谷中銀座では、買い食いしながらビールも飲めると聞いて行ってみました。
谷中は寺と墓地が多い。大東亜戦争では被災が少なく、古い街が残っている。江戸時代は寺の移転が大規模に行われ、三田にも集積地があるが、谷中も寺の集積地で、寺への参詣客相手に谷中銀座は発達した。つまり由来は江戸に遡る。谷中墓地には徳川慶喜公が眠り、幕末の上野戦争の舞台である上野寛永寺の末寺がこの地域に散在する。江戸時代の雰囲気を色濃く残す地域。
この階段、夕焼けだんだんと言う。猫が多い地域で、夕焼けニャンニャンとも言うらしい。
揚げ物屋があったり、スイーツ屋があったり、猫をあしらった土産物屋があったり。宮島の参詣道のようににぎやかな雰囲気。
秋田能代出身のお母さんが切り盛りしている「たまる」に入店。34度快晴の日差しをなんとか避ける事ができた。ぬるいクーラーすら気持ちがいい。さつまいもの餡の周りに黒ごまをびっしりくっつけて香ばしい「ちょんまげ芋」と、田沢湖ビール「ケルシュ」、喜久水酒造「喜一郎」という日本酒を注文して、冷たいお酒で暑気を払う。秋田のお酒が各種揃っていて美味しい。
気のいいお母さんに短時間に色々なことを教えてもらった。
能代の喜久水酒造は奥羽本線の複線化に伴って廃用になった単線のトンネルを買取り、トンネルを利用して貯蔵している蔵元として有名なのだそうだ。下仁田の荒船風穴でカイコ飼うみたい、天然の冷蔵庫。
次にお母さんに教えてもらった能代凧について。異国の不審船が沖に見えた時に、怪しいのが来たぞ!と知らせるためにこの能代凧を揚げたのだそうだ。派手なのはよく見えるためだそうで交通標識みたいに原色が鮮やか。今は魔除けとして売られている。文化庁のHPから画像を拝借。時代劇で火事のとき半鐘を鳴らす場面を見るが、今はサイレンに取って代わられた。凧も信号の用途で使われていたのであります!
凧って、そもそもなんで揚げるだのと思いたち、調べてみると、凧は中国で狼煙のように遠方への連絡手段、軍事用途としてい使われていたと言う記載も散見した。凧ってもともと信号なんですね!
これがべらぼう凧、能代凧とも。あっかんべ~が特徴。
「能代は、ほんとなんにもないとこだよ」とおっしゃるのだが、北前船の寄港地ですよね?と聞くと、我が意を得たり、と言う感じで話がどんどん膨らんでたくさんお話を聞けた次第であリます。
ちょんまげいも「たまる」のお母さんありがと!
今思い出した。十三湊の話をしたときに、十二湖もあるんだよ!と聞いてびっくりした。一戸から九戸まであるのは知っているけど、そっちも?と聞いたらそれはわからないと笑
能代から五能線に乗って、十三湊(とさみなと)方面に向かう途中に十二湖駅がありました。東北の地名は数字が多くて面白い。
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