短い思いつきを書き溜めています。ご迷惑でしょうが、一気に吐き出します。おえー
- 包丁を研ぐ理由
- 青を選ぶ理由
- ソニックは小倉駅でスイッチバックする
- 成田空港 ピーチ第1ターミナル ”ピーチはぴイチ”
- マスクのケバケバ
- 配慮
- コオロギとうんこの違い
- 肩書
- よそはよそ。
- 高輪ゲートウェイ
- 夢
- 痛み止め
包丁を研ぐ理由
やりたくないことだが、やらなければいけないことができた時、私は急に掃除を始めて先延ばしをする。逃げていることは自覚している。掃除自体もそもそもはやりたくないのに、掃除の方が単純作業で楽なので始まる。部屋がものすごく綺麗になる。それでいいと考える。
やらなければならないことを先延ばしにして、やらなくていいことを先にやってしまう。しかし、逃げて別のことをすることによってリズムができて、体が動き回ってウォームアップにはなる。自分が逃げていると否定的に考えるより、本当にやらなければいけないことをやるための準備だと思って、掃除に専念した方が精神衛生上マシである。
そして、部屋が綺麗になったところで本当にやらなければならないことをさて始めるのか、というと、また後回しにして、包丁を研ぎ始めた。その包丁を研ぎ終わってブログを書き始めた。締切は月末だ、まだ時間がある。よし、他のことをしよう(笑)。
青を選ぶ理由
青色を選ぶ理由は海の色、空の色だから。何より無難だから。考えなくて良いことは考えない、迷ったら青。私の車は2台とも青、一台はディープブルーメタリック、WRXSTIはキモオタブルー。通勤のワイシャツは薄い青。イヤホン、靴下、リュック、パンツまで青い。ブルーは気持ちが落ち着く。刺激的なブルーより、自然なブルーが好きだ。青い空はいつまでも眺めていられる。青い海に浮かぶ船もいい。ブルーグレーの服を着ている女の人にはこころが動く。
ソニックは小倉駅でスイッチバックする
別府駅から博多駅までソニックを利用した。小倉駅で椅子の向きを変える人がいて、向かい合わせにして足を伸ばしたい横柄な人がいるんだなぁと思って見ていたら、周りの人がみんなやり始めた。「向きが変わるんです」。ぼーっとしてる私に九州弁でおじさんが教えてくれた。小倉駅でスイッチバックするからお客さんが各自で椅子の向きを変える。テーブルを慌てて片付けたら、その九州弁の親切なおじさんが椅子の向きをかえてくれた。
成田空港 ピーチ第1ターミナル ”ピーチはぴイチ”
コロナ前、格安航空は成田第3ターミナルだったがピーチ航空は2020年から全日空傘下でANAと同じ第1に変更になっていた。全日空の資本関係にあるピーチは全日空のシマの第1なのだった。間違って第3に着いたらジェットエアカウンターしかない。うお間違えた!連絡バスに乗り事なきを得た。連絡バスは待ち時間を含め15分要し長く感ぜられた。連絡バスは黄色。頻繁に来る。
マスクのケバケバ
マスクを使っていると内側が毛羽立ってきて、そのケバケバが鼻の穴を攻撃し始める。ヒゲが起毛ブラシの役割で、喋る仕事なので夕方ぐらいに起毛してきて鼻の穴にコヨリのように入ってきて、そのこそばゆいことったらありゃしない。伸びかけの鼻毛のように。
配慮
2回目の替え玉の時、虫が入ってるのに気づいた。それは赤ちゃんの G だった。その店には4年以上通っていて、コロナの間客足が落ちたときを見計らい雑談をしたものだ。今日はコロナ明けで客がごった返していた。Gを見つけた時、あっ!と、声を出してしまって、なじみのおばちゃん店員が何かありましたか?と聞いてきたが、私は何もないです、とかぶりを振った。不自然にうつったらしくずっとこっちを見ていた。わたしはGをどんぶりの底に沈めた。周りの客の視線もなくなったあたりで自分のラーメンの鉢からG をティッシュに取り包んだ。さて、これからどうしようと周りを見渡したら、いっぱいのお客で店員も忙しそうで、わざわざこの雰囲気を壊すのもどうかと思うし、小さなゴキブリごときでギャーギャー騒ぐ性格でもないし、こんなこと伝えて店員にお詫びさせたくない。夏なんだから虫は出る。まぁ、最近虫を食へと政府の気狂いのクシャおじさんみたいな人が言ってるぐらいだし。まぁ問題ないんだろう。何食わぬ顔で食べ続けた。だが、咳が出てきて喉が痒い気もした。いつもなら汁を全部すするが、麺だけある程度食べて残した。
