鬼のイメージは悪、まつろわぬ者、煩悩、病魔の象徴、など。と思っていたが国東では主役でありサチをもたらす。
一般的イメージの鬼、節分における鬼は何をしでかしたのか知らないけれどとにかく一方的に追い払われ豆を投げつけられる。これこそ今様に言う”ヘイト”だろう。鬼の気持ちになればあれほど理不尽なことはない。政治的な必要、流行りヤマイ退散を願っての民需に裏打ちされる懲悪の虚構、扇動してみんなでやっつけてやろう、ってなるときに象徴的に鬼は懲らしめられる対象に。魔女狩りとかそういう狂気。集団の狂気は個人の狂気よりたちが悪い。
その一方で国東の鬼は来訪を歓迎され、仏様であるという。そもそも鬼とは何か。鬼といえば無制限に蹴散らして良いと思っていたが。そもそも鬼の由来は?国東で行われる修正鬼会は、仏事の修正会であって、修正会に種々の芸能が付随する。そこに先祖に扮した鬼が出てくる。それは鬼であり先祖であり仏であるらしい。まるで、鬼がやってきてちゃんとしなさいよと叱って帰っていく感じだ。鬼がすごくいいやつなのだ。
輪廻転生、および努力してそこから解脱できるかどうかが基本である仏教に本来祖先を祀る要素はない。次の世に豚になったり生まれ変わるのが仏教で浄土や霊やあの世など本来仏教にはない。支那をへて儒教混じりの仏教になって我が国に”仏教”はやってきた。私達日本人が仏壇に手を合わせて祖霊を祭祀するのは本来は儒教の儀礼要素。これは加地伸行さんの「儒教とはなにか(中公新書)」の考えによる。加地伸行さんは儒教は礼教ではなく祖霊崇拝の宗教であるという。鬼の由来や異世界からやってくる形式は加地さんに従えば儒教的だけれども、私が思うに祖霊崇拝は我が国の本来のもので、ひとが祖霊を崇める気持ちを持つことは世界どこでも共通のことで、たまたま体系化された儒教、あるいは儒教の祖霊崇拝要素をもつ仏教が入ったときに、上から流布され、また我々も馴染みやすかったから広まった、つまり仏教が来て初めて祖霊崇拝が始まったわけではなかろう、と思う。我が国には亡くなったひとを神と呼び、ひもろぎを拵え、その神が住む山を拝み、太陽を拝む土着のやり方が古くからある。仏教と必ずしも結びつかない来訪神が風俗として日本の各地にあり、その一部が仏教に習合したと考える。
修正会(しゅしょうえ)とは去年の反省会みたいなもので寺で行われる。国東の修正鬼会の鬼さんはこのお祭りの主で、火の付いた松明でペシペシ民のお尻を叩いて無病息災のご利益を与えてくれる、いい役。節分での役割や、まんが日本昔話でのいじめられるだけの可哀想な鬼役ではない。
その鬼のお面だけれど、彫りが深くて目がギョロッとしていて南方の異人を思わせる。インドシナ、ベトナムのチャンパ遺跡でみたヒンドゥー文化のお面のようだ。国東には男女の性器が合わさったシヴァリンガのようなものもある。我が国は南方との関わりがあったように思える。トカラ列島など南西諸島の鬼は後述するようにポリネシアン風味である。これなどは明らかに南方との連続性があるように感じられる。
どうも、追い払われるべき鬼という側面とは別に、概念的な神秘世界との通信役としての鬼の別の側面があるようだ。あえてその日に来てもらってご利益を授かる。男鹿のなまはげみたいなポジション。来訪神というククリで言えばサンタクロースだってハロウィーンだって来訪神だ。
上記2つ目の動画、まつりを楽しむ国東の人々の姿が素晴らしい、とりわけ笑顔が愛らしい、普通の顔が笑っている。カメラを意識した顔ではなく、自然に溢れるようにそうなっている。女の人の笑顔が特に素晴らしい。
日本においては、759年(天平宝字3年)以前から官立の大寺院などで吉祥天を本尊とする悔過会(けかえ)が行われており、767年(神護景雲元年)からは国分寺において吉祥天悔過会が行われるようになった。平安時代に入ると、827年(天長4年)平安京の東寺・西寺において薬師如来を本尊とする悔過会が行われるようになった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%AE%E6%AD%A3%E4%BC%9A
