ANAマイルの期限と株主優待券の期限が迫っていたので、羽田⇔萩・石見空港を利用。レンタカーで石見銀山、元乃隅神社を回った。
一泊し、夕食を益田市内の食堂でとっていたとき、地元の方々にどっからきたん、と話しかけられ数時間会話、車で食堂に来ていたので酒を断り続けていたら、「代行やすいよ!」と飲酒の催促。話も面白かったので帰りは代行にして酒を飲むことにした。伺ったことを忘れないうちにメモ。
「石見銀山なら出雲空港からこいよ。導線が悪いわ。次はJAL使って出雲からこいよ」
「石見銀山いったら温泉津温泉なんでいかんかったん。もったいない!益田市内の温泉とかありえんわ」
「石見銀山どうやった?あんなんで世界遺産てどう思う?地元の人が迷惑しとるで。佐渡とか足尾と比べたらちいさい」
「萩・石見空港っていうけどな、萩全然関係ないし」
「益田は貧乏」
「益田は長州です、ここは長州の一部です」
「どんどんのうどんは美味しい」
「益田は柴犬の発祥地、空港に柴犬Tシャツ売っとるよ」
「梅毒の治療薬、サルバルサンを発見した秦佐八郎は益田の人です。」
四名の益田人が、それぞれ仰る一言に控えめにお国自慢が色々押し込められている。消化不良なので調べてみた。
益田が長州???
信長の野望という戦国PCゲームに益田氏が出てくる。益田氏は石見の豪族。益田氏は本姓は藤原氏で最初住んでいた浜田から益田に居を移したときに御神本氏から益田氏に改めた。南北朝時代は益田宗家は北朝方、その他の益田家の庶流は南朝方についた。観応の擾乱が起きると南朝方につき、直義が不利になると大内氏は尊氏に寝返り益田氏もそれにならって北朝方へ。大内氏のもとで石見を領する。陶晴賢に大内義隆が討たれると晴賢側についた。厳島合戦で晴賢が討ち取られたとき益田氏も吉川元春に益田領に攻め込まれ以降毛利氏に臣従した。上手にたちまわり命脈を保つ感じ。毛利氏が防長に転封されると益田氏はそれに従って須佐に移動した。確かに石見益田氏は安芸や長州と関わりが深い。
益田市の地理・交通
益田市は地政的に長州安芸と関わりが深い。益田は石州街道で津和野、山口小郡とつながり、海沿いに須佐を経て萩に繋がる。国道191号線で広島市中区まで繋がる。浜田からは三次とつながる。

島根県HPより引用

↑国道191号線(萩~益田~安芸太田~可部~広島)
石見は広島と距離が近い。言葉がこれだけ似通っているということは人の往来もあったことだろう。石見出雲間に最近まで高速道路が未開通であったことは、地域間の結びつきを示唆するものかもしれない。2025.3.2に出雲~湖陵~多伎間がやっと開通。
石見の由来、岩がちの海から岩海いわうみ、石見(いわみ)だそう
須佐は益田の西に隣接し、益田市ではなく萩市に統合された。須佐ホルンフェルスから戻るときに「久原園地」を見つけた。「久原」から、日立鉱山創業の久原房之助がおぼろげに浮かび、長州の人であることを思い出して調べたら須佐の人だった!須佐の浦庄屋の出身。福沢諭吉のアドバイスで日本最初の時刻表を作った手塚猛昌サンも須佐の出身。



石見は出雲攻略の拠点
大和朝廷のころ、石見に出雲の見張りとして物部氏が入ってきた。石見国大田に物部神社がある。石見国と出雲国は全く別の国。石見と出雲の境界に国引き神話に出てくる三瓶山(佐比賣山)がある。山体はデイサイトの溶岩ドーム群。
石見銀山街道

最初、石見銀山は博多商人が開発し、博多へ運び、博多から世界へ搬出していた。当時博多は大内氏の支配下で銀山も大内氏の支配下。
世界の銀生産の3分の1が日本でその大部分が石州産だった。ポトシ銀山と並ぶ産出地として知られた。
毛利氏が流浪の足利義昭を奉じて織田信長と天下を争うほどの勢力を持った背景には、毛利氏が持つ石見銀山が生み出す経済力によるところが大きい。
江戸時代に石見銀山は幕府直轄領となり銀山奉行大久保長安により石見銀山街道が整備された。銀の積み出しに尾道が使われ大阪に運ばれた。
銀山と言うけれど、最後の方は銅鉱ばっかりだった、それでも“銀山”と呼ばれた(ガイドさん)。
灰吹法で出てくる酸化鉛で鉛中毒になる鉱夫が多かった(ガイドさん)。
坑道のことを間歩(マブ)という。

