繁多さんと、二人のHunter(範多)さん

読書中、米国から日本に帰化したハンタさんの由来の説明がでてきた。「範多の親父は、捕鯨銃の射手から、ラッコ猟船の射手になった、射手のことを英語でハンターというのだ。ハンターのせがれのエドワーズフレデリックが帰化して、親父の職業のハンターをそのままつけて、範多銃太郎となったのだ。」(無人島に生きる十六人、p192)日本に帰化した米国人の範多さん、一人目。

繁多さん、これもはんたさんとよむのだが、上とは別人、仕事で知り合ったかた、鹿児島県喜界島の御出身。ウイスキー好き。コーカソイドぽくはない。

これまた別人だが、エドワード・ハズレット・ハンター(Edward Hazlett Hunter)という人が昔いた。イギリス人実業家で範多財閥・大阪鐵工所(日立造船〈現:カナデビア〉の前身)の創業者。造船業を中心に産業育成を通じて日本の近代化に尽力した人。アイルランド生まれ。慶応3年頃横浜で貿易事業に携わった。大阪に移住し薬種問屋・平野常助の娘・愛子と結婚、子どもには母姓で平野龍太郎と名付け、後に範多龍太郎と改名した。のちに本人も範多範三郎と改名。明治7年(1874年)にE・H・ハンター商会を創設、西南戦争で西郷軍の軍需物資を取り扱う。明治14年(1881年)大阪安治川に大阪鉄工所を創設、船舶の建造・修理、陸用機関機器、橋梁も手がけのちの日立造船へと発展する。鉄工と造船の他、煉瓦や肥料、煙草、精米、損害保険など様々な事業を起こし「範多財閥」を形成。神戸の公共事業に貢献し、幕末の不平等条約改正を英国本国に働きかけるなど、日本の近代化に尽力。その功績により勲五等双光旭日章を贈られている。

上記、三人のハンタさん、どう結びつくのかわからないが、私の知るハンタさんは三人になった。

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