悔過会(けかえ)が平安時代中期になると衰退し、代わって修正会・修二会などの行事が悔過の行事として行われることになる。同様に仏教において懺悔(さんげ 濁らない)という言葉があり、天台宗の法要儀式「懺法」は「貪り、怒り、ぐち」の三毒を告白によって清めるというもの。儀式のことを「懺法」または「悔過ケカ」という。修験道でも懺悔が行われる。キリスト教のザンゲ(https://youtu.be/QU-HoFViIpg)みたいに水が上から落ちてくることはない。
「さーんげ、さんげ、ろっこんしょーじょー」と言いながら修験は行われる。六根、つまり五感みたいな意味で、サンゲすることで、諸々の感覚をキレイにする祈りの言葉のようだ。
国東の修正鬼会に戻る。修正が仏教用語で反省、みたいなことはわかった。鬼という芸能が交じる反省会(懺悔会)。
大分県、国東(くにさき)半島の六郷満山(ろくごうまんざん)(天台宗の諸寺院)に伝わる修正会(しゅしょうえ)の行事。「~おによ」「~おにお」ともよばれ、修正会に種々の芸能的行法(ぎょうぼう)が付随するところに特徴がある。かつては隆盛を極めていたが、いまは旧正月7日に天念寺、岩戸(いわとう)寺、旧正月5日に成仏寺のみで行われる。養老(ようろう)(717~724)のころ、国東六郷満山の開基仁聞菩薩(にんもんぼさつ)が国家安穏、五穀豊穣などの諸願成就(じょうじゅ)のため「鬼会式」6巻を下賜(かし)されたことに始まるとの言い伝えがある。行事の大要は岩戸寺の例でみると、読経ののちコーリトリ(水垢離(ごり))、盃(さかずき)の儀、タイアゲ(大松明(たいまつ)の火入れ)などの儀式を済ませ、夜の行法に入る。「米華(まいけ)」より立役(たちやく)の法舞の所作となり、立役の後半に男女の鈴鬼(すずおに)、ついで荒鬼(あらおに)(災払鬼(さいはらいおに))・鎮鬼(しずめおに)の二鬼が登場。この三鬼は村落内の家々を訪れ、家内安全の祈祷(きとう)を行ったのち寺に戻り、鬼後咒(きごじゅ)という鬼鎮め作法で夜明け近くに行事のすべてが終了する。
日本大百科全書(ニッポニカ)
コーリトリ(水垢離(ごり))はお水取りのことか。
お水取りは東大寺の二月堂でおこなわれる仏教法会で、正式には修二会といいます。法会の目的は、仏の前で罪過を懺悔すること(悔過)。現在は3月1日から14日までおこなわれ、その間、心身を清めた僧(練行衆)が十一面観音の前で宝号を唱え、懺悔し、あわせて天下安穏などを祈願します。
https://www.narahaku.go.jp/exhibition/special/feature_exhibition/202302_omizutori/
お水取り(修二会)は、天平勝宝4年(752)に東大寺の実忠和尚が初めて十一面悔過を執行して以来、一度も絶えることがなく不退の行法として1271年にわたって勤め続けられてきました。そこには東大寺が歩んできた長い歴史が刻み込まれています。
火まつり、広島厳島神社の大晦日鎮火祭は松明を担ぐ火まつりだが、元々は修験のものが弥山を降りてきて走り回るものだった。関係はあるのか。
松例祭は、現在は出羽三山神社の神事として行なわれているが、もともとは羽黒修験の行事であった。そして中世末に著わされた羽黒修験の教義書である「拾塊集」によれば、次のような故事にもとづいてはじめられたとされている。慶雲年間、(鹿三つ)乱鬼という三面六臂の悪鬼が鳥海山、岩鷲山(現在の岩手山)の山上から邪気を放って奥羽ニヵ国に悪疫を流行させた。数百の人々が死亡し田畑も荒廃の極に達した。この時、羽黒権現が山本郡の郡司である乙部希古の7歳の娘に憑依して、神前に12人の験者をおき、悪鬼の形に擬した大松明を焼くように託宣した。その通りにしたところ悪鬼は北海の小島(現在の山形県酒田市飛島)に退散し、悪疫はおさまった。以後この故事に従って毎年松例祭を行なうようになったという。