白いところが露頭部。そこを手がかりにほっていくとお煎餅が縦に埋まっている感じで銀鉱床が存在。ピンボケでごめんなさい。

石州丁銀はなんでコロッケのように分厚い形なのか

コロッケではなく譲葉の形なのだそうだ。
金は圧延がしやすい一方で、銀は圧延や成形が技術的に難しかったため。金は小判を作ることができたが銀ではできなかった。中国大陸でも棒銀が貨幣として使用されていた。
「温泉津温泉になんでいかんかったん」、と益田の方に言われた理由
石見銀山の搬出港であった沖泊港が温泉津にあり、銀山と関連が深いから。鄙びた温泉地。地元の方が利用するところは大体正解。炭酸泉で美肌の湯。次は必ずや・・・
石見の方々は気性が荒いか?
非常に少ない母数で言うのは憚られるが、石見の居酒屋でお会いした四名の方々は男女含めハッキリものを言われた。もちろんお酒は入っている。裏表なく、自分の意見を述べられ、初見の私にもざっくばらんに話してくれた。港町や商人の街のように外部の人を受け入れるお国柄なのだろう。閉鎖的ではない印象。変に上品ぶったり、陰にこもったりしておらず、オープンな感じ。相手の懐にもズバズバ切り込んでいく感じであれこれ聞かれ、あれこれダメ出しされ、ちょっと悔しかったり、可笑しかったり。石見の人は語彙や知識も豊富で表現力が豊か。短時間ながらいろいろなことを教えてもらえて感謝。益田方言は広島弁や長州弁の要素が入っていて私には聞きやすかった。以前出雲弁(ズーズー弁)のあまりの違いに驚いたことがあった。
出雲出身の人といえば、カープの選手で非常に穏やかな「大野投手」を知っている。気性の荒い高橋慶彦や北別府学を抱えるカープの選手と誰とでも問題なくコミュニケーションできたことをキャッチャー達川が褒めていた。一般に出雲人は穏やかと聞く。出雲と石見のお国柄の違いは、出雲族と物部との違いだろうかと妄想。
益田は貧乏??
益田の方が「益田は貧乏」と仰る、飛行場もあるのに?あれは政治家のちからだ、と。出雲と比較すれば、出雲は平野が多く米作が盛ん。一方、石見地域は山間部が多く、農地としては肥沃さに欠く。石見人は結果、外に出ていかなければ生計が成り立たない、鉱山や海運、交易など。私の生国、瀬戸内海の島々の人々は耕作地がなく、海で生計をたてるか、遠方に出稼ぎに行くしか無く、また気性が荒い。お国柄の形成背景に、似たものがあるかもしれない。経済的諸条件や自然背景が気質を作る。石見の人自身が「益田は貧乏」と言っていたことは、「それでも知恵を活かして生きている」ということであって、石見人の気質と結びつく話かと考えたり。恵まれた環境にある人は努力をしないし頭も使わない、という意味に解釈した。
萩・石見空港、萩は関係ない、と?
石見空港を初めて利用したが、益田市内のアクセスは最高だし、レンタカーも空港の駐車場から乗れて便利。全日空の朝夕二便の定期運行がある。山陰の拠点間移動手段が乏しく石見空港を拠点に旅をするならレンタカーは必須だろう。
ネーミングについては正式には石見空港で“萩・石見空港”というのは“愛称”なのだそうだ。“鳥取砂丘コナン空港”や“米子鬼太郎空港”など変わった地方空港名が多くなったが、あれらと並ぶ“愛称”であるにすぎない。“柴犬のふるさと・石見空港”でも良かったのである。“津和野・萩・石見銀山・温泉いっぱいあるで、石見空港”にしたらもっと客が増えるかもしれない。“サルバルサン・石見空港”、、、やりすぎか。。
石見空港のある益田は島根県にあり、山口県の萩まで車で1時間以上(60km)かかる。利用者を増やすために近隣の地名を利用したのだろう。
竹下登さんの政治力で作られた空港で、もともと軍用空港があったわけではなく新規の空港。維持費が大変そうな高規格の空港で、有事を想定した戦略的配置に供しうる。今のところ特定利用空港ではない。米軍機が補給目的に緊急着陸したことがある。
柴犬のルーツは益田
これはびっくりした。固有種というか「柴犬」という野生種がいたのか、人工的に掛け合わせて柴犬ができたのかとたずねたら、石州犬という日本犬の種がいたはず、と教えてもらった。
調べてみると、日本犬保存運動の中から広まったようだ。益田氏美都町にいた1930年生の石州犬(地元では石見犬と呼ぶ)の一頭のオス「石」(犬のなまえ)から始まる。「石」は猟犬だった。保存運動でこの犬から交配され「中 ナカ」がうまれこれが全国各地に広まっていった。すべての柴犬の血統を辿るとこの「石」にたどり着くそう。

サルバルサン開発に関わった秦佐八郎
島根県美濃郡都茂村出身の秦佐八郎、ドイツの化学者エールリッヒに留学、その指導の下、試薬のスピロヘータに対する有効性の検証を行い、606番目の試薬が有効であることを見出し、梅毒治療薬としてサルバルサンの商品名で1910年に発売された。全く治療法がなかったので画期的ではあったがヒ素を含み副作用はあった。欧米諸国では当時梅毒有病率は10%、精神疾患の原因の1/3が梅毒とされ、結核と並ぶ脅威であった時代。1900年に没したニーチェも晩年の精神疾患は梅毒ではないかと言われている。1943年にペニシリン使用が始まってからサルバルサンは使用されなくなった。
松本清張の小説砂の器、亀嵩
明日どこを回ったらよいか、という話の中で、益田から日帰りできる場所として亀嵩を教わった。砂の器に出てくる地。石見と言うより出雲の南部に位置する。次回に。
うどんの「どんどん」
うどんの話が出てきた。博多や広島のうどんは柔らかい。萩のうどんチェーン店どんどん(https://1goten.jp/archives/dondon.html)柔らかいうどんで、地元の人に愛されている。ここの肉うどんがうまそうである。広島のやおいうどんとチリチリの甘辛く炊いた牛肉が乗っかった肉うどんは大好物だ。次回に。
益田の方がイチオシの温泉
温泉津温泉と匹見温泉を強くおすすめされた。次回に行ってみよう。美都温泉湯元館というのが柴犬記念館の近くにあるらしい。石見地方は歩けば温泉に当たると言うくらい温泉があちこちに湧いていて、とても羨ましい。どこの温泉にいっても昼間からおじいちゃんが浸かっている。
益田方面への旅行助成
石見空港利用促進のための助成金が出ている。レンタカーの割引や、正規運賃に対する航空便のキャッシュバックなど。私はマイル利用のため非該当だったが、ご利用になると良い。

お読みいただきありがとうございます。
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