ポルシェ誕生から75年、ル・マン24時間レースは100年目を迎えます。2023/06/04 ポルシェフェスティバルに行ってきました。Porsche Experience Center Tokyoで開催。ジャッキー・イクスさんにも会えました、サプライズ。
ライトブルーにオレンジのストライプ、ガルフ塗色のPorsche917KH。910/10型F12エンジンは水冷ではなく空冷です!V型12気筒4.5L。それを冷やすファン(上の写真)は2400L/秒を送風するそうです。
<917Kの歴史的位置づけ> Porscheとして初めて大排気量化に踏み切ったのがPorsche917です。ル・マンで最初にPorscheが総合優勝したときの車です。
以下蛇足ですが、自分自身の知識の整理のためのメモです。
<Porsche917Kが生まれるまで、歴史>
・Porscheは1951年からルマン24時間レース参戦。Porsche356で初参戦ながら1台で2クラスを制覇。
・ジェームス・ディーンで有名なPorsche550、904、906などの小排気量車でPorscheは実績を積んでいた。1955年のル・マンではメルセデスが観客席に突っ込み80名以上が死亡する事件があった。
1955年のル・マン、Porsche 550。動画、見ていてヒヤヒヤする。
Porsche 904 機関部
Porsche 904
・1960年代はフェラーリとフォードGT40が大排気量マシンで争っていたが、Porscheは2L以下の小排気量を維持。Porscheがルマンや世界選手権でフェラーリやフォードと戦って総合優勝するためには大排気量化を考慮せざるを得なかった。
・1968年Porsche908(3L 水平対向8気筒)を投入もフォードのGT40(5Lエンジン)に力の差で敗れる。排気量で2Lの差があるもん。
・1969年大排気量化したPorsche917(4.5L V12気筒)を投入、3台参入も全車リタイア、1台は事故でドライバーが犠牲に。この年はフォードGT40が優勝(ドライバーはジャッキー・イクス/ジャッキーオリバー)。
・1970年Porsche917で再び参戦し初の総合優勝・・・PorscheはJWA(ジョンワイヤオートモービルレーシング)にレース活動を委託、リアカウルを跳ね上げるようなショートテールクーペに形状を変え空力を改善したPorsche917KH(KはKurz、HはHeck、短い尾)を開発、1970年のル・マン24時間レースでフェラーリ512Sと戦い、Porscheがワン・ツー・スリーフィニッシュし総合優勝。1971年も917で優勝。
<Porsche 935、936 1970年代~1980年代前半>
・あまりにPorsche917が強いため、1972年ル・マンのルール変更で締め出され、北米に勝負の場を移しこちらでも成功を収めたが、圧倒的な強さのため北米からもルール変更で締め出される。
・1976年からの新グループ6に規定変更されたあとも、Porsche 936(水平対向6気筒2.1L 540ps)が活躍。1976 年 6 月のル・マンでは、ジャッキー・イクス / ジィズ・ファン・レネップ組が総合優勝。1977 年にもジャッキー・イクス/ユルゲン・バルト/ハーレイ・ヘイウッド組が優勝。
・グループ5(1976年から世界選手権のタイトルがグループ5マシンにかけられた)ではPorsche930ベースで開発されたシルエットフォーミュラのPorsche935が投入された(タミヤのラジコンやプラモデル、スーパーカー消しゴムで私には懐かしいPorsche 935)。6気筒水平対向ツインターボ3L 630ps。1977年メーカー世界選手権優勝、ドライバーはジャッキー・イクス/ヨッヘン・マス。
・1979年ル・マンはPorsche935K3(ポルシェ クレマー レーシング)が優勝。
Porsche935K3 じーっと見てるとPorsche 930が鎧か兜を被っているように見えます。イエーガーマイスターは緑のイメージだと思ったらラベルがオレンジでした。
・1978年のPorsche935/78”モビー・ディック”、MOBY DICKはメルヴィルの「白鯨」のことだけれど、スラングで巨チンのことを指すようだ。3.2L 6 気筒水平対向ツインターボ 845ps!ル・マン総合 8 位。↓デカチンにみえますかね・・・白鯨ですね。
・Porscheしか勝たん状態でちょっとファンも興ざめだったようだ。車への関心が薄れることをPorsche自身も臨んでいなかったのでルール変更の動きあり。
・1981年ル・マンではジャッキー・イクス/デレック・ベル組のPorsche936/81が優勝。マツダや童夢などもこの頃参加している。
<Porsche 956-962 ポルシェ黄金時代の1980年代>
・1982年はレース区分の再編が行われた。エンジン型式、排気量を無制限とし距離で区分が再編され距離ごとの燃料使用量の制限がつけられた。つまり燃費もレースの要素になった。給油回数制限なども。グループ6は1982年よりグループCとなり、総合優勝が争われる舞台となり、Porscheでは956、962などが活躍。