顔なじみのお店で、年に数回会話をするお店、私は何も言わずGを取り出しそのまま食べ続けた、そのことを連れ合いに行ったら気持ち悪がられました。当たり前だと思います。ただ、良いことをしたと理解はしてくれました。
コオロギとうんこの違い
どっちも食えと言われても食べたくない。したがってコオロギはうんこと同じである。
ただ、うんこはいい声で鳴かない。コオロギは美しい声で鳴く。したがってウンコとコオロギは違う。
コオロギは音楽家であり、ウンコはウンコである。
コオロギが音楽家だとしても、それはやはりウンコと同じで食べ物ではない。
肩書
餃子は完全栄養食、単品で栄養的に均整が取れている。いくら食べても栄養成分に余りが出ない、検索したら餃子ダイエットという記事があった。餃子は太るというが、適度に食べれば太らない。美味しくて栄養がいい。寝ながら勉強が身につく、みたいなもの。ただし食べすぎなければ・・。
さて、餃子は「私は完全栄養食ですよ」とは言わない。自分で肩書を言うのは野暮で恥ずかしいことだ。完全栄養を自ら謳う、たいしておいしくもないパンを食べさせられた。あんな不味いものを食うぐらいなら完全栄養食の餃子か、または完全栄養食のお好み焼きを食べるほうが良い。自ら完全栄養食と言うやつがあるか。他人によって「あいつ美味いくせに意外に完全栄養食なんだぜ」と言わせるのが粋というものではないか。不味いくせに先に完全栄養食と名乗るから不味さが際立つのだ。高学歴なのに仕事ができない能力が低い人に似ている。肩書というのは他に取り柄がない人が言うもので、言っても後から言うべきものだ。
よそはよそ。
他所の家をうらやみ、よそは良くてうちは悪いという。それなら他所の子になればいい。他所の奇習や異文化を無理やり捩じ込んでくる手合いは、他所の国の血でも流れているのか、我が国の文化に対し破壊的で違和感がある。国に帰れと言った方が良いか。もし奇習をこの国で続けたい場合、蔑視を避ける為隠れて生きることをすすめる。勝手に隠れてやる事に我々は寛容だ。生きる知恵とはそういうもの。目立って排斥の対象になれば、この国はマスク着用時のようにファシズム的に動くから気をつけた方がいい。我が国の静かな大衆を甘く見ない方が良い。
高輪ゲートウェイ
高輪ゲートウェイ
中央フリーフェイ
中野ブロードウェイ
宮島ロープウェイ
富士スピードウェイ
新小岩ドリームウェイ商店街
高崎山ロープウェイ
高尾山ケーブルカー
新穂高ロープウェイ
ひとり仲間外れがいます。
夢
仕事を減らしてから、仕事に関する夢を見なくなった。仕事で張り詰めていた頃は夢でも仕事をしていて大声を張り上げたりしていた。仕事でも夢でもヒヤ汗をかき、気が休まらなかったが、心身ともに一番充実していた。今見る夢は、見知らぬ街を旅行していたり楽しい夢が多い。変な夢を見ないようになったことで二重に幸せだ。
痛み止め
痛みというものは不思議だ。
神様がお与えになった痛みが試練なのであれば、ステロイドやNSAIDsはその試練を乗り越えるというよりもその試練自体をなくすための非道徳的悪のツールである、神様の商売が上がったりになるからだ。自分に痛みがあるとみんなにも痛みがあるように思い、みんな痛みに耐えて頑張っているのだから、自分だけ痛み止めを使うというのはずるいような気がしてくる。自分の苦境を周りに当てはめる、この辺りから宗教が生まれる。だが、周りの人に痛みや苦痛はなくて、自分だけが弱く、痛みを抱えている。自分だけが痛みを抱え苦痛にあえいでいるなんて、それは理不尽だと思う、そんなのはおかしい、人類全体が苦しんでいるはず。。。と思いたいだろうがそんなワケはないのである。苦しんでいるのは自分だけだ。
骨折のあと孫悟空の頭の輪っかみたいに何かやらかすとキュッと痛みがくる。つまり抑止力として痛みが常に監視しているような状態。この痛みを全世界に分けてやりたい、ヒヒヒ。
絶対と相対
親父から絶対と相対について長々と説明受けて、絶対とよく言うのは宗教家だと例示するおやじ、そういいながら絶対と絶対言うな!と。親父今言ったで、アウト。というやり取りを小学校の頃したのを思い出した。
長々ごめんなさい。
コメント
>絶対と絶対言うな!
プッ・・・(^_-)-☆
絶対という言葉を私が覚えたばかりの頃、親父がイラッとしたようでした。
「絶対などない」としきりに言っていました。
株が上手だった親父の、失敗から会得した「自戒」と思います。