川崎汽船は川崎重工の船舶部門が独立してできた。「K line」
商船三井は三井物産の船舶部門が独立してできた。「MOL」
日本郵船は三菱グループ。「NYK」
海外との競争力を保つためにコンテナ船事業のみ三社で事業統合してできたのが「ONE」。
三菱と三井は明治大正の頃はきな臭い関係だったと思っていたが、部分統合したのですね。
ピンク色いいですね~。ピンクは日本の桜を象徴。24,000TEU型コンテナ船“ONE INNOVATION”(ワン イノベーション)。呉のJMUで建造。全長≒400mで護衛艦かが(248m)よりでかい。
世界のコンテナ船運航会社トップ(2022/04/14時点)
コンテナのロゴマークをちょっと調べておく。
MSC(Mediterranean Shipping Company S.A.)スイス
A.P. モラー・マースク(デンマーク)
CMA CGM フランス 本社マルセイユ 郵便海運由来
中国遠洋海運集団有限公司
ハパックロイド ドイツ ハンブルク本社 ハンブルク・アメリカ小包輸送株式会社、Hamburg-Amerikanische Packetfahrt-Actien-Gesellschaft, 略称ハパック、Hapag)とブレーメンの北ドイツロイド(Norddeutscher Lloyd)の合併によりハパックロイドが誕生。
2017年設立、オーシャンネットワークエクスプレス。2018年4月1日から定期コンテナ船ネットワークの運営をスタート。ハパックロイド、陽明海運、HMMと海運同盟THE Allianceを結び共同運航。
長栄海運(ちょうえいかいうん、エバーグリーン・マリン)、台湾。
Hyundai Merchant Marine 現代商船 韓国。エイチエムエム
陽明海運 台湾 基隆に本社。李鴻章設立。
ZIM統合海運事業会社 イスラエル 本社ハイファ
萬海航運(ワンハイこううん) 台湾
Pacific International Lines(PIL) シンガポール
以下読書
マルクレビンソン コンテナ物語(日経BP 村井章子訳)2007
面白かったところを抜書きして肉付け。コンテナ輸送を世に広めたマルコム・マクリーンという人物を中心にコンテナが世に定着するまでを詳細に調べた本。邦訳もこなれていて読みやすい。村井章子さんは素晴らしい翻訳家。約15年前の本で統計などは古いが、コンテナ船黎明期の反発や、圧倒的な輸送力の違いなどにより世界の港の勢力図を変えたこと、安い輸送力により世界を繋げたことなど、コンテナの基礎事項がよくわかる。
・NYとリバプールはコンテナ港に適しておらず凋落した。釜山やシアトル、フェリクストゥ、タンジュンペレパスなどが台頭。
タンジュンペラパス港の発展と戦略 加藤美帆
世界の港湾別コンテナ取扱個数ランキング 国交省
タンジュンペラパス港 国交省資料
・コンテナの発明により輸送コストが下がり、一箇所に集約していた製造工程を分けることができ、サプライチェーンを伸ばすことが出来るようになった。
・必ずしも消費地の近くに工場を作る必要がなくなった。
・輸送費が安くなり貿易が活発になると労働力の安い国に生産過程の一部がシフトしていく。サプライチェーンが途上国にも伸びる。
・ガントリクレーン トランスファークレーン。
・税関の検査官や公安関係者にとっては、途中でコンテナを開封できないことが頭痛の種。核物質、麻薬、テロ用の爆弾から不法移民に至るまでなんでも運ばれる。逆にコンテナになって窃盗が減って保険料がさがった、いわばコンテナは金庫みたいなもの。
・インターモーダル方式とは。鉄道、トレーラートラック、航空機、船舶など異なる輸送モード(輸送機関)を複数組み合わせるのが「インターモーダル」。コンテナ単位でスムーズに貨物を積み替えながら、最終配達先まで一貫して運ぶ複合輸送サービス。(https://www.logisteed.com/jp/forwarding/intermodal/)
・顧客の需要に応じて作り在庫を抱えない、ジャストインタイム方式が取れるようになった。(トヨタの生産方式)、オンデマンドで定期航路に乗せる。定期航路が正確に流れていないとオンデマンドはできない。
