千貫樋水郷公園

埼玉県さいたま市に鴨川があります。大宮台地より発し荒川に流入する支流です。荒川増水時は鴨川下流域への逆流による氾濫に悩まされる地域でした。①②③の大きな治水事業がありました。

①「千貫樋」せんがんぴ・・・江戸時代の末、農民たちの手によって設けられ、明治にレンガで改造された水門です。下図青色点線部分にあります。

②上図のように南へ新しい流路を直線的に設けました。荒川への合流点は段階的に下流に変更されました。

③荒川堤防を、荒川と鴨川との間に設置しています(上図赤破線)。より高い堤防に改築中です。

流路変更によって分岐部以下の旧河道部は流量を減じ、旧河道部の湿地帯(上図点線部分)は公園となっています。現在も小川と湿地が残り、初夏にはあやめが咲きます。千貫樋公園として整備されています。

現在の荒川(空色)と旧河道(青色) 国土地理院 土地条件画像データ出力図より引用 該当部分の拡大。https://www1.gsi.go.jp/geowww/landcondition/lc-img/D2-54-yono.jpg

千貫樋水郷公園(=旧鴨川河道)荒川側から東をみる。

荒川堤防の天端

荒川堤防の天端から鴨川旧河道(堤防の東側)を見下ろす。

荒川堤防の天端同部位から反対側を見下ろすと、鴨川旧河道を堤防の西側にも認めます。堤防で旧河道は寸断されていますが連続していたことがわかります。堤防の荒川側に存在した村の人々は堤防の中に転居しましたが薬師堂や八幡社、水田が今も残っています。野球場、ゴルフ場、サーキットなどがあり、結構にぎやかです。

治水履歴(鴨川関連のみ)

江戸時代末ごろ、荒川からの逆流防止を目的に近隣の村々で資金を出し合い最初は木造で設置。江戸時代の人によって千貫樋と名付けられました。千貫樋の名前は金一千貫文をかけても完成できなかったためとされています。

1904年(明治37年)、レンガで作り直した千貫樋水門完成。江戸時代のを明治時代にレンガで作り直して現在の姿になりました。水門より荒川側は溢れさせる前提。

1910年(明治43年)荒川最大の大洪水。明治政府は国の事業として荒川改修を開始。「川を直線化し溢れる水を早く海に流す」方針(参考 荒川改修の歴史 )

1911年(明治44年)荒川放水路に着手、1924年(大正13年)岩淵水門完成、1930年(昭和5年)荒川放水路完成。

1915年(昭和10年)には鴨川を南に延長して鴻沼川に合流させました。

1947年(昭和22年)カスリーン台風

1957年(昭和32年)より4年かけて二瀬ダム完成。浦山ダム(平成11年完成)、滝沢ダム(平成23年完成)と埼玉県による合角ダム(平成15年完成)

1973年(昭和48年)~2004年(平成16年)荒川第一調節池完成

Wikipedia 米価 より引用

千貫がいくらなのか考えてみます。江戸時代は260年間と長く、金銀銅は変動相場、通貨はあっても米が基軸であったため「千貫」の価値を簡単に言うことは難しい。そこで、落語の時そばに出てくる「二八そば」16文を基準に現代のお金に換算します。

一貫が1000文なので、千貫は1000☓1000で100万文。16文で割るとそばが62,500‬杯です。2020/01/31時点、富士そばの天ぷらそばが430円、かけそばが310円です。時そばに出てくるのは「ちくわ入りのかけそば」で間違いありませんから、かけそばにちくわトッピングと見積もって335円と仮定しました(ニッスイちくわ四本入り100円を根拠に25円と割り出し)。

62,500(杯)×335(円/杯)=20,937,500‬円

なんか微妙な数字になりました。ビックリマークを付けていいのか迷う。。

いつも読んでいただきありがとうございます。

参考にしたサイト

https://www.city.saitama.jp/001/011/015/002/003/p008311_d/fil/kamogawatizu.pdf

千貫樋

https://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000670347.pdf

http://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000743514.pdf

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コメント

  1. agehamodoki より:

    凄い建造物と言うか大事業ですね。
    江戸は江戸の明治は明治の大変さがあったと思います。
    なんと言っても大半が人出、人力作業でしょう。
    異常気象で氾濫する川をよく見かけるようになりましたが
    国を挙げて治水を見直す時期でもあると思います。

  2. コメントありがとうございます。
    守るところを完全に守るかわりに、犠牲になる地域をきめて、そちらに負わせるというのが現実的な治水の考えかただと思います。
    守られるところができる代わりに犠牲になった地域の農民が自己防衛のために輪中という堤を独自に作ったり、そのあたりの営みの跡を徘徊して、ジーンとしたりします、そうです、わたすが変なおじさんです!

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