東京の某駅の立ち食い寿司屋でセットを頼んだら、バッテラが一つ含まれており、おいしかったので「バッテラください」と頼むと、え?と言う顔をされる、食べかけを持ち上げ、「これ」と見せたら「鯖の押し寿司でよろしかったですかぁ?」と。
甘酢に漬けた薄い昆布をしめ鯖の上に乗せ、四角く押した寿司がバッテラで、それが関西発祥と知りました。この美味さを子供の時おぼえ、寿司屋に行ったら必ずバッテラを頼んだものです。単純化すると、バッテラは大阪発祥の寿司で断面が四角、一方、昆布が乗ってなくて丸い断面をしているのが”鯖の押し寿司”や”鯖寿司”と呼びます。発酵させたなれ寿司をはじめ、鯖寿司にはバリエーションがあります。
バッテラ寿司はコノシロの押し寿司から始まった
バッテラは、明治24年、大阪の「すし常」で考案。酢でしめたコノシロの押鮨でした。バッテラ(コノシロ押し寿司)を作る木型が船の形であったから小舟を意味するポルトガル語のバッテイラから名付けられました。その後、材料がコノシロから鯖に代わりました。
バッテラと名付けたのは誰?
明治27~28年頃心斎橋の料亭「矢倉」の職人が順慶橋の井戸ヶ辻辺「酢常」という暖簾を構えます。コノシロを二枚におろし、スシネタにして評判をとります。ピンと張ったシッポを見て客がバッテラ(bateira ポルトガル語でボート『小舟』の意)と渾名をつけたのが始まり。コノシロの値上がりからネタを鯖にしますが、その生臭さを消すため昆布を上に乗せます。やがて白板昆布を使い体裁を整えます。昆布がうま味と乾燥防止の役目を果たして、大阪を代表する「松前寿司」となりました。
https://www.konbukan.co.jp/mamechishiki/mame2-konbu-history.html
お客さん!船乗りだろうか。港湾に詳しい人だろうな。
ポルトガル語からの借用語として小舟=バッテラがすでに定着してたのか、それは何時からだろう?
なぜ小舟と言わず、わざわざポルトガル語で呼んだのだろうという疑問が生じました。上記大阪の「すし常」のお客さんが付けた名前ということですが、バッテラが小舟を指す一般語になっていたのかどうか。伝統格式を重んずる職人さんのイメージのある寿司屋さんが珍しい名前をおいそれと取り入れるだろうか。
バッテラでググるとサンスクリット語説もあり、どちらが正しいのか調べてみます。バッテラはポルトガル語なのかサンスクリット語由来なのか
バッテラ、ポルトガル語説
「ポルトガル語”bateira”」と綴る記事が殆どです。このスペルで検索してヒットする記事は日本語の記事とそれを翻訳・引用した「日本のバッテラを説明する記事」ばかりでポルトガル語が検索結果に出てこない。バッテラを説明する際の語源としてbateiraが出る。グーグル翻訳で ”bateira”を調べても、ポルトガル語にヒットしない。それはもしかしてbateria?と先回り(ミスタイプ補完)して、「電池」と訳してくれる始末。
bateriaバテリアちゃう、探しているのはbateiraです。
wikitionaryでもbateiraがポルトガル語辞書になく「寿司バッテラのこと」とでてしまう。しかもリソースが日本の辞書。
逆に小舟はポルトガル語でなんというか調べると2つ出てきた。barcaça(平底船(バージ船)バルサーサと、batelão、バッテーラウ(と聞こえます)。後者はバッテラの発音に近いようです。がスペルが違う。日本語に導入するときに簡易化したのでしょうか。後で触れますが、ポルトガル語からの借用語はたくさんあります。日本語の音韻で発音するために、近似する都合の良いスペルをしたのがbateiraなのではないか、batelãoの読みを、日本人が理解するためにそうスペルしたのだろうか(bateiraは日本人が作ったスペルではないだろうか。ヘボン式ローマ字みたいに。それか昔はポルトガル語でbateiraと綴っていたのか、いやそれはないだろう。)
バルサーサ、とバッテーローとの違いは平底舟がバルサーサ、動力の在るのがバッテーロー。
(a flat-bottomed boat for carrying goods etc.) barcaça
(a large power-driven boat.) batelão
From Middle English bot, boot, boet, boyt (“boat”), from Old English bāt (“boat”), from Proto-Germanic *baitaz, *baitą (“boat, small ship”), from Proto-Indo-European *bʰeyd- (“to break, split”). Cognate with Old Norse beit (“boat”), Middle Dutch beitel (“little boat”). Old Norse bátr (whence Icelandic bátur, Norwegian båt), Dutch boot, German Boot, Occitan batèl and French bateau are all ultimately borrowings from the Old English word.
