気を消す

ネコは糞便に砂をかける。それは自らの気配を知らせないためにニオイを消すのである。人間は歳をとると垂れ流す。それはネコに習って言うなら、人生を終え、さらに生き伸びることへの欲求を失い、警戒を失ったから。気を消すということができなくなったら、周囲の人もそれに基づいて配慮をしても良いと考える。年寄り目線とはそういうことだろう。

というのも、最近おしっこのキレが悪くて、生命の危機を感じている。

朝から爽やかな話題でごめんなさい、江ノ島水族館の”カメ”です。

(2024/06/07 一部訂正)

コメント

  1. Rumikoの日記 より:

    若い子でも定期検査の時に緊張してなかなか尿が出なかったり、外出の時は途中でトイレに行かずに済むよう飲み物を控えたりしています。
    実は娘の事なんですが、少ししか出ないのに頻繁にトイレに行くたくなるそうです。(緊張型の性格)
    交通事故に遭遇したこともあり、お友達と旅に出るときには自分の部屋を隅々まで綺麗にして出かけて行きます。
    交通事故の後遺症で、『明日はどうなるか分からない』と常に思って行動しているようです。
    最近では68になる私の方が記憶力が良いのではと思うことが頻繁に起きています。
    多分ですが、他のことを考えながら行動しているのが原因だと思うのですが。。。
    ちょっと心配です。
    若年性アルツハイマーとかもありますしね。
    最近の我が家での話題は、『若いからと言って先があるとは限らない』
    だから今を精一杯生きる事だけ考えていると話していました。
    私が若い頃はそんな事考えた事もありませんでした。
    自身の交通事故の体験や、福島の原発事故、水害、新型コロナなど起きているせいでしょうか?

  2. yopioid より:

    こんにちは。コメントありがとうございます。
    悲観主義と楽観主義とのどちらが良いのでしょうね。

    仏教の諦観であったりペシミズムに生きることで、逆にいいこともあると思います。
    情報過多の渦の中から要らない情報を捨て、必要なことだけをやる動機になりえます。
    ”既成の悲観の仕方”や考えも援用すれば、行動は定式化され、迷いがなくなって行きます。
    迷いが多い人がそうなっていくことはあると考えています。
    生活の中のルーチンは個人の平安のためでしょう。
    その果に世俗を離れていくという道はわかる気がします。

    ペストの時代をいかに乗り切ったか本を読んでみました。ある人は部屋に閉じこもり、
    ある人は毎日快楽を追求して酒と性に耽り、ある人は田舎に逃げ閑居しました。
    どれも一生懸命限りある今を精一杯生きたと思いますが、
    疫病の前にはいかに生きても貴賤の差なく死は訪れました。
    先に進めなくなったときに生きることを肯定することは難しいし正解はないと思います。
    自分が楽しいと思うことだけをやればよいのだと思います。

    頻回の尿意については、心因的なものから実際に過活動膀胱や器質的なものであったり
    様々のようですね。
    Rumikoさんの新しいブログができたらどうぞお知らせくださいね。

  3. Rumikoの日記 より:

    yopioid様
    こんばんわ。
    こうした哲学的なお話大好きです。
    既に立ち上げてひと月になります。
    設定を覚えるまでの間は、今まで投稿して来たものに加筆訂正しながら掲載しています。
    rumikoの日記で検索すると、ワードプレスのブログの下に出てきます。
    後4日間でワードプレスは終了します。
    ワードプレスでもテーマが変わると設定の仕方も変わりますよね。
    ライブドアーの設定方法を学んで居る所です。
    新しい記事は暫くの間掲載出来ないと思います。
    一から出直しと決意し、皆様にはお伝えして居ません。
    半年で結果が出ると思われます。
    尿に関しては詳細はよく分かりませんが、交通事故で頸椎の前方固定術を行ってからは、夜中のトイレは無くなり今は順調です。
    3度も事故に遭い、最初の交通事故では何処の病院にかかってもも原因が分からず、良くなるどころか悪化し動く事も出来なくなりました。
    2年後に脳脊髄液減少症である事が分かり、腰の部分の硬膜に穴が空いていて、髄液が漏れて居る事が分かりブラット•パッチ(自身の血液を腰に入れる)で漏れが止まり改善しました。
    それまでの2年間は、病のオンパレードで生き地獄を味わいました。
    生きている事も辛くなり希死念慮も出て。。。
    今の気持ちとしては、一度の事故で亡くなられる方もおられますよね。
    そう考えれば、生きている奇跡を感じ、手術して下さった先生に感謝しながら生きています。
    3度とも同じ先生に治して頂きました。
    左胸郭の血管に張り付いて居る、肉を剥離する手術も行いました。
    この時は、真っ直ぐ歩く事もできず、両腕の握力は0.8で、目も開かなくなり何も出来ない日が続きました。
    3度も事故に遭い、3度も手術した状況では、健康な方と同じ事はできません。
    2年前に66歳でスーパのレジをしました。
    結果的には、11ヶ月で手、指、腕にかけて関節の炎症にてドクターストップになりました。
    辞職する時には、左脚を引きずるようになって居ました。
    Amazonの在宅ワーク応募して試験受けました。
    1次、2次と受かり、相手の居ない質問に答えるリモート面接で落ちてしまいました。爆笑
    落ち着いたら又挑戦してみます。
    Amazon意外で。。。

  4. yopioid より:

    病気ってホント嫌ですね。良い先生に見つかってよかったですね。
    ブログって設定大変ですね。私はお金を払いたくないので、youtubeの解説動画を参考にしました。
    悪い意味ではなく良い意味でいうと、なんらかの不便を抱えている人にしか思いつかない考えというのがその人にはあると思うので耳を傾けるようにしています。病気があってもなるべく自分でやろうと思っている人に何でもかんでも手助けすることはむしろ不愉快であるし、不愉快に思う人の方が多い印象があります。親切の押しつけはしないようにするのが相手への配慮になることもあると考えています。教育もそうかも知れません。自分でやろうと思っている子供を手伝おうとすると悲しそうな顔になる。障害のあるひとや病気のある人をある程度ほっておくという配慮が本当の親切になることもあるかもしれないです。電車では席はもちろん譲りますが、たまに老人に怒られます「わしをなんだと思ってやがる老人扱いしやがって」と。明治生まれの老人と比べると最近の老人は軟弱ですから減りましたけれどね。老人が座るのが権利と思うようなゴネドク老人が増えている気がします。