・新技術の導入を阻むのは現場、経営者、既得権益者の抵抗感。発明の経済効果を生むのは発明それ自体ではなく、発明を実用化するイノベーションであり、もっと言えば企業が変わること。インベンションは発明だが、イノベーションは刷新、革命などと訳せる。人とかシステムが更新されること。
・コンテナはただの箱、それを導入するかどうかがイノベーション。イノベーションによって職や利権を失う人が出る。イノベーションは誰かがトクをし、誰かが損をする。コンテナの最終的な利益受給者は安い製品価格にありつける消費者。
・コンテナ以前は積荷の窃盗が普通。特に酒など。
・コンテナを世に広めた天才、マルコム・マクリーン氏は元々トラック運転手。トラック運送会社を拡大し成功を収めていた。日に日に酷くなるハイウェイの渋滞に頭を悩ませ、海を使うことを思いつく。船賃のほうが安い上に渋滞を回避できる。トラックごと船に乗せること、トレーラーをのせること、そしてコンテナだけを乗せることを実用化する。様々な猛反対に遭いながらコンテナ船と専用コンテナを開発。
・制度上陸運と海運は権利が分かれており、海運会社を買った。その際マルコム・マクリーン氏は自身が立ち上げた陸運会社の株を手放し退路を絶っている。買った海運会社の親会社もLBOで買った。
・コンテナ船の荷揚げ荷卸しができるコンテナ埠頭を整備するにはガントリークレーンの設置など多額の投資が必要で当初、マルコム・マクリーンはカーフェリーでトレーラーごと運ぶこと(RO-RO船方式)を考えた。しかしコンテナだけの積み下ろし(lift on -lift off LO-LO式)のほうが相当な節約になると試算、T2 タンカー(第二次世界大戦中にアメリカ合衆国において大量建造された戦時標準船型石油タンカー)を2隻購入し改造、33ftのコンテナをKeith Tantlingerに依頼し開発、造船所で放置されていたクレーンを見つけ購入し、改造を施した上でニューアーク港とヒューストン港に設置した。機械化に伴う沖仲仕(港湾労働者)の失職、補償を労組は要求した。
・キース・タントリンガーはエンジニア、後にフルハーフ社へ(セミトレーラーを発明したフルハーフ氏の会社。日本フルハーフの前身)。タントリンガー氏はコンテナ標準化のプロセスで重要な役割を果たした。吊り具を引っ掛ける四隅のコーナーキャスティングと、ツイストロックシステム、コンテナを持ち上げるスプレッダーバーも設計。
・コンテナ船事業に商売敵の鉄道会社から異議申し立てがあったが一年後に却下され、マクリーンの会社にコンテナ輸送の許可が出る。
・1956年4月26日、招待された100人の要人を前に、改造が施されたされたタンカー「アイデアル・X号」はニューアーク港からヒューストン港(テキサス)に向けて処女航海。
何事も先鞭をつけるのが最も難しく先駆者の利益は大きい。コンテナはすでに存在したが形もまちまち。港湾にコンテナ船積み用クレーンを設置するアイデア、コンテナ固定のための機具の発明、船積みとトラック積載ともに可能な接続具の共通化、共通規格を目指すところなど、個々の技術開発もすごいのだが、最も大変だなと読んで思ったのは既得権益者を含めた既存制度への説得、旧態依然の組織の猛反対との戦い。イノベーションの最も大変なのは、社会変革できるかどうか(社会が変化を受容するかどうか)。
・ニューヨーク港の労組、既得権益者が反対し、結局ニュージャージーに機能が移転し、古ぼけた港湾施設だけが旧いニューヨーク港に残ってブルックリンやマンハッタンは港としてはその後凋落した。
・ニューヨークとニュージャージーは港として隣で敵対的であったが統合的なNYNJ港湾局ができ、包括的に開発を行うようになった。桟橋や埠頭が老朽化しているにも関わらずその改修を港湾局に委ねることをニューヨーク港(ブルックリンやマンハッタンの利権既得者、NY市、労働組合)は嫌がった。港湾労働組合も腐敗していた。船会社や雇用がニュージャージー側に移動していった。
・ニューヨーク市はNYNJ港湾局に敵対、港湾局はニューヨーク港に将来性を見ていなかった。その折、コンテナ化が進み始めた。コンテナ化が進むにつれ、雪崩をうって、マンハッタンやブルックリンからニューアークに機能が移り始めた。
参考 ニューヨーク・ニュージャージー港のコンテナ港湾戦略