https://en.wiktionary.org/wiki/boat#Etymology
batelãoの語源は、古英語のbat、ゲルマン祖語のbaitaz、さらにはインド・ヨーロッパ祖語の*bʰeyd-(「壊す、分割する」)から。オック語とフランス語も古英語のbatから。
ポルトガル語は、ポルトガル植民地などに言葉を残している。
スリランカのシンハラ語にはbatelãoバッテーローからbattalaなどをポルトガル語からの借用語として残している、と記載がある。スリランカシンハラ語のバッテラはポルトガル語源。
東南アジア インドネシア・マレー語においても、偶然にもバッテラが舟を意味する、しかしこちらはサンスクリット語源
偶然、インドネシアにバッテラという名前のIT企業を見つけた。日本の方が運営されるバッテラハイシステム。BAHTERAは船を意味し、その語源を調べていたら、サンスクリット語で派生語も多数ある。
ノアの箱舟(Noah’s ark)は、インドネシア語(ジャワ語)ではBahtera Nuh (バーテラ ヌー)というのだそうです。Bahteraを手がかりに調べ始めたらインドネシアのバッテラはサンスクリット語vahitra由来の語系列で、ポルトガル語の語源とは異なります。下記「ノアの箱舟」の各語での表記です。英語だとインディー・ジョーンズ「失われたアーク」をご存知だと思いますが、アークが箱舟(=聖櫃)を意味します。
Bahteraのwikitionaryの記事ですがこちらにはサンスクリット語源と書いてあります。vahitraから。
インドネシアのbahteraは、サンスクリットの vahitra 名詞 boat, vesse から来ています。
bahteraは、「はこぶもの」英語のビークル(vehicle)の語源と一緒
vahitraの語源
From Proto-Indo-European *weǵʰitlom (“means of transport”), from *weǵʰ- (“to bring, transport”). Cognate with Latin vehiculum.(「はこぶもの」英語のビークル(vehicle)の語源と一緒!)
vehtraに語源をもつ各言語
Ardhamagadhi Prakrit: vohittha 「ヴォヒッタハ」マガダ語 中期インドアーリア語
Maharastri Prakrit: vohitta 「ヴォヒッタ」マハーラーシュトリー語 中期インドアーリア語
→ Old Kannada: baitra 「バイトラ」カンナダ語 ドラヴィダ語の一つ カンナダ語は2500年にわたって話されており、カンナダ文字の筆記法も1900年前から使われている。
→ Javanese: bahita 「バヒタ」ジャワ語
→ Thai: bhetra 「ブヘトラ」 タイ語
Old Malay:
Malay: bahtera 「バーテラ」マレー語
Indonesian: bahtera 「バーテラ」 インドネシア語
バーテラ!バッテラっぽくないでしょうか。
(ドラヴィダ人が古代にやってきて、日本語にカンナダ語のbaitraの痕跡を残してないだろうか)
日本語のバッテラはポルトガル語由来が定説。サンスクリット語由来のマレー語、BAHTERAも発音がにていて船を意味するが別系統
日本語のバッテラはポルトガル語由来が定説ですが、ジャワ(インドネシア・マレー)語の「バーテラ」が同じく「舟」という単語が存在することがわかりました。
日本のバッテラ=舟という言葉が、もし仮に、ポルトガル人来訪以前からあるなら、南方由来を考えて良いと思われますが管見の限り根拠は見つかりません。
日本語の”あらま!”がマレー語やインドネシアのalamat!で通じるのは有名ですが、少数の共通点ではなんとも言えないです。日本語の語源にさかのぼってしまう話になってしまい、私の能力では袋小路です。
ジャワ語(マレー語)のBAHTERAは時系列からサンスクリット語由来と考えて良さそう
ジャワ語のBahtera(箱舟) はインドネシアの言葉ですが、ポルトガル植民地であった時の借用語ではないか?インドネシア語は、
ボート的な小型の船をPERAHU
大きな 客船的なのを KAPAL
一部でバーテラと言うようです。マレーにはインド人も古くからたくさん住んでいて、借用語でしょうか。
1511年マラッカ占領から1641年にオランダに奪われるまでインドネシアはポルトガルの植民地でした。
東南アジアにはインド系の住民が昔から多数住んでおり、調べた範囲ではbahteraがポルトガル語の借用語という記事はなく、ポルトガル語が来る前からbahteraが存在すると思われます。
日本語の起源は不明
日本語にポルトガル伝来以前にインドネシア由来の”バッテラ”が日本語彙にあったか?
