私「九州のご出身ですか?」
お婆ちゃん「はあ、いつまで経っても抜けなくて恥ずかしいです。」
私「久留米ですか?」
お婆ちゃん「柳川です!!!な、な、な(おばあちゃん動揺)」
私「ちっこべん(筑後弁)なんでわかりましたヨ。」
お婆ちゃん「ひゃああ」
というやり取りをした。私も当て推量がニアピンして驚いた。おばあちゃんが一気に覚醒したのがわかった。
傍にいた木更津出身のアシスタントも何が起こっているのかわからないようで、筑後川流域の方言だとあとで説明したが、そもそも柳川と久留米とが互いに近いことなど知らず、ぽかんとしている。あのお客さんまた来ようかなって言ってましたよ、とアシスタントが教えてくれた。いや、そういうのを狙ってお国を聞いているわけではないん、忙しいからお客さん増やしたくないん。仕事が退屈だから方言を楽しんでるん。
千葉にはコンビナートがあるから子息を頼り親が上京するケースが数多ある。私は方言を聞くと、耳が勝手に情報処理し方言のニュアンスにも気を配る、というより個人的興味もあり、どこの方言なのか答えを知りたくなる。
・・・博多の訛は跳ねるようだが、筑後の訛は粘って味がある。まとわりつくような、例えばシンコペーションのような訛、つまり、博多弁に似ているけれど、母音のあとに弱いアクセントがいっこいっこ追いかける。これは筑後だ。。。。久留米・筑後と推測した理由。
方言がわからないときはその都度どこですかと聞くようにしているので私のライブラリは人を驚かせうるぐらいに溜まったかもしれない、などとゴーマンかまして手前味噌ナウ。すいません、焼酎飲んで酔ってます。
コメント
筑後弁はシンコペーション、確かに。
福岡から出た人の方が訛を保存しているかもしれません。
博多弁を母語としない耳で博多弁を聞いてみたい気持ちあります。
その延長で、日本語を母国語としない耳で日本語も聞いてみたい。
コメントありがとうございます。
ネイティブには意味や概念が即座に来てしまうので
母語を音声として敢えて感じ取ることはしなくなっていそうですね。
それでもなお、下心があるとか嘘を見破るとか、
言外の音の揺れみたいなものは微妙に感じているのかもしれないです。
赤ちゃんの喃語の段階のころは、耳を澄ませてリズムや音程を感じ取っていたはずですが。
言語理解のWernicke中枢をオン・オフできたらnon-native体験ができそうです。