画像はウィキペディアから。ニューヨーク・ニュージャージー港からマンハッタンを望む。近代的なコンテナ港はニュージャージー港(ニューアーク港・ポートエリザベス港)にできた。
・1965年からは国際航路にもコンテナ化が始まった。
・ブルックリン、マンハッタンは港湾地区でもとは荷役労働者がたくさん居た。ブルックリンにはイタリア移民が多かった。
15世紀にアメリカ大陸に渡っていたイタリア人も大勢いたが、多くは1880年代からの移民である。イタリア統一が達成された後、その母体となったサルデーニャ・ピエモンテ王国の人材(ピエモンテ閥)を中心とした統治体制において、旧両シチリア王国に属したイタリア南部や島嶼部の住民は冷遇される日々を送っていた。ブリガンタッジョと呼ばれる南部での反乱や山賊行為に対する激しい鎮圧を経て、一層に困窮したナポリ地方やカラブリア半島、シチリア島の人々を中心に北米への大規模移民が始まった。南部移民の多くは既にイタリア系移民が多数定住していた東海岸北西部(ニューヨーク州とニュージャージー州)に定住し、特にニューヨーク市(マンハッタン・ブルックリン・クイーンズ・ブロンクス)は「イタリア系の街」として発展していった。勿論全員ではなく少数ながら西海岸に進んだ人々も記録されている。イタリア系アメリカ人、とくにアメリカに移民した者達は自己の文化を保ちながら仕事・生活に従事するため、同じイタリア人で移民者のコミュニティを作ってリトル・イタリーと呼ばれるイタリア人街が随所に出来上がった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2%E7%B3%BB%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E4%BA%BA
(ちなみにイタリア移民のロッキー・バルボアの舞台はフィラデルフィア。マフィアのラッキー・ルチアーノはマンハッタンのロワーイーストサイドで育った。)
・1966年にブルックリンの海軍造船所が閉鎖移転すると、ブルックリンは転がり落ちるように工業が縮小。
・コンテナ化による荷役の機械化により、荷役(人力)は減らされた。さらに港湾労働者の組合のストライキやいざこざを避けるため、工場でコンテナに詰め、港湾労働者に頼らないようになる。労組はコンテナ反対を唱えた。
・荷役業界の生産性の悪さは労働組合を背景にしたもの。沖仲仕はパレットで運ばれた荷をいったんバラして組み直す現場ルールを”掟”として墨守。荷役方式を変えることに抵抗した。
・労組のトップ、ブリッジェズは労働組合員に「機械化を止めさせることが出来ると考えている諸君は、我々がまだ30年代にいると勘違いしているのだ」と諭した。
・アメリカ海事管理局は無秩序なコンテナ開発に終止符を打ち、共通規格化を決心する。ISO国際標準化機構も乗り出す。
アメリカ海事管理局 MARAD (U.S. Department of Transportation) Maritime Administration
米国海事局。1950年に米国商船隊の育成・発展を目的として商務省の一部として設立され、1981年に運輸省の組織に組み入れられた。米国籍船への助成・二国間海運協定などを管轄。
■MARAD:http://www.marad.dot.gov/
・マルコム・マクリーン率いるシーランド社はタントリンガー氏が開発した自社コンテナに関する特許を放棄し、接続金具(隅金具)の共通規格は決まったが、その後も他社は自社製の金具とクレーンにこだわり続けた。ナショナルキャスティングス社は、シーランド社の規格に対抗し、使用料をただにすると申し出て自社製品の採用を盛んに働きかけたため、二規格が争う。しかし突然終わりを見る。ナショナルキャスティングスが買収され、シーランド方式隅金具が米国規格として承認された。ISOでも米国規格が国際規格となる。コンテナサイズに関しては、先行したシーランド社とマトソン社がすでに使用していた米国のコンテナサイズではないサイズが国際規格とされひと悶着あった。
・コンテナトレーラーが高速道路網の建設で活躍し始める。貨物を奪われた鉄道会社はtrailer on flatcarという仕組みを考える(下図)。トレーラーごと乗せて、乗員を別車輌で運ぶ。800kmを超えるトラックの長距離移動の場合が損益分岐。これもまた複合一貫輸送、インターモーダル方式の一つ。
