Wachet auf, ruft uns die Stimme.
邦訳は、「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ。」私にはなんのことやらわからない。
「主よ人の望みの喜びよ」と同じくらい意味がわからない。
「恋しさとせつなさと心強さと(篠原涼子)」くらい意味がわからない。
「どうしようもない僕に天使がおりてきた」も意味がわからない。
Wachet auf, ruft uns die Stimme. は、
「目覚めよと、われらに呼ばわる物見らの声。」という訳もある。
「目を覚ませと呼ぶ声がきこえ」
「目覚めよと呼ぶ声あり」とも訳されるが、どう訳されても状況がわからない。調べてみる。
話は変わるが、私は高校の時朝起きられなかった。学年で一番遅刻をし、遅刻の王様と呼ばれ職員室に呼び出されたこともある。母親が鬼のように起こしに来た。「目覚めよ」なんて生易しいものではない。「起きなさい!」とほうきで戸を叩きにきた。「目を覚ませと呼ぶ声が聞こえ」、私は再び深い眠りに落ちてゆく毎日だった。
私はバッハが好きだがキリスト教には関心がない。”餃子の王将”は好きだが中国は嫌い、があるように。この題「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」は夜中にイエスが来たから起きなさい、という歌。夜中に来るイエスもそれはそれでどうかしているとおもうのだが。なんで夜中にくるのだ。何しにきたのだ、怪しい、その謎解き。
この曲は第27日曜日のために作られた賛美歌なのだそうだ。その歌詞は聖書から採られていた。
春分過ぎた”最初の満月🌕️”の次の日曜日を復活日と決める復活祭は、年により移動する。春分の直後に🌕️満月と日曜日が揃って来れば、3月20日ぐらいか。その年は復活祭が早くなる。逆に遅い場合を計算する。満月🌕️が先で、その直後に春分が来れば、次の満月まで29.5日あるから≒4月19日、その日がたまたま月曜日なら日曜日まで6日待つとして4月25日。復活祭は早い年と遅い年とで一ヶ月以上の差が出来る。
復活祭から数えて50日目を聖霊降臨節。復活祭はユダヤ教の過越祭(ペサハ、パスカ)、聖霊降臨節はユダヤ教の収穫感謝祭(シャブオット、ペンテコステ)にそれぞれ起源を持つ。聖霊降臨節の次の日曜日が三位一体の祝日。その日をゼロ起点として、次の日曜日がくるたび、第1、第2,3,・・・と数える。満月🌕️のタイミングで復活祭が早い年は第27日曜日まであるが、復活祭が遅い年だと第23日曜日までしかない。バッハはそれぞれの日曜日のためにカンタータを作り、第27日曜日用のカンタータは後回しで数年後に作られた(それがBWV140「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」)。いい曲なのに数年に一度しか来ない第27日曜日にしか使われないその曲を不憫に思ったか「バッハが選ぶ♡“スゴイ”カンタータ集」に採用された。埋もれているけど名曲じゃない?とバッハも思ったに違いない。7つの構成よりなる、4番が有名なやつ。下にその動画(BWV645)
1. Wachet auf, ruft uns die Stimme 「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」
2. Er kommt, der Bräutgam kommt 花婿がやってくる
3. Wenn kömmst du, mein Heil? 私の救いよ、いつおいでなさる?
4. Zion hört die Wächter singen シオンは物見らの歌を聞く
5. So geh herein zu mir ならば私のところに来なさい(準備が良かった娘に、イエスが来いと命じる)
6. Mein Freund ist mein! Und ich bin sein! 私の友人は私のもので、私はあなたのものだ
7. Gloria sei dir gesungen 栄光があなたに歌われますように
マタイ福音書のストーリーに基づく。婿が来るのを待つ10人の乙女が寝ずにまつ。婿をイエスに擬えている。夜が更けても来ないのでウトウトする乙女たち。婿どのがやっときた、「おきろーきたぞー!」と物見の声、居眠りしていた娘たちが起きるのだが、準備万端の乙女たちだけが宴に招かれた、油断するな、という話らしい。やっぱり夜に来るイエスはどうかしている、昼に来りゃいいじゃん。人を試すようなことをしてはいけない、とじいちゃんが言っていたし。
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