寝台特急あけぼのが「きさかた」と「たかさき」に停車していたことを知りました。象潟駅と高崎駅のこと。日本の横書きは古代から戦時中まではRTL(right to left)第二次世界大戦後にGHQの教育方針や英語が多く入ってきて英語にならう形でRTLからLTRへ移行「きさかた」と「たかさき」の駅名標はそれぞれ逆転しました。
象潟の由来が気になり始めました。象潟。。ゾウがウロウロあるいていた説はないのか?
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「刻(キサ)まれた潟(島が点在する内湾)」説、「象牙(きさのき)の渡来に依るもの」説、「蚶貝 キサガイ」が採れた説があります。
象が居たのではないのか、と個人的に食い下がってみます。キサは象の古語とある。
象の古名をキサ、語源は象牙の横断面に橒(きさ、木目)があるため(『萬葉動物考』)。『和名抄』に「和名 伎左」、天智紀に「象牙(きさのき)」、当時すでに象牙が輸入されていた。『拾遺集』にも「きさのき」(巻7-390、物名)を詠んだ歌がある。その一方で、『名義抄』に「キサ キザ サウ」、『色葉字類抄』に「象 セウ 平声 俗キサ」とあり、平安期には「キサ」「キザ」の他に、「サウ」や「セウ」。万葉集の「象山(きさやま)」「象(きさ)の小川」「象(きさ)の中山」は現在の奈良県吉野郡吉野町にある喜佐谷周辺の地を指したもの。象山は三船山と向かい合って象谷(喜佐谷)を形成。「象(きさ)」の地名は、橒(木目)の如き、ギザギザと蛇行した谷に由来するという(『角川日本地名大辞典』)。象谷に沿って吉野川の支流である象川が流れている。(国学院大デジタルミュージアムより引用 改変)
輸入品だけの時代に「キサノキ」と象牙を呼びならわし、実体の象は不在であったようです。動物としての象は想像の産物であったようです。
それでもゾウがパオーンと歩いていた潟であって欲しい。日本に象の化石は出る。ゾウがいた潟ではないのかよ。1600万年前にステゴロフォドンが日本に居たんよ。600万年ぐらい前にツダンスキーゾウがいたんよ。400万年前にミエゾウ、230万年前にハチオウジゾウ、100万年前にアケボノゾウとムカシマンモス70万年前ぐらいまでいた。62万-57万年前にトウヨウゾウがいたよ。しばらくゾウの不在期間のあと、34万年前にナウマンゾウが現れ、1万5千年前ぐらいまでいた。しかし。。
。。そこからあとの文字のある時代つまり有史時代にゾウは化石として出ない。つまり化石として出たか輸入品かだけで象を推し量る、「象」不在の時代が存在した。その象牙に木の年輪みたいなのがあったから「キサ」と呼んだけれど、象の全体像とはかけ離れたところからのネーミング。
きさは材木の断面に見られる模様、木目、木理。漢字は木の雲、年輪みたいだ。ゾウの古語がキサ、つまりゾウの牙だけのことをキサといって、全体像はセウ、つまりゾウと言った。
【蚶貝】きさがいは「あかがい(赤貝)」の古名と本居宣長が言ったようだが、違うらしい。キサガイは巻き貝の意味で(キサは階(きざ)、段(きだ)の古語に通じ諸段階や階層性が原義)。神名として「古事記‐上」に「キサ(討に虫)貝比売」、「出雲風土記」に「支佐加比比売命」の例が見られる。細螺を「きさご」と読む。ニシキウズガイ科の巻き貝。
まとめると
・キサはダンダンや階層を示す。木目のこともキサという、階層構造
・キサは象牙のこと、セウはゾウの全体像
・象潟はゾウのいた潟ではなかった。人間が言葉を使っていろんなものに名前をつけた時代に、象は居なかった、化石の示す限りおらんかった。象がノシノシあるいている様子をみて象潟って名前にしようや、というのは従ってありえない・・。
・でもね、文字のない時代の日本では象の化石があちこちで出たんですね(アキラメロン)
ところで新潟県に犀潟駅(さいがたえき)という動物のサイ(犀)🦏の付く駅があります。きっとサイの沢山いた潟であるに違いないっ!!!🦏🦏🦏🦏🦏🌈🌊
以上象潟🐘と犀潟🦏のお話、終わり。皆様どうぞ良い週末をお過ごしください。
<ゾウの化石のある博物館>
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