洗足の語源はなにか?

羽田空港61ゲートで待っている間、騒がしい黄色い声が聞こえてきた。洗足学園の修学旅行の女学生さんで私達と同じ長崎行きの全日空機B787に乗る。

ふと洗足とはなにか?、キリスト教の洗足式と関係があるか?、洗足池という地名が在ったからそちらの由来か?、その洗足池の由来はなんだろう?、洗足学園はミッション系なのだろうか?、ヤクザから”足を洗う”の語源はなんだろう?、など次々に疑問が起きた。一つ一つ片付けてみます。


まず洗足式。

最後の晩餐のとき、イエス・キリストが弟子たちの足を洗い、「主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。」(ヨハネによる福音書13:1-17、新共同訳聖書)と命じた聖句によるものである。(中略)イエス・キリストが生きていた時代では、足を洗う行為は奴隷が主人に行うものであり、信徒同士で足を洗うことは謙遜を覚える行為とされる。主の晩餐、聖餐式で洗足式を行う教派・教会もある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%97%E8%B6%B3%E5%BC%8F

洗足学園はミッション系か。ミッション系ではないが学園長がクリスチャン。

なお、川崎市にある洗足学園音楽大学の名称は、いわゆるミッションスクールではないが、この「あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない」というキリストの教えに基づく。これは創立者、前田若尾が熱心なキリスト教徒であったことによる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%97%E8%B6%B3%E5%BC%8F

洗足池と洗足学園とは関係がない。そもそも場所が違う。

また、洗足池の由来は、キリスト教の洗足式とは関係がない。千束の一部地域をとある宗教が洗足と呼ぶようになっただけ。

名の由来
この地域の古い地名は「千束」(せんぞく)であって、その名は平安時代末期の文献にも見られる。由来としては仏教用語の千僧供料(せんそうくりょう)の寺領の免田であって、千束の稲が貢租(税)から免除されていたとする説や、「大池」(洗足池の別称)を水源として灌漑に利用されたので稲千束分の税が免ぜられていたとする説などがある。のちに、身延山久遠寺から常陸へ湯治に向かう途中の日蓮が、池のほとりで休息し足を洗ったという言い伝えが生まれ、千束の一部が「洗足」となった。日蓮が袈裟をかけたと言われる「袈裟掛けの松」(3代目)も残っている。池の北側の中島には弁才天が祀られている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%97%E8%B6%B3%E6%B1%A0

日本語の「足を洗う」の語源は何か。

僧が「足を洗う」様子を表しています。裸足で修行をした僧は、お寺にはいる前に足を洗います。その「足を洗う」行為はただ汚れを落とすだけではなく、土壌と俗世の煩悩を清めるとされていました。この習慣から転じて、「足を洗う」は悪いことをやめるといった意味になりました。

https://domani.shogakukan.co.jp/686108#:~:text=%E4%BB%8F%E6%95%99%E3%81%8C%E8%AA%9E%E6%BA%90%E3%81%AE%E3%83%91%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%B3,-%E4%BB%8F%E6%95%99%E3%81%8C%E8%AA%9E%E6%BA%90&text=%E3%81%9D%E3%81%AE%E3%80%8C%E8%B6%B3%E3%82%92%E6%B4%97%E3%81%86%E3%80%8D%E8%A1%8C%E7%82%BA,%E6%84%8F%E5%91%B3%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8A%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82

まとめ 足を洗う 洗足の意味。

  • キリスト教では他人の「足を洗ってあげる、洗足式」、洗足学園と関連。
  • 仏教では自分の「足を洗う」、汚れを落とすために。洗足池と関連。転じて悪いことをやめる。
  • もともとは千束の大池、一部の人が日蓮に関連して洗足池と呼んだ。
  • 足を洗うを調べたら宗教絡みばかりでした。

お読みいただきありがとうございます。

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