キンタマーニ高原の位置を下図に示す。バリ島の北東部にある。千葉県のマスコット、千葉県をかたどったチーバくんの頭部で言うとキンタマーニ高原の位置はチーバくんの耳の付け根あたり。火山活動によってできた高地を指す。面積や形も我が千葉県と空似。唯一の国際空港は南部デンパサールにあり、成田直行便がある。キンタマーニに行くには車で北上する。北岸に宿をとったが火山の峠を一つ超え、道もつづら折れで良くないので酔うらしい。


往路 2025年11月18日11:00 成田発、同日17:25 バリ島ングラ・ライ国際空港着 ガルーダ・インドネシア航空 GA881
復路 2025年11月26日00:20バリ島ングラ・ライ国際空港発 同日08:50成田着 ガルーダ・インドネシア航空 GA880
空港から北部沿岸の町、シガラジャまではプライベートチャーターを予約、現地の人に評判が良いと聞いたtrivelago社に予約。インドネシア語で予約、多少骨が折れた。前払いはWISEという国際送金業者を利用(日本の財務省認可)。三菱は3000円の手数料を取られるがWISEなら数百円、安い。


こちらがキンタマーニ高原。サンスクリット語「意のままにさまざまな願いをかなえる宝」を意味する「チンターマニ」に由来。キンタマーニの由来がチンタマーニ・・・。
チンターとは「思考」、マニは「珠」。心弾む上機嫌でチンタマ!とニヤニヤするおバカさんの気持ちをわからない部族ではないが、分別ある大人らしく説明しておくとチンタ、マニと意味的には切れ、偶々連なっただけ。日本語では仏教用語の「宝珠(如意宝珠)」にあたる。宝の珠(タマ)。やっぱどう転んでもタマ。いや、特にこだわっているわけではない。擬宝珠という神社の橋の欄干の玉ねぎみたいな装飾は、チンタマニを模したものとする説がある。
若い頃チベットに行った。マニ車という経を書いた回転体が寺院に設えられていて、回廊を歩きながらグルングルン回すとお教を唱えたと同じ功徳がある、と習って真似をした。あのマニ車のマニもチンタマーニ(如意宝珠)のマニだと言うことを今知った。

高原というと平たいイメージだが、キンタマーニ高原は、バトゥール山の山体を指す。阿蘇山のような外輪山を形成。阿蘇の山体も阿蘇高原、こういう地形を高原というのだろう。キンタマーニは、サンスクリット由来の地名である。その昔インドから来た文化が東南アジア、ミャンマーラオスカンボジアのみならず、インドネシア、マレーシアにも広がっていた。インドネシアがイスラム化される過程で、先住のサンスクリット語系ヒンドゥー教の王族や郎党が他の島からバリ島に逃げて集まった。インドネシアの中で、バリ島だけはバリ・ヒンドゥー教が信仰されているが、正確には純粋なヒンドゥー教ではなく、バリ島の土着信仰と仏教とヒンドゥー教が習合したもの。
土地の言語、バリ語にもサンスクリット由来の言葉を多く残す。イスラム化の過程でサンスクリット由来の言葉は残り、現在のインドネシア語にもサンスクリット語語彙はたくさん出てくる。インドネシア語にはマレー語以外に、サンスクリット語、オーストロネシア語族の語彙が入り混じっている。
<旅程>
11月18日到着、デンパサールの空港からチャーター便でシガラジャへ。
バリ島北部の旧都シガラジャ(Singaraja)は、オランダ統治時代に行政府が置かれ、日本統治時代にも行政府が置かれた。南部に比べると観光開発されていない地域、そこに宿を確保した。
その翌日11月19日はたまたまだがバリ島の迎え盆、つまりあの世からご先祖様が降りてくるバリ・ヒンドゥー祭事日で「ガルンガン」と呼ばれる。11月29日が送り盆で「クニンガン」という。広島の宮島みたいに年がら年中多数の祭事があるバリ島でもガルンガンは特別な日。ガルンガン当日は、朝のうちに沐浴を済ませて体を清め、民族衣装のクバヤで正装。白のワイシャツだけ日本から用意し、あとのクバヤや帽子など衣装は貸してくれる、という。バリ島の人たちに混じってガルンガンに参加する予定。
11月20日からキンタマーニ高原に移動、バトゥール山の外輪山にある宿に前泊、
11月21日未明に宿を出発、眺めの良いところまでジープで運んでもらい、日の出を拝む。残念ながら熱帯低気圧が通過する。前泊するキンタマーニ高原の宿の名前を一応記しておく。ネタではないのだが、「ボボキャビン・キンタマニ」。チャットGPTに決めてもらい、あとで「ボボ」に気づいた。「ボボ」and「金玉」、麻雀なら役満。天地神明に誓って好き好んで選んだわけではない。ホントです、おまわりさん。

