飛行機のセールがあったので、
5/8 広島発 09:10 羽田到着 10:30 便名:JAL 254 を6970円でゲット。安い。帰りの便は確保できたので、広島への行きは回り道してみよう。
ANA株主優待が使えたので大分空港、国東半島を北上して、船で帰ってみよう。2023.5.4 17:25大分空港着。プラン練りましょう。ざっくり、大分空港、国東→山口徳山→広島
竹田津港から徳山にスオーナダフェリーがある。大分空港から竹田津港への移動を考える。
歩くと36km、道草して9時間ぐらいか。たかが知れてる。公共交通機関を探してだめなら歩こう。
村上水軍のうち、豊臣秀吉に従った久留島氏は大分の森藩に封じられたのは知っていたが、それと別に、中世から大分独自の水軍があって、竹田津を領した竹田津氏は伊美氏、櫛来氏と共に水軍の将で、「浦辺衆」と呼ばれた。
永禄元年(1558年)から永禄5年(1562年)に、毛利氏と大友氏が門司城争奪戦をしたときは、毛利氏配下の村上水軍と、大友氏配下の浦辺衆水軍が戦った。朝鮮の役では大友氏は竹田津港から出港した。浦辺衆資料については後記。
蛭子能収、太川陽介の路線バスの旅というテレビ番組を見るのが大好きなのだが、生来のバス酔いのため私自身はバス旅行を遠ざけてきた。安く上げるために大分空港から北上する路線バスを探した。
大分空港停留所18:51発の路線バスで、竹田津港方面に向かう国東どまりがあった。途中まで行って歩くか国東に泊まるか。
国東より先に同日乗り換えはなく、日が暮れて歩くのも心配なので、国東に一泊して翌朝国東バス停から竹田津港へ向かおう。
地図を見ると、国東港フェリー乗り場があり、既出のスオーナダフェリーがかつて発着していたが、国東港路線は休止中。
バス停の時刻表を見ることができるサイト、翌朝国東バス停から竹田津港まではあるか?
国東→竹田津港は夕方までない、竹田津の手前の伊美ならどうか。
伊美までなら国東からバスがあるではないか!!伊美から竹田津港まで歩こう!!伊美バス停から竹田津港は4.6km。右上に姫島がチラリ。
20分で渡れるのだな。姫島は何がある島だろう。
「姫島」という地名の由来は、日本書紀にある意富加羅国の王子の夢枕に立ち、日本に逃げた美女の比売語曽(ひめこそ)からきているという説あり、村内にそれを祀った比売語曽社がある。
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面白そう!
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ナヌ!
姫島産の黒曜石で作られた石器が中国、四国の縄文時代遺跡から発見されており、この時代に広く交易が行われていたことを示している。
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いいじゃん~
平安時代末期頃からは宇佐八幡宮弥勒寺領となった。その後は大友氏の水軍・浦辺衆の根拠地の1つとなる。江戸時代は杵築藩領となり、大友家重臣の血筋といわれる古庄家が庄屋として島を治め、製塩業や甘藷栽培など殖産興業に務めた。姫島の中央低地の海岸は遠浅で慶長年間には塩田が開かれた。
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製塩の島で、海賊の拠点。
1864年(文久3年)の下関戦争では英、米、仏、蘭の連合艦隊が、関門海峡に近い要衝である姫島を拠点とした。その際、イギリスから帰国した伊藤博文、井上馨が調停のため来島している(その時の両名や島民の様子について英国外交官アーネスト・サトウが記録)。また幕府の軍艦奉行勝海舟が、戦闘終結後に姫島に上陸し、戦闘の模様について情報収集をおこなった。長州征討とも関りが深く、幕府の石炭貯蔵庫が1866年(慶応2年)6月29日未明、奇兵隊によると見られる放火で爆発し、完全鎮火まで4カ月かかる事件が起きた。また、島の庄屋であった古庄虎二が杵築藩と長州藩の講和を仲介した。大村益次郎暗殺事件では、犯人の神代直人やその師である大楽源太郎が一時潜伏した。
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コレは行かねばならんな。。
姫島の塩田跡が車海老養殖場になっておるようだ。
火口??
