声が聞こえた。献花台まであと少し、制服に岩手県警、青森県警の文字の制服を着た若い警察官が立って居られた。彼等も一日立っているのだ、お疲れ様ですと会釈。献花台が見えた。2つ設えてあり、安倍元首相の遺影の黒い二本の帯は気持ちを切り替えなさいという記号にも思え胸が詰まった。人の顔写真にこの黒帯を重ねることほど究極の写真加工はない。拡声器の声に急かされ慌ただしく献花をした。
その脚で隣接する靖国神社に詣でた。初詣に参って今年二回目、このようなきっかけで来るとは正月に思わなかった。献花の人がそっくりそのまま流れて来て靖国神社は初詣並みに混んだ。弔いのときに神社で柏手を打って音を立ててはならず、神道の葬祭では静かに”忍び手”をする。その様子はまるでタンポポの綿毛を両掌で捕まえるかのようにそっと手を合わせる。靖国神社の行列で周りを見渡すと、驚いたことに献花までの長い行列で二時間以上となりにいた人が偶然すぐ近くに居られた。単なる偶然だろうが、ふと思い出した。
これが私の献花、田舎の公民館のフラワーアレンジメント教室風。
愛国中年の戯言とご寛容ください。
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