11月21日からバリ・ヒンドゥー寺院の総本山、ブサキ寺院に移動し宿泊。世界遺産登録をインドネシア政府がすすめるも寺院側が拒否し現在に至っている。正装しないと入ることができない。
11月22日以降は北岸で過ごす。
移動にはチャーター便を使用する。すべてにわかじこみのインドネシア語で予約した。公共交通機関はない。
<興味のある場所や関心事>
マルガラナ英雄墓地。インドネシア独立戦争で玉砕、散華されたインドネシア兵士たちや、植民地解放のため、インドネシア軍と合流して戦った残留元日本兵が埋葬されている。11月20日に毎年慰霊祭が行われている。マルガラナという地ではオランダ軍に包囲された約100名のインドネシア独立軍が奮闘し、全滅するまで戦いぬき壮絶な最後を遂げた。この中にゲリラ戦を指揮したングラ・ライ氏が含まれ彼の名はバリ島の空港に冠され「ングラ・ライ国際空港」と呼ぶ。ングラ・ライは5万ルピア札の顔でもあった。協力してインドネシア軍として戦った元日本兵が5人英雄墓地に埋葬されている。
バリ島物語という本を読んで知ったのだが、バリには自決の歴史がある。古来からのバリの風習で、王朝が戦闘で敗北すると自決を選び、多くの王族貴族が殉死する。集団自決には名前がある。バリ語の丁寧語の「終焉」を意味する「ププタン」。オランダが植民地化のために圧力を強めたとき、バリ人のいくつかの王族が集団自決した。オランダがバリ島を以後支配するのだがププタンを招いたオランダが逆に国際非難された。集団自決の様子だが、王を先頭に美しく着飾り、親族や家臣らが行列を作って自決覚悟でオランダ軍に向かって「死の行進」をし、銃弾に倒れていった。王から倒れ、その上に親族、子供の順に折り重なった、と。ネット上には酷い写真もあった。先に述べたインドネシア独立戦争でのマルガラナでの戦闘もまた自決戦であり、「ププタン」と呼ばれる。気性が明るく、良く笑い良く踊る愛想の良い印象のあるインドネシア人、彼らにそういう潔い一面もある。
バリに関わった人。三浦襄氏は日本人でバリ島で活躍した人。1888年、仙台でキリスト教牧師の子として生まれ南洋商会に入社しスマラン、マカッサルなどで雑貨商を営み1930年にバリ島に移住。インドネシア独立のため大日本帝国の力で独立させることを目標に活動し、バリ人からは絶大な信用を獲得して「バパ・バリ(バリの父)」として慕われた。大東亜戦争終結時に、インドネシアの独立が果たせなかったと詫び、自決した。デンパサールに三浦氏の墓地がある。
食い物の話。サンバルという唐辛子ソースに隠し味として入れるエビの発酵調味料「トラシ」というものがある。この味が、瀬戸内の小さいエビ、特に干しエビの味で育った私にはめっぽう口に合う。トラシの臭いはきついがエビの旨味がしっかりある。最初にマレーシアでブラチャンカンクンというエビペースト炒めの空芯菜を食べて、あまりに美味しく、調べて発酵エビ調味料が隠し味と知った。マレーシアでは「ブラチャン」、インドネシアでは「トラシ」とエビ調味料をそれぞれ呼ぶ。今回はそれを食べるのも楽しみの一つ。
インドネシア語の話。約二ヶ月勉強した。旅するだけなので口語を優先した。日本のジイチャン先生が書いた、インドネシア文法を墨守するアナクロ教科書まずやったが、現代口語で使わない語彙ばかりで埋め尽くされていて遠回りになった。私のように口語をやりたい人には向かない。インドネシア語は書き言葉と口語とのギャップが滅法激しく、口語は省略も多くまるで別言語のようだ。文字で追うより自分の耳にどう聞こえたかをカタカナにして、その音に慣れていくほうが実用的。
例えばtidak apa apa「大丈夫」ティダッアパアパが、
→nggak apa apa → gak apa apa →gapapa ガパパと省略される。そんな殺生な、と叫びたくなるレベル。
チャットGPTは非常に役に立った。スラングから若者言葉SNSで多用される表現など、知りたい口語、生きたインドネシア語を教えてくれる。文語教科書の例文が堅苦しいのにくらべ、チャットGPTはフザケた言葉を入れてSNSから引用し例文を作ってくれる。口語、若者言葉をまず覚えるのは邪道だろうが、今使われている言葉が通じなければ意味がない。得意げに披露したら、目上の方に対してそんな変なインドネシア若者言葉使わないでください、と釘をさされた。
お読みいただきありがとうございます。

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