熊毛(kumage)の由来探しメモ

国東の旅計画、地図を眺めていて、国東に熊毛港があることに気づいた。周東、柳井の津のとなりに熊毛郡があったこともふと思い出し、周防灘を隔てて本州と大分とで向き合う熊毛、一体どういう関係を持つのだろうかと。

国東の熊毛港

山口県熊毛郡。田布施、平生、上関、祝島などを含む。熊毛郡熊毛町は2003年の合併で消滅し周南市に包含された。

日本書紀によれば、景行天皇が熊襲征伐に際して周防の裟藦から筑紫に渡った。裟藦は佐波川河口に比定されている。つまり佐波は防府市。

熊毛には、来目皇子(くめのみこ)が関係する説があるようだ。くめ→くま。久米と熊が近いなんて。もともと久米計とかいてクマゲ、二字好字の時に熊毛( ̄(工) ̄)

来目皇子、くめのみこは久米王とも書く。用明天皇の子。聖徳太子の弟!。朝鮮南部の任那日本府を復興するための新羅征討の際、くめのみこは征新羅大将軍として軍25000を授けられ、糸島郡あたりに屯営、その際に病にかかり筑紫で薨去、「周防の娑婆(防府市桑山塔ノ尾古墳)に殯し、土師猪手がこれを管掌した。」そのあと河内の羽生山(羽曳野市)に葬られた。翌年、当麻皇子たいまのみこが征新羅大将軍となる。来目皇子と当麻皇子とは異母兄弟。当麻皇子出征時に妻の舎人皇女が薨去、明石に葬ったあと引き返した。崇峻天皇も任那再興を目指したが蘇我馬子に暗殺される。

防府(佐波)が熊襲征伐の前線基地であり、殯を行うことができる場所でもあった。桑山塔尾古墳埋葬者は来目皇子ではないという説があったり、殯を行ったのは熊毛町という記事もあったり。定説がないので深入りは避けておく。

来目という文字を、クルメとよむのかと思ったが、クメであった。久留米の語源はどうなのか?

「久留米」という地名は室町時代から文献に見られ、「久留目」とも書かれた。(「報恩寺坪付帳」によると応永25年(1418年)には「久留目」という地名が記されている)

その語源については、

筑後守吉志公忠が天慶7年(944年)に注進した「筑後国神名帳」に「玖留目神を祭祀した」との記述があり、これによるとするもの。
上古、大陸から渡来した機織りの工人集団がこの地に住んでいたので「呉部(繰部くりべ)」の居住した地、あるいは「呉姫(くれひめ)」、「呉女(くれめ)」、「繰女(くりめ)」とよんだのがクルメに転訛したというもの。
用明天皇の皇子である「来目皇子(くめのみこ)」に由来するというもの。(来目皇子は新羅討伐のため筑紫に下り推古11年(603年)福岡県糸島郡志摩町久米で病死している)
筑後川が大きく蛇行していることから、それを意味するクルメク(転く)を語源とするもの。

など諸説あるが定説はない。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%85%E7%95%99%E7%B1%B3%E5%B8%82

熊毛の由来に戻る。クマは来目皇子のクメ。んで、毛(ゲ)は?

・・・一旦、措いておく。

熊毛で検索していると、あの種子島や屋久島が鹿児島県の熊毛郡であることがわかった。山口県以外に熊毛郡があった。西日本に多い地名か。

鹿児島県熊毛郡の場所。種子島南部、および屋久島、口之永良部島。

kumageという地名は他国語にあるだろうか。グーグルマップで調べた限り、kumageという地名はない。kumageという語彙は多国語にあるだろうか。

kumaget? 。クマゲット!、サルゲッチュシリーズってのが昔あったが。

クマゲットが語彙に含まれる、デュパニンガン アグタ(Dupaninan Agta)語とはどこの言葉だろう。フィリピンのルソン島北部のカガヤン州とイサベラ州に住む半遊牧民の狩猟採集民族であるネグリト族が話す言語。うーむ。。

海人族綿津見族はオーストロネシア系で海を渡ってきたという説がある。大隅半島に住み着いたハヤトとか。いや妄想がすぎる。。

ネグリトとは?

ネグリト(Negrito)とは、東南アジアの小柄な少数民族を指し、マレー系民族が広がる以前からの先住民族であると考えられている。ネグリートともいう。

ネグリトに含まれる民族としては、大アンダマン人の10民族にJangilジャラワ族オンゲ族センチネル族を含めた、アンダマン諸島の14民族の他、マレー半島と東スマトラセマン族タイマニ族英語版)、フィリピンアエタ族アティ族バタク族英語版)・ママンワ族英語版)などの民族、ニューギニア島の西部[1]の先住民の一部が含まれる。

かつては身体的な特徴に基づき、ネグリトは近縁な民族の総称と考えられていた。しかし、遺伝学的な研究によれば、東アジア人に近い民族もあれば、パプア人に近い民族もあることが明らかになっており、遺伝的に不均一であることが明らかになっている。現在では、地理的に孤立した地域で少数民族として存在しており、多くはオーストロネシアの人々に取って代わられるか吸収されたと考えられる。

