映画「スターリンの死」(邦題 スターリンの葬送狂騒曲)コメディ、暴君スターリンのもと、道化に徹し側近として延命した老人たちが、スターリンの死後に繰り広げる跡目争いを面白おかしく描いている。
NKVDとはKGBの前身の秘密警察
NKVDとは 「エヌカーヴェーデー」内務人民委員部、スターリン政権下の秘密警察と強制収容所を統合したソ連内務人民委員部。後にKGB。「反革命分子」の逮捕、尋問、処刑やスパイの摘発などを行っていた。
スターリンと同郷グルジア出身で、エジョフNKVD長官時代の副長官ベリヤが、国家保安省(MGB)に改組されるまで長らくNKVD長官の地位に就いた。
独ソ戦で、NKVDは赤軍とは別の指揮系統下で活動。スターリングラード攻防戦などではスターリン直々の「退却阻止命令」を盾に容赦なく逃亡兵を銃殺する督戦隊をNKVDが担当。
督戦隊(とくせんたい)とは、軍隊において、自軍部隊を後方より監視し、自軍兵士が命令無しに勝手に戦闘から退却(敵前逃亡)或いは降伏する様な行動を採れば攻撃を加え、強制的に戦闘を続行させる任務を持った部隊のこと。後方から自分の軍隊を撃つのだ。オソロシア
またラーゲリ(強制収容所)の管理も担当、カチンの森事件の大量虐殺にもNKVDが関与、スターリン指示の政治犯大量処刑もNKVDが担当(日本人も含まれる)。
1939年9月、ナチス・ドイツとソ連の両国によってポーランドは攻撃され、ポーランド軍人や民間人は両軍の捕虜になり、赤軍に降伏した将兵は強制収容所(ラーゲリ)へ送られた。ソビエト連邦のスモレンスク近郊のカティンの森で約22,000人のポーランド軍将校、国境警備隊員、警官、一般官吏、聖職者がソビエト内務人民委員部(NKVD)によって殺害された虐殺事件。ソ連崩壊後詳細が明らかになった。
トロツキーの暗殺を指揮したナウム・エイチンゴンと、原爆獲得工作の指揮官であったパーヴェル・スドプラートフもNKVDの高級将校。
NKVDは終戦後改組、スターリンの死後、1954年に再独立してKGBとなる。
映画のあらすじ
映画の舞台は1953年のソ連・モスクワのコンサートから。ピアニストを務めていたマリヤ・ユーディナは、スターリンに届けられるコンサート録音レコードの包みにスターリンを罵倒する手紙を添える。ユーディナの家族もスターリンに殺されていた。そのメモを見るなりスターリンは脳卒中で倒れる(もちろんコメディとして滑稽に描かれている)。
マリヤ・ユーディナ ユダヤ人でありながら公然と正教を信仰し、クリューエフ、マンデリシュターム夫妻を援助するなどの反体制的言動が仇となり、教育活動や演奏活動を禁じられたことは一度や二度ではなかった。しかしスターリンのお気に入りのピアニストであり続け、ユーディナの弾くモーツァルトを聴いて涙を流すこともあったほどだった。
スターリンの粛清で有能な医師は全て収容所にいた。かき集めたのはイマイチな医者ばかり、不思議なことに一旦回復するがまもなくスターリンは息を引き取る、看病した医師たちも連行される。
医師団陰謀事件 ヨシフ・スターリンが主導したソビエト連邦の反ユダヤ主義キャンペーン。1951年から1953年にかけて、モスクワのユダヤ人医師を中心としたグループが、ソビエトの指導者を暗殺する陰謀を企てた(映画内では毒を飲ませようとした)として告発された。シオニズムの脅威を訴えたりユダヤ人の姓を持つ人々を非難するなど反ユダヤ的な性格の主張がメディアに掲載されたり出版されるようになった。ユダヤ人、非ユダヤ人を問わず、多くの医師が直ちに彼らの仕事を失い、逮捕され拷問によって供述を求められた。その結果ソ連のユダヤ人全体がグラグ(=ラーゲリ、強制収容所)に強制的に移送される手はずだった。スターリンの死から数週間後ソビエトの新指導部は証拠が不足しているとして案件を取り下げた。その後すぐに、この事件は捏造された物だと発表された。
スターリンの死後権力闘争が始まる。後継者たちはスターリンの娘スヴェトラーナを味方に付けんと近づく。NKVD長官のベリヤはマレンコフを神輿に担ぐ。
ニキータ・フルシチョフはヴャチェスラフ・モロトフやラーザリ・カガノーヴィチ、アナスタス・ミコヤンらを仲間としてNKVD長官のベリヤとマレンコフに対抗するが、マレンコフが後継しベリヤはマレンコフ政権のナンバー2となる。
軍の最高司令官で大戦の英雄であるゲオルギー・ジューコフと組んだフルシチョフは、ベリヤを失脚させるために画策する。
マレンコフを除く他の共産党幹部の同意を取り付け、スターリンの葬儀直後に幹部会議を開きフルシチョフがベリヤの解任を提議、マレンコフにベリヤ処刑命令を署名させる。NKVD長官ベリヤは「少女への性的暴行」「国家反逆罪」「反ソビエト行為」の容疑で”即決裁判”であっちゅーまに銃殺刑に処された。オソロシア。。
フルシチョフにとって残る脅威はフルシチョフ体制確立の最大の功労者であるジューコフだった。あることないこと言ってジューコフを失脚させる。しかし今度はブレジネフによってフルシチョフは失脚させられる。フルシチョフが失脚するとジューコフは復権する(めんどくさ)。
知らなかったこと
ジューコフという軍人を知った。スターリングラード、レニングラード、モスクワ、ベルリンで輝かしい戦功を上げたが、恩を仇で返すフルシチョフによって歴史を消され存在を消されかけた。
スターリンの後継はフルシチョフだと思っていたが、マレンコフという人が6ヶ月つないでいた。
NKVDは原爆スパイを行い、ポーランド人を22000人大虐殺し、ラーゲリに関与した。
NKVDはスターリンの指示で自軍を背後から撃ち”督戦”した。
NKVDが戦後KGBとなる。
ロシアは現在「対独勝利のパレード」と称しソ連が世界をナチズムから救ったと言い張っているが、第二次世界大戦はソ連とナチスドイツが軍事同盟国として一緒にポーランドを侵攻したことから始まった。両国とも社会主義でロクでもない。
スターリンもベリヤもロシア人ではなくジョージア人(グルジア人)。スターリンに取り入ったベリヤはスターリンの死後スターリン批判や反スターリン政策をとった。
スターリンの息子は親の威光を笠に着たアル中のロクデナシだった。
映画を鵜呑みにしますと以上のようになります。
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