その疑問は、取りも直さず、そもそもジャワ語(元をたどればサンスクリット語やオーストロネシア語)の影響が日本語にあったのか?と言うことです。つまり日本語の起源に関わるはなしになり、と身の程も知らず調べて行きます。誰か止めて。。
今の所、そもそも日本語の起源は不明で議論があります。流れ着いた人々の寄せ集め言語という考えが有力なようです。下記地図のピンクの範囲がオーストロネシア語族です。オーストロネシア語は福建・台湾あたりの原住民の言葉から広がったとされているようです。薩摩弁などにオーストロネシア語の影響を考慮する研究者は居ます。隼人がそうではないかという説もあるようです。
南方との交流や共通点ということで言えば、瀬戸内や丹後の伊根など各地に家船(ケブネ)文化があり、海に家を浮かべて住む海洋民が居ます。瀬戸内のケブネは秀吉の海賊禁止令に従わなかった瀬戸内水軍の流れであるという説がありますがもっと遡ると、東南アジアや福建省にも同様にケブネ文化を持つ人々があり、関連を述べた本があります。漂海民(羽原又吉 著)という本に詳しいです。日本の海の民といえば古代に海外からやってきた人々の末裔という説もあり、福建省由来とオーストロネシア系とがあるようです。彼らから伝わった言葉もあるかもしれない、などと妄想しているところです。
日本語のオーストロネシア語族説
流れ着いた一つの集団として南方から来たオーストロネシア語族が日本祖語の要素であるという説をオーストロネシア語族説といいます。
オーストロネシア語族説
オーストロネシア語族が日本祖語を形成した言語のひとつだったとする説。現在、主流な説は、日本語がアルタイ系言語と南島語の混合語起源とするものであるが、「混合」の定義・プロセスについては、論者の間で見解の相違がある。日本人の民族学人類学的な特徴が混合的なものであることは、古くから指摘されてきた所であるが、言語学者の間では日本語アルタイ起源説が19世紀以来、定説とみなされてきた。再構された南島祖語と上代日本語の比較を初めて組織的に行ったのは、言語学者の泉井久之助である。泉井は約50語を取り上げて音韻対応則の検討を行ったが、日本語と南島語の系統的な関係については懐疑的であり、両者間の類似語の存在は借用によるとみなした。
日本語と南島諸語が系統関係にある可能性を指摘したのは、ロシアの言語学者、E. ポリワーノフである。ポリワーノフは、日本語の接頭辞が南島諸語起源と考えられる事、日本語のピッチ(高低)アクセントや、重複形による強調表現などがフィリピンのタガログ語やメラネシア語と類似している事などを指摘し、日本語が南島諸語と系統的な関係にあることの証明を試みた。
また、オーストロ・タイ語の研究で世界的に知られるポール・K・ベネディクトは、晩年に日本語とオーストロネシア語を同系とする論を発表した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E3%81%AE%E8%B5%B7%E6%BA%90#%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%8D%E3%82%B7%E3%82%A2%E6%AF%94%E8%BC%83%E8%A8%80%E8%AA%9E%E5%AD%A6%E3%81%AE%E8%A6%B3%E7%82%B9
東南アジアには古代、インド文化の影響をうけた国がいくつもできた。そのときにサンスクリット語系言語が東南アジアに伝えられたという話は尤もらしい話です。オーストロネシア語の中にサンスクリット語が借用語化されたものと思われます。
広島の厳島神社にはチャンパから伝えられたインド風の雅楽である「蘭陵王」の舞があります。但しコレ、聖徳太子の時代に大阪四天王寺で雅楽が始まり、平清盛時代に四天王寺から楽所を厳島に移したことが由来です。チャンパというのはヒンドゥー(インド)系の文化を持つ国の一つです。
ベトナムのミーソン遺跡(チャンパ王国の遺跡)