調査開始。
「30万年前の火山活動が産み出した地質学的魅力。。」
ジオパークですやん!!
バスナビ大分というサイトを見つけた。
そのなかで大分空港から宇佐へのリムジンバスがあった。
あら、便利。
宇佐に泊まる案も浮上。
バス、宇佐駅前から竹田津港は上の通り。
徳山まで行けば広島までは在来線でなんとかなるでしょう。
前後するが、浦辺村落 小考 – ーその歴史性と地理性の一面について一 別府大学紀要 16 14-27, 1975-01 別府大学会 によると、
浦辺衆は豊後国東部、海部郡に在地した。
『豊後国風土記』において、豊後国の8つの郡のひとつとして海部郡が挙げられている。風土記の海部郡の条には「この郡の百姓は、みな海辺の白水郎(あま)なり。よりて海部の郡という。」と記されており、海部郡の名は、海人が多く住んでいたことに因んで付けられたとされる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E9%83%A8%E9%83%A1_(%E8%B1%8A%E5%BE%8C%E5%9B%BD)
白水をシロウズと読むが、白水郎をアマと読むのを知らなかった。
国東半島東岸に散拠する「諸浦の輩」の具体的名称「櫛来氏」「岐部氏」「冨来氏」が1301年(正安三年)資料に認められる。
享徳三(1454)年の史料では大友義鑑からの書状に現在の地名に残る浦辺衆の名前が記されている。
姫島も伊美も岐部も櫛来も水軍の拠点の一つ。内陸の農地の利権に執着せねばならない地頭武将が家系図をしっかり残すのに比べ、水軍衆各家の系譜は史料に乏しい。
田深のあたりが国東郷の中核で、国東半島中央部の代表的拠点。
「平安朝期に隆盛を見た山岳信仰=天台の色一色に塗りつぶされた国東郡の中に、(以下略)」とあり、何故か天台宗。古代に渡来文化を背景に全国の八幡宮の総本社となる宇佐神宮が開かれ、仏教伝来に応じて八幡信仰と天台修験を融合させ、神仏習合を推し進めた宇佐・国東地域の寺院群が「六郷満山」。
国東の土地柄についてはこの論文では厳し目。
古代期における,中央的な消費性の強い時代にあっては,物資の移出的拠点として位置し,中世戦国期にあっては,恩賞的な土地を求める執心から大友軍団に迎合しなければならず,そこには,当然日和主義的行動が,生ずる所謂であり,近世に至ると,その地理的位置・歴史性から,譜代藩としての「格」は保障されるけれども,極めて平凡な近世を始終した国東郡の特質を見い出し得るのである.