・運輸関係で使われる”ロジスティックス”とは”兵站”または”兵站学”、もとは軍隊用語。軍事用語としては、作戦計画に従って兵器や兵員を確保し、管理し、補給するまでの全ての活動を言う。前線で戦闘に従事する前方業務に対して、後方業務または後方支援と呼ばれる業務領域を指す。その後、産業構造の高度化により、経営用語としても用いられるようになった。そもそもロジスティクス(兵站)はロッジlodge(宿泊所)に由来するのであって、港やクレーンの意味はないがロジスティクスにおいて鍵を握るのは各モーダルの接合点の迅速で正確な荷の上げ下ろしや積替えを可能にする港湾施設、次に補給路と運搬方法が安定していること、燃料や人件費のコスト(ストライキ、コロナでの港湾の滞留等)などで、これらがロジスティックスの重要な要素となる。
・古代ギリシャ語: logistikós (ギリシャ数学の伝統的分野 記号論理学)は、軍事および物流用語のロジスティクスとは無関係でフランス語のロジス「宿泊施設」から来ているが、影響を与えたと考える人もいる。
・ベトナム戦争は兵站が課題だった。サイゴン、ダナンなどは喫水が小さく、沖合に停泊した大型船からハシケを使って運ばれた。サイゴンはクレーン1基とフォークリフト数台のみしかなく、主に人力に頼っていた。倉庫や桟橋は水揚げの争奪戦となり、貨物は放置され盗難が横行。せっかく届いても陸揚げできずに船は待機した。
・前線からの要求に従って物資を送るオンデマンド型が「プル」型、本土の方のロジスティックス専門家の方で何を送るかを決めるのが「プッシュ」型。ロジスティックス専門家はベトナムの港の様子などお構いなしにこれが必要だと計算して送り続けた「プッシュ」型。港湾が整っておらず、陸揚げできなかったし不要なものが送られたことも。(プル型の例がトヨタの生産方式ジャストインタイム方式)
・米軍はカムラン湾に浮桟橋をサウスカロライナから曳航し、沖合に電源のために艦艇を停泊させ、外航船が入港できる港湾機能をもたせた。こうしてようやく積荷が水揚げできるようになった。兵站は港湾機能を無視できない。
・ベトナム側で米軍の兵站が混乱した一因として、混載船であったこと、宛先が別のものが混載されていたことなども。マルコムマクリーンはコンテナを活用することを思いつき、海軍大将フランクベッソンに直訴し、ベトナム視察許可を受ける。マクリーンの説得に渋っていたペンタゴンだが、マクリーンが沖縄経由でコンテナ輸送してみせたことで軍はマクリーンのシーランド社を指名しコンテナ輸送を任せた。コンテナ輸送によりコストが削減されることを軍も認め、懐疑的であった軍もコンテナ支持者に変わる。「コンテナリゼーションはシステムである。コンテナの全面活用を念頭において設計されたロジスティクスシステムで使われて初めて、コンテナの効果は最大化される。」補給の指揮を執る海軍大将フランクベッソンは議会で力説した。
・マルコム・マクリーンはベトナム行きの満載コンテナで成功を収め、ベトナムから空船で帰るのもバカバカしいと、帰りに日本に寄ってテレビやステレオをアメリカに運んた。マトソン海運は日本郵船と、マクリーンのシーランド社は三井と提携した。マトソン社は西海岸、シーランド社は東海岸中心。
港湾機能、荷揚げ荷下ろし、接続点の処理能力の果たす役割が兵站に重要。
・サンフランシスコ港湾当局がマトソン海運のコンテナターミナル計画を拒否したため、サンフランシスコ湾の東岸にあるオークランドがコンテナ港として浮上した。それまでオークランドはドッグフード、ドライアイス、ブレーキ部品の工場が少しあるぐらいの小規模の港だったがコンテナ港化で大いに発展した。下図、OICTオークランド国際コンテナターミナル。
・西海岸に比べ、東海岸ではコンテナリゼーションはいっかな進まなかった。原因は労働組合と予算である。
・イギリス政府はコンテナ港としてティルバリー港推しだったが、労働組合が反対した。かわりにフェリクストゥ港がコンテナ港として躍進した。遅れを取ったイギリスに変わって台頭したのがロッテルダム。
フェリクストゥ港
・オランダの労働者はコンテナに拒絶反応を示さなかったのでロッテルダム港は発展。