「天王寺楽所」は、聖徳太子が雅楽の前身であった外来音楽でもって三宝(仏・法・僧)を供養せよ、と命じて以来四天王寺に置かれたと伝わる雅楽伝承組織です。
https://www.tennojigakuso.org/iwakikai.html
バッテラという言葉がポルトガル人が来てから始まったならポルトガル語由来でしょう。もしその前から在るならサンスクリット系。
ポルトガル語由来と思われる理由、ポルトガル語は日本に最も早く伝来した西欧の言語の一つであり、多様なポルトガル語が定着した
バッテラがポルトガル語からの借用としてよいか?ポルトガル語がそれほど通用していたのか?あるいは他にもポルトガル語由来の日本語はあるか。→たくさんあります。例えば「イギリス」「オランダ」「カステラ」の読み方はポルトガル語由来です。下記参照ください。
16世紀中頃にポルトガル人が種子島に漂着した(鉄砲伝来)。それ以来、イエズス会によるキリシタン布教とマラッカ・マカオを相手とする南蛮貿易(主に近畿から九州地方)において、ポルトガル人が主要な役割を果たした。ポルトガル語は日本に最も早く伝来した西欧の言語の一つであり、この時代に入った文物とともに、名詞などが日本語に定着した(オランダやイギリスといった日本語特有の外国名の慣用も多くがポルトガル語に由来する)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%83%88%E3%82%AC%E3%83%AB%E8%AA%9E#%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E3%81%A8%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%83%88%E3%82%AC%E3%83%AB%E8%AA%9E
日本はポルトガルの植民地ではありませんでしたが、言語の強制は無くとも、柔軟にいろいろな言葉を吸収したことでしょう。それが日本語の特質。
英語やフランス語など、主に19世紀以降に流入した外来語はもっぱら片仮名で表記されるのに対し、ポルトガル語由来の借用語は漢字の当て字や平仮名で表記する名詞も多く、深い浸透が伺える。アゴスティニョ(小西行長)、内藤如安、細川ガラシャなど、当時のキリシタンの洗礼名もポルトガル語に由来する。1603年から1604年にかけて長崎でイエズス会によって出版された『日葡辞書』は、出版されたものとしては最古の日葡辞典であり、当時の日本語の語彙や発音を知る上で貴重な資料となっている。16世紀末から、マニラ貿易およびフランシスコ会・ドミニコ会などの布教活動を通じてスペイン人との接触も密になった。そのため、ポルトガル語とスペイン語には同源・同形の単語も多いのでいずれが起源か判別しがたく、両者から同時に広まった可能性が高いものもある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%83%88%E3%82%AC%E3%83%AB%E8%AA%9E#%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E3%81%A8%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%83%88%E3%82%AC%E3%83%AB%E8%AA%9E
バッテラ(舟)が先でバッテラ(寿司)があと
バッテラ(寿司の呼称)が始まるのが明治24年、それより前に、既に小舟をバッテラと呼んでいたのは確かです。
舟をバッテラと呼ぶようになったのは天正元亀。開国して、海軍導入のときに再びバッテラと言う呼び名がスポットを浴びているようだ。
バッテラは幕末から再び脚光を浴びているようだ。
ポルトガル語で bateiraオランダ語では baterira(バテリラ)で同じく短艇、ボート(大日本帝国海軍ではカッターと呼ばれていた)のことを意味し大型船に乗せる小船のことを指します。
日本には幕末、洋式帆船技術導入時に外国呼称がそのまま使われました。スペルが正しくないのは仮名読みからローマ字にしたためだろうか。
