郡山の方言と久留米藩士との関係

福岡で育った関係で標準語に見え隠れする九州訛りを敏感に察知します。関東の工業地帯には地方出身の方が多く、聞き覚えある懐かしい訛りをみつけると、たまらずご出身をたずねてみて当たることもあります。関わりがあった地域の近辺はまあまあ正確にいい当てる事ができます。

ところが何度か失敗したパターンがあります。福島の郡山の方の訛を九州訛と間違えたことです。田母神俊雄さんの訛りを北部九州かと思ったけれど田母神さんも郡山のご出身。同じ福島でも郡山の方言には少し特徴があるらしい事がわかりました。郡山に安積疏水を作るとき、元久留米藩士がたくさん入って活躍されたらしい。それが原因かどうかはわからないけれどそういう気がしてきた。

福島郡山に久留米の地名がある

郡山には、久留米という地名が残っていることからわかるように、
九州地方から安積大開拓の時代に移住してきた方たちと郡山地元民の言語の融合があり、
九州弁のバイ【今日は朝まで飲むバイ!!】が同調求めに使う感じに使用します。

delight home HP より引用。トップスタッフブログテーマ 福島の方言、ズーズー弁を語ろう!

福島県郡山市と久留米市は姉妹都市である。その由来は、明治初期に困窮した久留米藩の武士とその家族が、国策に従い郡山の安積(あさか)の荒野を開墾し、井戸水以外になかった水を遠く猪苗代湖から水路を開削することによって根治の繁栄の礎を築いたという歴史があるからです。

明善同窓会関東支部ブログより引用

明治4年(1871年)、明治政府の廃藩置県により、多くの武士が失業しました。その武士の失業救済事業として各地への入植を図りました。開拓精神豊かな久留米藩士も刀を鍬に持ちかえ、東北の地、安積原野に率先して入植しました。明治11年11月11日久留米藩士141世帯585人です。この久留米藩士の筆舌に尽くせぬ努力によって、安積疏水の開発と安積野の開拓が進められ、今日の郡山市の礎を築きました。以来、今日まで130余年を経ていますが、本家・分家、地縁・血縁の間にある交流は永々として続き、市民交流が急速に進んだ昭和50年、久留米まつりの連帯の輪の中で姉妹都市の調印がなされました。民間の交流は年々高まり、子供会、婦人会、商業団体、文化団体等の交歓交流が続けられ、郡山市と久留米市はさらに深い絆で結ばれています。

久留米市HP 姉妹都市 郡山市 より引用

現在の郡山市をふるく安積と言い猪苗代湖から安積疏水をひいて、荒野から豊かな土地になりました。郡山の語源は安積郡郡衙の所在地に由来するそうです。

画像左奥・猪苗代湖より奥羽山脈を超えて手前・郡山市街地周辺の安積原野(郡山盆地)に湖水が供給される。 BehBeh – 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=106200152による 

同じ福島出身のヒゲの佐藤隊長には九州訛りを感じないのでやはり郡山の特徴かもしれない。

最後に筑後弁、久留米弁といえば鮎川誠さん!

<参考>

https://www.bunka-manabi.or.jp/kaiseikan/ 

公益財団法人 安積歴史博物館

コメント

  1. 五条 桐彦 より:

    福島には馬刺しとか、九州と似た文化もありますね

  2. yopioid より:

    福島も馬肉を食べるんですか!知りませんでした。
    戊辰戦争後に広まったようですね。その後馬刺し(生食)は力道山が持ち込んだ食べ方、とあります。https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/30_23_fukushima.html#:~:text=%E5%BD%93%E5%88%9D%E3%81%AF%E5%8A%A0%E7%86%B1%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%AE,%E3%81%A6%E9%A3%9F%E3%81%B9%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%81%8C%E7%89%B9%E5%BE%B4%E3%80%82 (出典 農林水産省 うちの郷土料理)一回凍らせて解凍して食べると、ザルコシスティスフェアリーという寄生虫が死滅するようで、売り物がいつも冷凍してあるのはそういうことみたいです。