壱岐でアジのみりん干しを子供のときに食べ、旨さに衝撃をうけ、大好きになり、郷ノ浦港でお土産にたくさん買ってもらってしばらく食べ、払底したあと壱岐を懐かしんでいた。その後、呼子のみりん干しも似た味で美味しい事を知り、呼子に行くたび、朝市で買ったり、たまに送ってもらったりもしていた。はちみつが入っているらしい。今、呼子の朝市から取り寄せて、手でもしゃもしゃむしりながら食べている。美味しくて飽きることがない。アジしか買わないのはみりん干しはアジが一番である、と思うから。
大量に送ってもらって冷蔵庫に入れていたら一部が白く変化していた。菌がついている。最初は驚いてがっかりしていたのだが、うまそうな匂いがする。変化したものを洗いもせずにじっくり焼いてみると西京焼きの香りがする。口に含むとまさに粕漬とか西京焼きに類似した発酵臭がフワフワと鼻腔を満たし、アルコールの香りも少しする、決して嫌な警戒臭はしない。これはおそらくコウジカビ。コレはコレでうまいじゃないか。食べ続けていると麹の焼けた香りの奥に強烈な旨味が倍加されていることに気づく。口内で噛みつぶして滲み出る汁を味わう。これは見事な発酵で、私には決して腐敗ではない。美味ければ発酵だ。呼子の朝市、保存料を使っていない事がわかる。通好みと言うか奥深い味になった。癖の強い酒が飲みたくなる。香りの系統は丹後のへしこにも似ている。涙がでるようなアンモニア臭はしない。仮にあっても他の芳しい香りに消されているのか、またはよく焼いてとんでしまったのだろうか。タンパク質の発酵なので普通アンモニアの匂いがしそうなものだが。焼いている最中に気づいたが、裏返すときにドリップが普通のみりん干しより多い。分解産物であろう。
発酵は出会いである。少なくとも古代人には。思わぬ崩れが思わぬ旨味になることもある。冷蔵庫などないときに、発酵がもっと生活圏にあったはずだ。そして、腐りかけのものを美味いと経験的に想像しながらすすんで食べていたはずだ。現代人が打ち捨てているようなものを。食品は時間で変化し、場合によって旨味を倍加する。保存料のない時代、おそらく変化を楽しむ度量があっただろう。今だと気色悪い潔癖症のクレームばかりになるだろうけれど。規範の番人みたいなくだらない人間ばかり増えると、発酵の話もしにくくなる。
私は日頃、出雲の李白酒造の本みりんを使っている。そのまま飲んでも意外にうまい、昔ながらのみりんはそのまま飲むために作られた。たまにキッチンドリンクする。さてこのみりん干しのカビ、本みりんのコウジだろうか。最近のみりんはGHQの統制で不味いものばかりになったが、李白酒造のは昔ながらのみりんで本当にそのまま飲んでもうまく、菌が生きている気がする。だが、偽物の戦後のみりんには菌は生きていない。呼子のみりん干しにもどるが、この旨味と芳香を醸し出した菌、いったいどこから来たのか、まさか呼子の朝市のみりん干しのおばちゃん、本みりんを使っているのではあるまいか。あるいはあのおばちゃんの手のひらの菌だろうか。
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