歴史的に、彼らは他の現地住民との交易に従事していた。一方で、西暦724年以降、現地の王国や支配者への貢物として、奴隷狩りの対象ともなった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%88

厳密に言えば、ネグリトは先住民族であってオーストロネシア系ではない。

妄想をしてみる。

古代、南方の先住民ネグリトはオーストロネシア系によって駆逐された。その経過で北方に逃げたものが日本列島、鹿児島大隅半島にやってきた。

んなわけ無いか。

クマゲット以外にクマガットがあった。セブアノ語とタガログ語。これもまたフィリピン。

wikitionaryより引用。

セブアノ語話者のいる地域。

タガログ語話者のいる地域。

夜に検索をしているとキリがないです。

コメント

  1. nakagawa より:

    周防熊毛と国東熊毛について『儺の國の星』か『儺の國の星拾遺』に何か書いてあったのですが、何かで共通する人たちが湊に付けた名前、みたいな話だったと思います。違ってたらすみません。
    『儺の國の星』yopioidさんも読まれませんか~?
    売り切れだった復刻版の第二版が出てます。通販もされてますよ~。なんて。
    https://www.city.nakagawa.lg.jp/soshiki/36/nanokunir5.html

  2. yopioid より:

    すごい!いくら探してもわからなかったのですが、ナカガワさんありがとうございます。注文してみます。貴重な情報をありがとうございます。

  3. nakagawa より:

    今頃ですが、〝熊毛〟に関する記述を『儺の國の星拾遺』p.115にみつけたのでコメントします。
    関係あるところだけ抜き出すと、こんな感じです。

    「熊毛なる郡名は周防と大隅の二国に在る。また郷名は豊後国埼(東)に在る。元来は〝ゆすも〟或は〝ゆつま〟と呼んだ處であった。(中略) 由都麻(ゆつま)とは南方のことであった。」
    「〝ゆつま〟とは陸間、即ち南北に延びた河谷の南端を表現したことは、埃及のLuxorを思ひ併せる。」

    南十字星を背景にして海上の道を辿った人たちがいた、という話なのですが、〝熊〟はどこから来るのかが書かれておらず、結局語源はわかりませんでした。

    南方から来る人たちの寄港地、租界だった可能性はあると思います。
    南方の言葉かもしれませんね。

    真南を背にすれば正面は真北ですから、南十字星が北の指標だった時代があったのかもしれません。それが磁石の登場によって変わり、歳差も関係して〝ゆつま(南十字星)〟が〝ななくま(北斗七星)〟にとってかわったのかなぁとぼんやり思いました。
    だからかつては〝ゆつま〟だったのがいまは〝くま〟となっているのかも?
    (あれ?〝け〟はどこから?)

  4. yopioid より:

    いつも面白いコメントをありがとうございます。ご指摘の『儺の國の星拾遺』p.115ページに確かに記載がありました。
    教えていただいてありがとうございます。由都麻(ユツマ)は南方のことなんですね。
    昔勉強したセルビア語の「南」が、jugなのを思い出しました。「南の」がjužni(ユージュニ)関係ないですがw。
    蛇足ですがyugo(南の)slavia(スラブ国)です。
    ユツマ。由都麻都婆岐(ユツマツバキ)が古事記にありますね。
    仕事から帰ったらもうちょっと調べてみます!!アリガトウ!!
    まずはお礼方々。

  5. nakagawa より:

    南を表す言葉がju(yu)で始まる言語がセルビア周辺にあるんですね!
    グーグル翻訳でざっとやってみたら、アルバニア・クロアチア・スロバキア・スロベニアチェコ・ブルガリア・ボスニア・マケドニアがそうみたいでテンションが上がりました。
    こちらこそ教えていただきありがとうございます。

    真鍋大覚氏の話は本当かなぁと思うところ大ですが、ギリシア型アシユビのワタシとしては好奇心がくすぐられて面白いです。(ちなみに薬指が長い手をしております。。何の話?)

  6. yopioid より:

    nakagawaさん、ギリシア型のアシユビをお持ちですか、我々は地下水脈で繋がっているのかもしれません。
    蛇足ながら、私の皮膚は色素が薄く、目が二重で虹彩の色がうすく、体格が大きめで子供の頃にガイジンですかと言われた記憶があります。
    成人して顎髭におまけに赤い毛が生えてきて、酒をいくら飲んでもすぐ酔が醒めてしまう。
    ああ、こりゃ普通の遺伝子ではないな、と。
    父方は瀬戸内の海に暮らす島の住民、先祖は船でいろんなところに出かけてあるいは色んなところからやってきた船員の血が混じっているのかなと夢想していました。
    古代に大規模に胡人がやってきた話に最近興味を持っている動機はそのあたりからです。
    大身(アリタケ 肥前松浦)、太秦(ウズマサ 葛城山城)、青氓or青人(あおひと)と呼ばれた異邦から流れ着いた胡人の血が混じっているのだとしたら、、、というのも最近加わったところです。真鍋大覚さんの本は私にはとても面白いです。