戸川安車「拾塊集の研究」国学院雑誌47の7。
験競べとは、明記されてはいないが、毎年12月31日、厳島神社別当寺の大聖寺で行なわれていた(現在は厳島神社で行なう)晦日山伏の神事はきわめて興味深い。この行事は、供僧が座主大聖院に集まって饗応をうける。次いで前駆二人に導かれて、御幣を中にした供僧が松明を持って神社拝殿に馳せまいる。そして法螺、読経による参拝後、再度松明を持って別当寺にかえるものである。この際の松明の火は元来は弥山山上の常夜燈の聖火が用いられたといい、村人はこの松明の火をうけて帰り、若潮むかえの火や雑煮をにる火だねにしたという。また松明のもえのこりは火難よけに用いられたという注24)。この厳島神社の場合には、晦日山伏が修行して出峰した山伏であるかどうかは明白ではない。ただこの山伏達が羽黒山の松例祭と同じく晦日に松明を操作していることに注目しておきたい。これに対して戸隠山の天台修験の柱松の神事は夏の峰入後というように時期を異にしているとはいうものの、峰入のあと、火による験競べが行なわれたことを示す興味深い事例である注25)。
注23)宮家準「修験道の験術」哲学48集、昭和41年。
注24)野坂元定「厳島神社の鎮火祭」まつり4号、昭和37年参照。
注25)「顕光寺流記」によると、「夏末、又云二(返り点)柱松一(返り点)焼二(返り点)尽煩悩業苦一(返り点)亦顕二(返り点)一夏行徳威徳」と記されている(僧有通編、「顕光寺流記」長禄2年7月15日「信濃史料」第8巻所収)。
羽黒山の松例祭:慶應義塾大学 アジア基層文化研究会
鬼が完全な悪であると位置づけ追っ払うのが仏教と理解していた。松明は鬼を模して燃やす。追い払う目的で。その一方で国東の修正会では鬼は先祖であり仏であり来訪神のような扱いでひとは鬼を通じて反省する。
どう考えたら良いか。民間信仰では来訪神で仏教要素が薄くさちをもたらす存在(鬼という形式を必ずしも取らない)。時代が下って鬼が政治利用され、超克されるべき疫病などの事象を鬼と化して、調伏する側面だけが行事になったのではないか。
推測だが、元々はお迎えして福をもたらす来訪神の風俗があった。それは必ずしも角が二本生えた仏教の鬼の形を取っていない。異世界からおいでいただいて戒めをもらって福をいただきお帰りいただくまでのストーリー立てだった。仏教が入ってきて、支配層のために良くないことが起きたときに鬼を退治する、つまり送り出すところだけが祭りとして残って先鋭化した、それが現代の鬼理解という気がする。国東のは習合しながら昔の形式を残している。仮説。
仏教に習合する前から我が国の民間行事として来訪神の存在があったと考える。次に羅列する来訪神を見てそう思う。南西諸島の来訪神や東北の来訪神は必ずしも仏教とは結びつかず。それらを見ていると日本の原風景に鬼のようなものが国東の鬼のようにしつけ役として存在した気がする。そして世界各地にも来訪神の様式が存在し、どれも子供を教育するためにやってくる。セルビアやゲルマンのは時期的には太陽信仰と結びつき春の訪れとともにやってくる。タブーが世界で似通っているように、来訪神という形式も似かよっているのが興味深い。
探偵ナイトスクープでガオーさんという企画があって、しつけのためにガオさんという非常に怖い格好をした人がやってきて、子供を怖がらせる。長谷川町子のサザエさん一巻の四コマにも戦後の時代「MPに連れて行ってもらうよ」と進駐軍を鬼に例えているシーンが有る。鬼役に期待する教育的効果は世界普遍であり別に仏教の専売特許ではない。