・Porsche956はポルシェとして初めてアルミニウム製モノコックシャシーとグラウンドエフェクト構造を採用、1982年ル・マンには3台を送り込むとジャッキー・イクス/デレック・ベル組がポール・トゥ・ウィン。ワン・ツー・スリーをPorsche 956が独占。この年、マツダが初の完走で総合14位。
・1983年のル・マンは、Porsche956が優勝。ジャッキー・イクス/デレック・ベル組のPorsche956は追突を受けながら2位。9位のザウバーC7を除きトップ10すべてPorsche956が占めた。マツダは717Cで12位。
・1984 年のル・マンは8位のランチャLC2と10位のローラT616を除いてトップ10をPorsche956が占めた。ヨーストレーシングのPorsche956Bが優勝。
・1985年のル・マンは使用可能燃料総量規定を大幅に減らされて2210Lに変更された。Porscheワークスは962Cを投入。メルセデスベンツとザウバーが組んで30年ぶりの参加。ヨーストレーシングのPorsche956Bが優勝。6位7位のランチャLC2以外、トップ10をPorscheが占めた。トムスの85C-Lが12位。ジャガーXJR-5が13位。マツダは19位。ジャッキー・イクスはこの年に引退した。
・1986年のル・マンは、日産が初出場し16位。マツダは全滅。PorscheワークスのPorsche962Cが優勝。
<ポルシェの翳りの背景に欧州不況 1980年代後半以降>
・トム・ウォーキンショー・レーシング(TWR)とジャガーがジャガースポーツを設立(1989年にフォードがジャガーを買収して解消)。ポルシェ一強を崩したジャガーの背景にTWRの功績が大きい。
・1987年には欧州は不況、日本はバブル、F1ではホンダが快進撃を見せていた頃。プライベーター参戦も減ってきていた。Porscheの黄金時代に影が差し、密かにTWR体制でのジャガーの追撃が始まっていた。1987年ル・マン、ヨーストレーシングとクレマーレーシングと相次いでポルシェエンジンのピストンに穴が開くエンジントラブルを生じたため、Porsche監督のノルベルト・ジンガー(Porscheのエンジニア出身 935開発者)が調査しガソリン品質が低い(オクタン価が低い)事、そのためターボ車に不利でありNAのジャガーに有利であるとわかった。ノルベルト・ジンガー監督は制御プログラムを変更させたあとペースアップした。どのジャガーが優勝するかと思われていたほど、ジャガー優勢な状況であったが、ポルシェ962が首位にでた。その後ジャガーは故障等で脱落。ハンス・ヨアヒム・スタック/デレック・ベル/アル・ホルバート組のPorsche962Cが優勝。ジャガー最高位は5位。マツダ757が7位。
・1988年のル・マン。Porscheのワークス支援のロスマンズが降り、外装はシェルの黄色塗装に変更。必勝体制を組むジャガーの応援に5万人のイギリス人ファンが渡った。Porscheとジャガーの一騎打ちとなる。結果はジャガーXJR-9LMが2位のPorsche962Cに2分37秒の僅差で優勝。ジャガーの優勝は1957年ぶり、31年ぶりとなった。
・Porscheはルマンで通算19回の総合優勝をしており、歴代で最も勝利している。
<ジャッキー・イクスさん>
・ルマンのキングと呼ばれた。ルマンで6度優勝。1969年(JWA フォードGT40)、1975年(ガルフリサーチレーシング ミラージュ・GR8-コスワース)、1976年(ポルシェマルティーニレーシング 936)、1977年(ポルシェマルティーニレーシング 936/77)、1981年(Porsche system 936)、1982年(Rothmans Porsche 956)
・パリ・ダカールラリーでも1983年に優勝(メルセデスベンツで)。ル・マン24時間レースとパリ・ダカールの両方を制したのはイクスさんのみ。
・ル・マン式スタート(ヨーイドンで運転手が車に乗り込んでシートベルトを付けてスタートする)の危険性を指摘していた。「1969年のル・マン24時間レースにおいてジャッキー・イクスがスタートの危険を避けるためにゆっくり歩いて乗り、シートポジションを確認し、シートベルトを装着し、精神的に落ち着き、他の44台が走り去った後に出発した」ことについて大芝居と言われたが本人にその意図はなかった。安全のために最後尾でスタートしたジャッキー・イクスのGT40はなんと優勝した。
・1991年のル・マン24時間レースでマツダのスーパーバイザーを務め、優勝に貢献した。マツダはジャッキー・イクスに対してボーナスの提供を申し出たが、イクスは「私はマツダを優勝させるために契約したのだから、優勝したからといってボーナスを貰う理由はない」と固辞した。
こうして整理するとポルシェには、童心を忘れた擦れっ枯らしの大人でさえ夢中にさせる物語があると思います。まあ何にでも物語自体はあるのですが・・。子供の頃に夢中になり、大人になっても同じように夢中にさせてくれるものはまあそうそうはないと言うことでご勘弁ください。
メモ書きにお付き合いいただきありがとうございます。長々といつもごめんなさい。
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