ロッテルダム港
・コンテナのメリットを最初に実感したのはエレクトロニクスメーカーだった。電子製品は壊れやすい上に盗難にも遭いやすく。正にコンテナで運ぶにぴったりの商品。エレクトロニクス製品の輸出は1960年代前半から伸びていたが、コンテナ輸送で運賃が下がり、在庫費用が圧縮され、(盗難が減るなど)保険料が安くなると、トータルの輸送費が低下し、日本製品はアメリカ市場を、続いてヨーロッパ市場を制覇した。
・日本政府は経済開発戦略の中心に海運を据える方針を打ち出し、商船の数を50%増やすという目標を立て4億4000万ドルの補助金財源を確保。船会社は新造船の5%の自己資金で、残りは政府系の日本開発銀行が出した。ほとんどプレゼントのようなもの。日本で造船が花形だった時代。
・全世界的な輸送力の供給過剰で値下げ競争が始まる。
・運賃運賃はカサが大きいものは容積で、重量物は重さで決める。混載船の時代は内容物によって種類によって料金体系が決められていたが、この人工的な価格の維持はコンテナ時代には見合わず消滅し、コンテナ用の料金体系にかわり船会社の利益は減少。その結果、船会社の合併が相次ぐ。
・価格維持のため船会社はカルテルを形成。ヨーロッパ極東航路の大手5社は太平洋航路のコンソーシアムを結成し、トリオと名付けた(イギリスの2社と、日本の2社ドイツのハパックロイド)。北大西洋でもプール協定が誕生。強力なカルテルで輸送能力を統合するもので、これによって運賃の値下がりが止まり値引き競争が止まった。
・コンテナ運賃価格の決定要因、原油価格は燃料に直結する。そのほか為替。また、コンテナ船や港湾は固定費が高いので、積荷が減ると単位あたりの経費が上がる、つまり景気がわるいと積荷が減り、コンテナ運賃は上がる。当初は価格転嫁できていたが、規制緩和で荷主の力が強くなる。
・価格決定に規制があり、運輸業界を育成保護するための規制があった頃は船会社の利益は確保されていたが、規制緩和されると運賃は下押しする。コンテナ輸送力が飽和し、荷主の力が船会社より強くなった。輸送費の下げ止まりで荷主と消費者が受けた恩恵は計り知れない。
・コンテナ船は巨大化した。海峡や運河を通れる大きさかどうかによって規格区分される。パナマ運河を通れるマックスの大きさがパナマックス。
パナマ運河を実際に通過が許可されている船舶の大きさの制限値は以下の通り。
全長:294.1m
全幅:32.3m
喫水:12m(熱帯淡水において)
最大高:57.91m
排水量6万5,000トンが典型的な大きさ
スエズマックスの典型的な載貨重量トンは約16万トンで、幅は50 m。スエズ運河大橋の高さが70 mで喫水上の高さが68 mに制限されている。
マラッカ海峡の航路上には、水深22.5mの浅瀬があり、これにより航行可能な船舶の最大サイズが決められている。典型的なマラッカマックスのタンカーのサイズは、全長333m、幅60m、喫水20.5mとされる。これは、VLCC(very large crude carrier)と呼ばれる超大型タンカー (最大30万トン) のサイズに相当する。
https://www.ihi.co.jp/var/ezwebin_site/storage/original/application/2c091062dfd6725766af0093681a3976.pdf
・コンテナはグローバルサプライチェーンを作り出した。国際貿易が現代ほど盛んになることはコンテナ出現時には誰にも考えられなかった。
・沖仲仕(港湾労働者)の集団をギャングと記載があり調べた。wikipedia ギャングの内容から。
もともとgangは、オランダ語やドイツ語で「行進」「行列」「通路」を意味する言葉であった。ドイツ語の行く、gehenの過去分詞がgegangenだ。部分的にギャングっぽい。
From Middle English gangen, from Old English gangan (“to go, walk, turn out”), from Proto-Germanic *ganganą (“to go, walk”), from Proto-Indo-European *ǵʰengʰ- (“to step, walk”).