鬼の原風景というのは一方的に蹴散らされるというよりは、神様のようなポジションで常世の国から戒めにまたは懲らしめに降りてくるしつけ役で共通して異形であり、多様でステレオタイプがない。国東の鬼も降りてきて一緒に酒を飲み幸福をもたらし、異世界へ帰っていく。いわゆる来訪神と国東の鬼とを同一視するように書いたが、一緒に見てよいだろうか。来訪神を折口学はまれびと、客人と呼んだ。
来訪神を羅列します。私にはクソ面白かったです。↓↓
下甑島のトシドン https://satsumasendai.gr.jp/spotlist/1928/ 普段は天上界に住んでいるトシドン、下界を眺め、子供の挙動を見ている。大晦日に人間界にやってきてその年に悪さをした子供を諌め、長所を褒める。歳餅(としもち)を与え去って行く。歳餅は人に一つ歳を取らせる餅、これを貰わないと歳を取ることができない。歳餅はお年玉の原型とされる。南九州で他にはトイノカンサマ(屋久島、宮之浦)、トシトイドン(種子島、国上)、メン(末吉町熊野神社)、メンドン(指宿市山川利永)、八朔メン(硫黄島、三島村)、メン(黒島、大里)などがある。
指宿市利永地区 メンドン 神輿のしたをくぐると良いようだ。顔に墨をなすりつける。お面が激走戦隊カーレンジャーのグリーンレーサーとオタフク。角は生えていない。
鹿児島県トカラ列島の悪石島に伝わる来訪神「ボゼ」。お面がポリネシアン風味。ボゼは黒潮に乗ってやってきたという言い伝えがあり、オーストロネシア風味と言って良いものか、あるいは追われたネグリトか。赤土を顔になすりつける。お盆の終わりにやってくる。盆がおわると先祖の霊はすっとあっちに帰ってくれるが身寄りのない悪霊は居残る、それを祓う役割、ボゼ。ボゼは手に持ったボゼマラ(男性器、マラ(ティムポ)を模したもの)の先端に塗った赤土を人々になすりつける。悪霊を祓い、女性は子宝に恵まれる。
宮古島のパーントゥ お巡りさんも子供も泥を塗られます。コレは面白いです。「ンマリガー」(産まれ泉)と呼ばれる井戸の底に溜まった泥をパーントゥが塗ると悪霊を祓うことができる。この泥は強烈な臭気を放つそうだ。よそから見に来た観光客が泥を塗られてクレームをつけたり、男性観光客がパーントゥを殴り返すなどの理解不能な事件が起きて島民は大変迷惑している。
吉浜のスネカ イヌのような鬼のようなといった独特の顔 低温火傷を剥ぎ取る、と。火鉢にばかり当たっている怠け者にできる火傷。https://www.city.ofunato.iwate.jp/soshiki/kyoikusoumu/1931.html
宮城県・米川の水かぶり 火伏の行事 水をかけて回る。
秋田 なまはげ やはり鬼サンを饗応している。囲炉裏に当たってばかりでできた低温火傷をはぎに来る。ナモミ=低温火傷、ナモミ剥ぎ→なまはげ。
他には東北では青森県西津軽のナゴメタクレ、秋田県能代市のナゴメハギ、秋田市のやまはげ、秋田県沿岸南部のナモミハギ、山形県遊佐町のアマハゲ、新潟県村上市や石川県能登地方のあまめはぎ、福井県には語源は異なるがあっぽっしゃ、岩手県久慈市のナガミ、野田村・普代村・山田町のナモミ、釜石市のナナミタクリ、大船渡市三陸町吉浜のスネカ、弘前市のアブラダタキ、栗原市のモミダリ、三陸町越喜来のタラジガネ、遠野市のナモミタクリやヒカタタクリ、愛媛県宇和島地方では低温火傷を「あまぶら」したがって、あまぶらこさぎ、など。
山形県飽海郡遊佐町吹浦の浦通り地区のアマハゲ 大物忌神社のところ。
石川県の輪島市や鳳珠郡能登町に伝わるアマメハギ 温熱性紅斑のことをアマメ、怠け者の証をはぎに来る妖怪。ノミと木槌を持ってトントン叩いて脅している。戦後途絶えていたが復活。動画をみていると、鬼に扮した子供がお菓子をもらっているのがハロウィンに見える。ハロウィンもそもそもはアイルランドもっと言えばケルトの来訪神で、アイルランド系移民から広まったアメリカの習俗であり、アメリカの土着風俗ではない。