狭隘な土地に猫額ほどの耕地しか確保できず、あまり豊かな土地ではなかったようだ。沖積平野部の少ない瀬戸内沿岸の事情と似ている。木はあるが農業では食えない。したがって、有り余る木で船を作ってやむなくリスクの高い海へ出る、貿易、戦闘要員、水先案内など海を舞台に活躍した人々のいる土地。オラの故郷と似てる、ワクワクしてきたゾ。
コメント
姫島は1人乗り電動カーみたいなやつでぐるりと一周しました。何にもないと言えば何にもないですが、僕は楽しめましたよ♪
ちょうどアサギマダラに逢える頃ではないでしょうか?鬼滅のしのぶちゃんのモデルとも言われる可憐な蝶です。
黒曜石産地の観音崎は10分ほど苦労して登りますが、キツさに報いるだけの絶景があります。
コメントありがとうございます。何もない島こそ楽しそうです。
五条さんのサイトにその神の島の情報があるかなと、”姫島”で検索しましたが、予告編リストの姫島と越智氏の記事がヒットしました。
個人的にはあまり詰め込まずに行ってみようと思いますが、なにか秘宝館的なものや、ヤジャーガマオジサン的なものでも結構ですので
もしご存知なことがお有りでしたら教えてください。
国東の港に熊毛港があって、山口にも熊毛郡があったなと思い出し、
熊毛の由来を調べだし、二字好字の前はクメゲで、来目皇子関係だったようです。
もし、なにかご存知のことがお有りでしたらご教示のほどよろしくお願いします。
姫島はもちろん行きましたが、まだブログに上げていません。もうかれこれ1年半くらい寝かせているでしょうか。
僕は比売語曽神社目的で行きました。アメノヒボコがストーカーした姫さんです。この姫は、今調べている越智の姫ではないかと思っています。但馬のヒボコ家にも嫁を出していたのかなと。
アサギマダラは良いですよ。タイミングが良いと100匹くらいが舞い降りて、幻想世界へと誘います。人が近づいても逃げることなく、手の上に止まってくれることも。気温変化に敏感で、朝方の方が良いようです。
姫島七不思議ってやつがありますので、それを目標に散策されてはいかがでしょうか。ジオパーク的なものもありますよ。
https://www.himeshima.jp/kankou/guidemap/
あと余談ですが、近くには猪群山というストーンサークルがあります。こちらはそこそこの登山となります。
真玉海岸は国後半島で唯一(大分で唯一かも)夕陽の見れる海岸で、日本一美しい海岸と呼ばれています。その理由は、晴れで夕刻に干潮(できれば大潮)が重なる瞬間、絶景を見ることができるからです。
ご参考までに。
アサギマダラ、渡り鳥みたいに渡るんですね!日本でマークつけたのが、香港や台湾で見つかると。それから、「調査のための捕獲手段として、白いタオルの一方をつかんでぐるぐる回すとアサギマダラが寄ってくることが知られる。利き手で網を持ち逆の手でタオルを回すと捕獲しやすい。」のだそうです。捕獲はしませんが、白いタオル持っていきます。
姫島の記事、旅が終わったあとに読んでみたいです。
姫島七不思議、ありがとうございます。
情報をたくさんありがとうございます!
いのむれやまのストーンサークルについて予習してみます。
マタマ海岸、5.4当日は大潮なるも、干潮は14:20でした残念。
調べていたら奇祭中の奇祭、由来不明の火祭り、ケベス祭りというのが櫛来地区にあるようです。
不思議なものがたくさんあるところですネ。
スケベ祭り!…かと思ったらケベス祭りでした
でもちょっと気になりますね。今年は日が合いませんが、来年行けるかも。
そういえば、姫島行きフェリー乗り場の近くに伊美別宮社(いみべつぐうしゃ)という神社があり、そこには大きなオチンポ様がありました。陰陽神というやつです。
https://ameblo.jp/ofe6hj-kozaru3dayo/entry-12715849351.html
火を棒で掻き回し、と言うケベス祭り、オティムポ様を祀る隣町の神社。リンクを拝見しましたがオティムポがマムーコの台座の上で一体となってる、南方のシヴァリンガを思い出しました。
シヴァリンガは男性器の象徴であるリンガと、リンガが鎮座している台座で女性器の象徴であるヨーニから構成されますが、これは男女の合一を示すと考えられ、男女の神が一つとなって初めて完全であるというヒンドゥー教の考えを表す姿です。以上引用です。
なるほど、出雲族がドラヴィダ族だと思うと、趣深いですね!豊の国は知的好奇心をくすぐるもので溢れています♪
広島へ帰省、遠回りして良い旅になりそうですね。
それにしても凄い量の情報収集、中々真似できません。
いざとなったら30キロ以上を歩く、のも、良いかな?!
アサギマダラ見られると良いですね。
でも、やっぱり凄い!
いつもコメントありがとうございます。細事を調べ始めるとついつい時間が経ってしまいます。無から調べる時は良いのですが、一冊を読み遂げないといけないような時にも脱線してしまうので、この癖も良し悪しです。