https://en.wiktionary.org/wiki/gang#Etymology_1
gang
German :obsolete form of geh, singular imperative of gehen
Dutch : From Middle Dutch ganc, from Old Dutch gank, gang, from Proto-West Germanic *gang, from Proto-Germanic *gangaz.
passageway, alley
gait, walk (person’s manner of walking or stepping)
journey
hallway, corridor
course
https://en.wiktionary.org/wiki/gang
ドイツ語 gangはgehenの単数命令形gehの古い使われ方。おまえ行け!がガング!だった。
これらの言葉が港湾で使われるうちに海外へ伝わり、また意味も変遷して、船内荷役作業員・沖仲仕(港湾労働者)の集団を指すようになったと考えられている。現代でも、海運業界は荷役作業員のユニットの意味でギャングという言葉を用いている。コンテナリゼーション以前の時代、高賃金で体力勝負の一方で、多くが日雇いであり労働災害も多い港湾・船舶の労働現場は、荒くれ者が自分たちの利益を守るために強固な集団を形成していることが多く、また、密輸などの組織的犯罪とも近縁の存在であった。そのため、アメリカの禁酒法時代に、暴力的犯罪者集団を特に「ギャング」と呼ぶようになり、以降現代で使われる暴力的犯罪集団の意味が強くなった。
以下雑感。
グローバル化の背景にコンテナの果たした役割は大きい。”一定の国を持たない国際ユダヤが陰謀的にグローバル化を進めた”という反グローバリゼーションの珍説がありますが、むしろ技術的なイノベーションが明らかに先にあったのであって、ユダヤ人が旗を振っていたわけではない。グローバル化はコンテナリゼーションの帰結、グローバルサプライチェーンがもたらした無主的なものとしか思えない。諸手をあげてイノベーション、コンテナを礼賛するつもりはないですが、積み上げた伝統的技術や文化がイノベーションの結果破壊され大袈裟に言うとそれまでの社会基盤が崩壊したとしても、それと引き換えに安くスマートフォンを利用でき便利な生活を享受できていること自体は、同じものの二側面であり、コンテナによる物流革命によってもたらされた莫大な恩恵を享受しているはずの末端消費者が頭でっかちにグローバル化反対、というのもなんだかおかしな話だなと。
次に。熱量の違うものが接すると温度が平均化します。コンテナという媒介でグローバルサプライチェーンが伸び挙げ句に人件費が安いところは押し上げられ、高いところは職を失い低賃金化していく。そのあとでも、平均化する前の温度差をもたらした背景、大げさに言えば国柄や文化とか勤勉さとか受け継がれた社会の暗黙のルールの違い、それらを育んだ地理的条件(多くは自然への危機感だろう)は変わらないのであり、その差は不変のままであろうと考えます。微温ながら国柄によって温度差は残り続けるのだろうと想像します。
最後に各国のコンテナ港。”container terminal”で検索すると出てきます。お読みいただきありがとうございます。
ジャカルタ
三井物産のコンテナターミナル事業 ジャカルタのタンジュン港
シンガポール Singapore Container Terminal
アメリカ ロングビーチコンテナターミナル
釜山BNCT
大井CT JFEエンジニアリング
港湾地区をCities Skylineで再現。台湾のRUさんの作品。
タントリンガー氏が属したトレーラーを発明したフルハーフ社の古いPV
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