佐賀県佐賀市蓮池町の見島地区で行われる、カセドリ加勢鳥。神の使いのニワトリ。竹を床に激しく打ち付けその家の悪霊を祓っている。
セルビア人の教師にBELE POKLADEという鬼祭りを教えてもらったのを思い出した。起源は、太陽崇拝と春の到来を祝う異教の祭典に関連し、キリスト教会が受け入れ、適応させたもの。南スラブ人はキリスト教の受容に多くの場合抵抗し土着文化を永らえた。変装して仮面をかぶった若者たちが田舎の家々を一軒一軒回り、鐘や太鼓の音を響かせながら、家の柵や敷居、戸棚などを棒でたたいて悪霊を追い払う。https://www.bbc.com/serbian/lat/srbija-64790283
続いてオーストリアグラーツのクランプス なまはげっぽい気がする。クランプスも、悪い子供に警告して罰を与える。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%97%E3%82%B9
日本の鬼が太陽信仰と関係があるかどうかはわからないが、上記のスラブ人やゲルマン人の「鬼」は太陽信仰と関連する古俗、春の訪れと関連する。
鬼といっても、青鬼赤鬼っていう角が生えた「まんが日本昔ばなし」のやつ以外に色々あるよ、歓迎されるやつもいるよ、ってお話でした。追い払うだけの鬼扱いだと、子供のときに鬼に怖がらされた人による意趣返しに思えます。今後は鬼と酒を飲みたい、と思いました。調べ物をすると長くなります。すいません。よくわからないまま書いたので御教示いただけると幸甚です。
コメント
とても面白いです。
BELE POKLADEは知りませんでした。
佐賀にカセドリがあることも。
天念寺修正鬼会の鬼は、ボゼのような細い葉を付けていますよね。
南から北から色んな習俗が伝わって、形を変えて今に至るのではないかと勝手に思っています。
nakagawaさんこんにちは。
おっしゃるとおり、色々なところから流れ着いて、文化の掃き溜めみたいになっているのでしょう。
北の方の来訪神は低温やけどをはぎに来るという共通点があり、
南の方の来訪神は炭だったり泥だったり赤土だったりを塗りに来る共通点があります。
由来がそれぞれ違うのかもしれませんし、おっしゃるように必ずしも一元的に考える必要はなく、
来訪神という発想自体難しいことでもないし、どこにでも生じえた気もします。
キャアキャアいいながら鬼に泥を塗ってもらう、原始的な男女の交わりのようにも思えます。
いつも興味深い解説を読ませていただいています。
上手く返せないのが心苦しいです。
鬼の場合、ただの悪者でないのは分かります。
正しく生きていれば鬼がやって来ることはないでしょう。
鬼に教えられ救われることも多々あると思います。
姿は描き方で大きく変わりますね。
ユーモアを持たせると確かに南方系になります。
言葉や宗教の違いを超えて、鬼は世界中に居ます。
いつもお読みいただきありがとうございます。コメントありがとうございます。
鬼に睨まれないよう、清く正しく美しい生きかたをしたいと思います。
汚辱に塗れた私のような者が実現不可能な事を言うと「鬼が笑う」んだそうですが。
さて、異世界、常世と通じるものに、鬼さん以外に巫女さんがいます。
こちらは民間信仰の道教と近いものと思います。
一神教だと牧師さんや神父さんが言葉で説教し、仏教だとお坊さんが言葉で説教する。
翻って日本のお祭りを見ていると、鬼さんが「ガオー」と叱りに来て清めて福を与える。
言葉ではなく「ガオー!」。神の怒りとか言われても概念的でピンとこないのですが、
鬼の怒りというとガオーっ!て直接的です。より人間に近く、とても怖い気がします。