登戸という地名は地形に関連する

軍都千葉には東大の第二工学部がかつてあり、軍事産業を支える工学研究教育がなされていた。跡地はGHQにより廃止され、千葉大学西千葉キャンパスになっている。その敷地の海側、かつてのみぎわに”登戸”(のぶと)という地名がある。

青囲みが千葉大学西千葉キャンパス、もと東大第二工学部。黄色で塗ったところが登戸(のぶと)。

登戸研究所というかつての軍事研究施設が神奈川の登戸(のぼりと)にあった。同名で読みが異なる。軍事研究を行っていた東大第二工学部の至近に千葉の登戸(のぶと)があったことから登戸研究所は千葉の登戸(のぶと)にあると私は勘違いをしていた。正しくは登戸研究所は神奈川の多摩川の近くの登戸(のぼりと)に所在した。

登戸は、登る戸口、つまり登るところという意味で、崖上りになっている場所をさす。海から上がるところ、砂浜から上がるところ、川から上がるところ。

千葉の登戸はかつて東京湾に面し、黒松を主体とした良好な海岸景観を有していた。現在も当時の面影を偲ばす貴重な緑地が南西の辺にあるが京葉工業地域に出入りするトレーラーが行き交う高規格道路、国道14号に面している。

国道14号木更津方面に向かう大型車が粉塵をまきあげ爆走する。左が登戸緑地で崖上がりになっている。縄文時代の海岸線、汀。

崖を登る急峻な坂の生活道を発見。登ってみる。これぞ登戸、のぶとだ、と鼻息を荒くしながら。この坂道含め崖の上への入り口、崖の上一帯を言うのだ、のぶと。

崖上(のぶと)から見下ろす。黒松越しに国道14号が見える。かつて海だったところ。

上図、右上のあたり。

次に、神奈川の登戸研究所(のぼりとけんきゅうじょ)は、神奈川県川崎市多摩区東三田にかつて所在した。現在は明治大学が敷地を買い取り、明治大学生田キャンパスになっている。古い街道が多摩丘陵の登りにかかるところに登戸の地名がある。

東京大学第二工学部出身者

一色尚次 – 塩水エンジン、スターリングエンジンなどの研究開発、東京工業大学名誉教授
石川六郎 – 元日本商工会議所会頭、元鹿島会長、社長
稲葉清右衛門 – NC工作機械、制御装置の開発、元ファナック社長、会長
佐田登志夫 – 加工学・生産システム研究、東京大学名誉教授
山本卓眞 – コンピュータの開発、元富士通会長、社長
石丸典夫 – 元デンソー社長
岸田寿夫 – 元大同特殊鋼社長
金馬昭郎 – 元京阪電気鉄道社長
権守博 – 元日立工機社長
高橋浩二 – 元鉄建建設社長
高橋武光 – 元大日本インキ化学工業社長
久米豊 – 元日産自動車会長、社長
近藤健男 – 元三菱商事社長
田代和 – 元近畿日本鉄道会長、社長
内藤明人 – 元リンナイ社長
能川昭二 – 元小松製作所社長
藤木勝美 – 元日本ビジネスコンサルタント社長
藤田温 – 元クラボウ社長
町田良治 – 元三井建設社長
三田勝茂 – 元日立製作所会長、社長
宮崎明 – 元鹿島社長
宮崎仁 – 元アラビア石油社長
村田一 – 元昭和電工社長
八木直彦 – 元日本製鋼所社長
山口開生 – 元日本電信電話会長、社長
山田稔 – 元ダイキン工業会長、社長
山本守之 – 元マツダ会長
淡河義正 – 元大成建設会長
森園正彦 – 元ソニー副社長
木村悦郎 – 元NHK技研所長
陳万栄 – 元国立成功大学建築学科教授
常田朝秀 – 東芝電子事業本部首席技監・役員待遇(常田俊太郎・常田大希の祖父)

工学は軍事技術によって進化する。明治から大東亜戦争にかけて我が国の工学は軍事技術発展によって進んだ。戦後の発展は戦時中に培われた蓄積があったればこそ。戦後教育では戦時中の工学について蔑む表現ばかり見受けられるが、先人の努力には素直に敬意を表したい。

のぶと、のぼりとの地名は他にもある。

千葉県匝瑳市登戸 九十九里浜から上がるところにある。

埼玉県鴻巣市登戸 荒川から上がるところにある。

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