ポルトガル人が天正元亀頃に様々なものを伝えたなかにあったのが最初のバッテラ、300年飛んで幕末の洋式帆船導入期にバッテラという語がそのまま使われたのかもしれません。
漕艇は幕末に幕府が築地に講武所を作り、同所で軍艦操練をはじめるようになると、バッテラ漕ぎの練習も行われるようになり、横浜の外人たちは慶応二年 (1866年) 本国からボートを取りよせてレースを行っているし、明治になっては、官立学校で盛行するようになる。
今村嘉雄 『日本体育史』 不昧堂 1970 年
バッテラとはポルトガル語で小舟のこと。 長崎で停泊するポルトガル船と陸上との連絡用に使用された。 この小さいボートの呼び方は、形が似ていたことからバッテラ鮨に名前を残していると思われ、北前船の航路である青森では小舟のことをバッテラと呼ぶ地域もあるという。明治初めのころ捕鯨船の古い艀を見た市民や、譲り受けて漕ぎだした学生たちの間でこのバッテラという呼称を転用したのではないかと思われる。また本格的な競技用ボートの無い時代においては, 海軍のカッターやバッテラなどの呼称が混在して用いられたと思われる。
日本におけるボート競技の起源についての考察 古城庸夫
青森に小船をバッテラと呼ぶ地域がある?
文献「北日本における伝統的木造漁船の船体構造の変遷過程」昆政明を引用します。
記載を見る限りは、古代ではない時期にそう呼ぶようになったようです。
あおもり北のまほろば歴史館に電話で質問したところ、青森各地の小舟の呼び方の違いであって、構造は地域によって多少違うが平舘港から今別町までの東津軽郡でのみ限局して小舟をバッテラと呼ぶ、とのことで、他地域では呼ばれないが、その理由についてはわからないとのことでした。
北前船の寄港地(緑)と小舟をバッテラと呼ぶ地域(橙)をお示しします。
大阪発祥のバッテラと青森のバッテラ舟とを、北前船で結びつけられないだろうか。青森のバッテラ使用地域がとても限られていることから昔からある一般的な”日本語”であったと言うには弱いと考えます。となると北前船という気がします。
その今別~平舘地域には北前船の寄港地は知られていません。強いていうと三厩港が今別の近くにあります。ましてや洋式船が入るような港はないようです。バッテラ舟という呼称がどのような経緯で誰によっていつから使われはじめたかは定かではないと館員さんはいわれました。
バッテラという言葉が天正元亀のポルトガル語由来であれば江戸時代の北前船に運ぶ舟としてバッテラと言う言葉が小型船に対して使われていても不思議はないように思います。江戸時代に北海道の昆布やホシカなどを北前船で”大阪に”運んだ北前船が寄港する湊に、バッテラ舟(小舟)で小口貨物を運んでいたのではないかと妄想します。妄想です妄想。北前船はそれなりに大きく、寄港できる湊は限定されますが、各産地の物産をバッテラ舟で最寄りの北前船寄港地に集積していたのでは、と想像してみました。
たかがバッテラ、されどバッテラ。。。バッテラと関東で呼ぶと変な返事をされたことから、語源を調べはじめ、長文となりました。お読みいただきありがとうございます。
コメント
私も鯖寿司は好きです!!
「バッテラ」は大阪の呼び方で、サバを半分?薄切り?にした押しずしだと思ってました。。。
勉強になります(^.^)
ちなみに、私は長崎五島列島の「鬼鯖」の鯖寿司が大好きです。
鯖がダブルになってる鯖寿司でです(*^^)v
年に数回、近くのデパートに売りに来るので、必ず買っちゃいます。。。(^-^;
>たかがバッテラ、されどバッテラ
ホントにその通りですね。
関西人の私はバッテラは大好きですヨ!
こんばんは。
バッテラ美味しいですよね♪
甘酸っぱさとサバの脂のハーモニー。
夜に思い出すと若干辛いです。
二段ベッドみたいな鯖寿司!まさにそれです、今回バッテラ美味しいもう一個ってやって、鯖寿司ですね!って言われたのは。品川駅の駅ナカのその立ち食い寿司の鯖寿司は二段式でした。鯖寿司にも流儀があるのでしょうね。